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オーシママサヒロのブログ『マサヒログ』

オーシママサヒロの日々をご覧あれ。



はじめての
エレキギターで
てるてる坊主。



練習は
某体育館の
駐車場。

前へ進んでいるのか、いないのか。
脂が乗っているのか、いないのか。
そんな2004年を振り返ってみましょう。

2004年 (12曲)
・夜桜見物
・僕と雪のハーモニー
・夢工場 (番外編)
・てるてる坊主
・風
・すれちがいのラブソング
・マトリックス?
・虹
・まぶたの中
・温度計

・君のとなり
・サンバレー那須

色々なことに慣れ、脂が乗ってきたと勘違いをし始めた2004年。そんな「脂」を4つご紹介。

脂 その1
地元の友人と勢いだけでバンド (スペランカー) を結成。「風」「すれちがいのラブソング」「マトリックス?」「虹」を披露。いろんな意味での経験を積む。

脂 その2
Hot Dock、路上にバンドに大暴れ (事件を起こしたわけではない) 。
その結果、「夜桜見物」「僕と雪のハーモニー」「夢工場 (番外編)」「てるてる坊主」など、ようやく曲らしい曲ができる。

脂 その3
同級生の結婚式で歌うために作った「サンバレー那須」を歌に自信のない友人2人を道連れに披露。
きっかけは「人の曲を歌うんだったら自分で作っちまえ」って、脂が乗ってなきゃ出てこないセリフ。ちなみにタイトルは結婚式が行われた会場。そのまんま、安直です。

脂 その4
ギターをコロコロと…。



※すでに手元にはありません。



※すでに手元にはありません。


弾けない理由をギターのせいにしてみたり、物欲を抑えられなかったり、とにかくコロコロと。

と、こんな感じで、今思えば脂が乗っていたというより調子に乗っていた一年。それゆえ、充実はしていました。こんな時期があったから今の自分があるとも言えます。きれいにまとめれば、何事も経験ということでしょうか。

次回は2005年。この調子、どこまで続くのでしょう。

 


【おもちゃのカンヅメへの道 #5】


まだまだ修行中。



キョロちゃんからありがたいお言葉を頂戴しました。

あきらめない!



身の丈に
合わないギターを抱えては
ないものねだりの
2003年。

2003年 (3曲)
・もしも…
・ふたり
・ないものねだり

数が多けりゃいいってもんでもありませんが、前年 (10曲) に比べたらずいぶん物足りないです。
相方さんがいい曲を書いていたから「おれはもう作らなくてもいいや」なんて言ったことはないけれど、思ってはいたかも。
だから少ないのか。そういうことにしておきましょう。

「もしも…」は初めて作った6/8拍子のバラード。この手の曲、とても好きなのになかなかうまくできなくて、いまだにレパートリーは少ないまま。この苦手意識、克服したいです (しろ!) 。

「ふたり」「ないものねだり」はソロで歌っていた記憶があります。この頃のソロ曲といえば、ユニットでやろうと思ったけれど納得いくものができなくて行き場を失った、いわゆるボツ曲。世知辛ぇでございまさぁーねぇ。

次回は2004年。いよいよ脂が乗ってくるのか、こないのか。


【おもちゃのカンヅメへの道 #4】


無欲で開けたがこのざま。



当時のネタ帳をもとにタイトルを書き起こしていますが、懐かしいです。
「そんな曲あったな~」そう思っていただける方はもう皆無に等しいでしょうが、ただただ懐かしいです。懐かしすぎて逆に新しいくらい。
というわけで、2002年の私はどんな曲を作っていたのでしょうか。見てみましょう。

2002年 (10曲)
・終点
・今日から
・青
・笑顔
・さくら
・日曜日
・つくり笑い
・8月4日のうた
・あじさいの花
・うちの親父は競艇選手

 

どうですか、知らない曲ばかりでしょう。

私も知らない曲ばかり (笑) 。ほとんど忘れてしまいました。未熟ゆえ忘れてしまいたかったのかもしれません。

 

路上ライブが楽しくて仕方なくてユニットの活動にも少しずつ慣れてきた頃。初めて音源作りとバンド活動も経験しました。




もちろん、自分で作った曲ですからちょっとは覚えています。よく歌っていたのは「青」。次に「笑顔」「あじさいの花」かな。それ以外はいまひとつ印象が薄いけれど勢いだけはありました。むしろ勢いしかなかったかもしれません。

「うちの親父は競艇選手」…??
おそらく、ネタ的に作ってそのままになってしまったものでしょう。メロディがまったく思い出せない…。音源を残しておけばよかったとちょっと後悔。

次回は2003年。まだまだ続きます。


【おもちゃのカンヅメへの道 #3】


「そろそろ当たるんじゃね?」と思いながら開けるから当たらないのかな。