Om Tat Sat

Om Tat Sat

:::Relationship is prana:::
Life Composer,Yoga Instructor

























































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●Recipe●


小松菜4/1パック 
りんご2/1(たべかけ)
バナナ 2本
水(contrex)

紺碧の器で(#007bbb)


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私たちには、勘が生まれながらにして備わっていると思います。
各々、程度の差はあれど、「あっ」っと思うことや感じることがあるんじゃないかな。

泣き虫だった幼い頃から、私は自分のカンが鋭いことを知っていました。
それはもう、いわゆる超能力者と呼ばれる人たちをテレビでみたからか、
そういうものに対する憧れがあったからか、それはわかりません。

ただ、不思議な体験をしたりすることがこれまで多かったので。

そもそも、現代、そして特にここ東京は、あらゆる情報が過ぎ去っては生まれて、私たちの日常を流れていきます。
勘もにぶるよなあ、ってよく感じます。

小さい頃からなんとなく、でも確実に、こうしたいと感じることは、勘を磨く、ということ。
なんでか、ラベルや情報に流されず、自分の勘で人生を生きることをずーっと思ってきた気がします。
誰の曲だからいい、とかじゃなく、この音がいいから、という理由で音楽を選ぶように。

私自身は、とてもマジメで、頭が固いから、できるだけ柔軟に、物事にとらわれない訓練を自ら課してきたのかもなあとも思います。

勘とは別に、私は、よくも悪くも感受性が鋭く、日常生活を送ることがとても困難なことがあります。
普段の生活をハッピーに、笑顔で過ごすためには、まずは食事が大事だと思いました。
体とこころが軽くなる食事。そういう食事をすることは、やっぱり勘にもいいのかなって思います。

食事と勘に関する、追記。

スーパーモデルに憧れていた小学生の時分から、「ELLE」を愛読し、流行のダイエット方法や、パリジェンヌの質素なシンプルライフ、みたいな記事を、わくわくしながら読んだものです。
私の美容とか生き方の思考の原点というかおおまかな部分は、あの時代につくられたと思います。
小学生から、水に気をつけたり(自分専用のミネラルウォーターを買っていた)、添加物を気にしたり、食事には気をつけていました。

こういう本が好きで、おやつをつくっていました

幸い、高知という土地で育ったこともあり、何もしなくてもきっと、初期設定で細胞がぴちぴちだったと思うんです。
ファンデーションを使ってみたのも、たしか小学生だった。皮膚が苦しくて、それ以来使わなくなりました。ここ数年、仕事でつけたりしますが、基本的には今でもファンデーションは使いません。

ストイックだった私は、日常生活で、この食べ物を食べると自分の気分はどうか、とか、肌の調子はどうか、とか、今まで生きてきた30年間常に考えながら生活してきたと言っていいと思います。これは、私のクセであって、楽しんでやっていること。
はっきり言って、人生をかけて実験してるみたい

人生はギャンブルだ。

とこっそり思いながら生きてますんで。

小さい頃に、これはいいはず。と勘で感じてきたものを、日々経験してるような感じです。
もう既に答えは出ていて、それを経験していってる。

とにかく、知りたいことがあると、昔は雑誌や本を読んだりして情報を集めて、知識だけは豊富で、とにかく日常で実践してみて。
マクロビオティックとかもそうでした。(2004年頃?)大学時代はマクロビなみそ汁をいろいろ試しました。テンペとか、探しまくりました。

でも、自分にピンとくるものがなく、「ダイエット」とか、「健康」とか、いろいろな文言であふれかえる、新しいレシピや食の情報や、いろんなものにうんざりしてきました。

以前、記事にも書きましたが、私は大学時代から、ほぼ1日1食が、自分にとって一番心地いい食餌法だと考えるようになりました。

小学生のときみたいに、ただ、自分の体に必要だ、と感じるものを、とるようにしました。
本や雑誌も読まなくなり、体感することに重点を置いていくようになりました。
好き嫌いの問題ではなく、自分に合わない食材があることにも気づきました。

周りの人に特にこのことについて詳しく話すことはなく、ただの健康オタクくらいに思われていたと思います。
粗食、しかも今で言われる「ローフード」のようなものをなんとなく自分のカンに従って実践してきた私は、「自然食はおいしくない」「そんな食事は将来子供がかわいそう」といわれて寂しい想いをしたこともあります。
わたしにとっては、たべたいものが、野菜であり、果物であり、世で言う粗食であり、私をスッキリとしたベストに近い状態に持っていってくれるもの。
体から、果物や、野菜のカヲリがするんですよw
う○ちだって、健康そのもの。
単純に体が軽いし、思考もサクサク。
それは、これからの時代に必要だと思ったからでもあります。

いちばんぴかぴかしていて欲しい、働く男性陣、体がおもーいとか頭が冴えないとか、
なんだかせつなくなる昨今。
実際、そういう方を見るにつけ、力になれることってないのかと思うようになりました。

身近な人が、病気になったり、そういうことが多かったので、食事に対してより敏感になっていったと思います。
根本から解決しなくては、と。

でも、簡単なことではないし、私は彼らをかえることはできない。自らが変化し、思うことを世に出すのみです。

例えば、タマネギは体にいいから、などよく言われていますが、私にとって大事なのは、タマネギを食べた後の自分の体とこころの状態です。快適か、否か。

体と勘で感じてから、後で本を読んだり、調べたりしてみると、古の人が実践していたことだったり、同じ答えにたどりついた人がいること知ったりします。

勘を磨くと何がいいのか。
単純に、生きるサイクルがとてもシンプルになると思います。
同じ思考の澱みのなかでぐるぐるすることがなくなったり、いろんな場所にいっても
「ここは嫌な感じがする」から立ち入らなかったり、無駄なエネルギーを使うことが減ると思います。
ただ、世の中の、いい、悪いというのは本当に見え方が様々なので
皆さんが想像するような、願いごとがすべてかなうとか、人生がいいことだけになる、とかそういうことではありません。

今の時代は、勘や、なんとなく、なものを、活字にしたり、マニュアル化したり、具体化していかないとほとんどの人が納得しないシステムが成り立っています。
1つの側面しかみていないのとかわりない。
だからといって今のシステムがもたらしたものは、決して否定しません。

今の時点で、私は途上にあり、これから変化もしていくでしょう。

今の私にできることは、いろいろな側面があるということを、多くの人に伝えることかな
と思います。

そのために、私の道をちょこちょこ公開したいと思っています。
興味のある人も、ない人も、ここを通りすがっただけの人も
どうも、ありがとう。

冒頭に今日の朝ご飯をのせてみました。
きょうもスッキリー!!!!!!!!!

そして今日は敬老の日。
こういう行事は、自分のルーツを思い起こすいい機会ですね。
ありがとう!私をつくるすべてのルーツ!


RIE