11月2日に半年ぶりとなる乳腺外科に行ってきた。

行く日が近づくにつれ、ものすごい恐怖が襲ってきていた。またしこりが出来たら、と考えてしまう。

待合室には数人いた。待っている間の時間は長く長く感じて、お腹が痛くなったが、呼ばれては困るからひたすら我慢。

名前を呼ばれ、診察室に入り、洋服を脱いでベッドに横たわり、超音波で見てもらう頃には心臓が早鐘を鳴らしている。ピッピッと計測をしている音がすると、汗が吹き出る。画像を見ると、しこりみたく見えるものが!医師に聞いてみたら、しこりは無いけれど、乳腺が詰まっている、半年後はマンモグラフィーをやりましょう、と言われた。

家に帰ると、またもや乳腺のつまりでネット検索が始まった。不安になるだけなのに止められない。

こういう時は、母が居たら話を聞いてもらえるのに、と考えずにはいられない。本当に、母の闘病中、もっと話を聞いてあげれば良かった、とまた後悔の嵐が襲ってくる。

あの頃の私は、病気の話は極力聞きたくなかった。聞いてもどうにもしてあげられるわけでもないし、何と返事をしていいかわからなかった。お互い、暗くなるだけだと思ってた。

でも、聞いてあげるだけで良かったんだ。返事なんて考えないで、聞くと言う姿勢が大事だったんだ。
きっと、母は辛いとか、病院行きたくないとか、言いたい言葉を飲み込んで、独りで苦しんでいただろうな。

気づくのが遅すぎた。今は自分の番。病気になったわけでもないのに、見えない恐怖が張り付いて離れない。

あー、半年後行きたくない!でも、乳腺症を抱えているから、行かないのも怖い……母さん、助けて!愚痴を聞いて!!



前回までのブログを読んでくだった方、長らく更新できずに申し訳ありませんでした。

結果から先に。胸にあったしこりは良性でした。心底、ホッとしたのも束の間、病理結果が出るまでの10日間でうつ病が相当悪化してしまっていたのです。

乳がんの可能性があるカテゴリー3というグレーゾーン。90%良性と言われても、自分にとっては100か0、黒か白、天と地しかないのです。

乳がんは初期なら治ると言われています。確かにそうなのでしょうが、リンパ節転移や血液にがん細胞が行っていたら、数年後に遠隔転移する場合もある。多くのがんは5年再発しなかったら完治とみなすが、乳がんは10年…。その間、(私は)相当怯えて、暮らすことになる。

ネットで調べれば調べるほど、堕ちていくだけなのに、調べずにはいられなかったです。食欲は皆無になり、砂を噛んでいる気分。睡眠導入剤で寝ることはできたけど、朝から恐怖心でいっぱいでした。病理結果を聞く日が近づくにつれて、布団から出れず、一日横になってた日もありました。

幸いにも、乳がんではなかったものの、健康診断の結果では、血尿、たんぱく尿、クレチニアンでも引っ掛かっていましたので、乳腺外科の次は泌尿器科にも行かなければなりませんでした。

泌尿器科で再度尿検査をしたところ、また血尿で引っ掛かってしまったのです。「一週間後に膀胱のエコーをしてみましょう」と医師から言われ、帰宅してからまたネットで調べてしまいました。

もしかして、膀胱がんなの?再発率も高いと書いてある…。それとも、腎臓に異常があるのか。

次の診察日までの一週間も心休まる日はなく、乳がんの病理結果待ちの時と同様の日々を送りました。エコーの結果は何ともありませんでしたが、一月近く、堕ちた生活を送っていたせいで、精神状態がおかしくなっていました。体の不調を感じると、不安MAXになってしまっていたのです。

ここからは簡潔に記しますが、このあと、胃カメラ→下腹部CT→上腹部CTと検査三昧となりました。

乳腺外科に行き始めてから三ヶ月、体重は8キロも落ち、病気に怯える心気症になってしまいました。

そして、三月に定期検診で再び乳腺外科でエコーで診てもらったところ、新たなしこりが見つかってしまったのです。「95%嚢胞だと思う。小さすぎて判定不可」と言われましたが、経過観察するのも怖すぎて、結局またマンモトームをやることに…。

病理結果が出るまで、また生きた心地のしない日々を送りました。結果は今月始めに出て、前回と同じく乳腺症でした。



ずっと、ブログを更新したかったけれど、言葉にする気力もなく、気づけば半年も経っていました。結局、心気症という心の病を背負っただけで、今も心が死んだような日々を過ごしています。

こんなに死に対して、治療に対して、恐怖で怯える
日々を母も過ごしていたんだな。病院に行って、血液検査したり、レントゲンやCT撮って結果を聞くの、辛かったろうな、と考えては涙がこぼれます。

この恐怖をあの頃の自分は知らなかった…。経験してみて初めてわかるこの感情。今ならもっと違う言葉をかけてあげられたのに、と後悔の気持ちで苦しくなる。

未だに、母のことを考えない日はないのです。

長くなってすみません、文章も支離滅裂かもしれませんが、読んでくだってありがとうございました。

次回から、また母のことを記す独り言を始められたら、と思います。


【注】かなりネガティブな内容です。




6月下旬、午前中に車で乳腺外科へ向かった。ビルの6階にある小さなクリニックで、数人待ちだった。名前が呼ばれ、診察室に入り、健康診断の結果を見せると、「エコーをやりましょう」と言われ、ベッドに仰向けに寝てしこりがある場所を確認。

その後、席に戻り、私が「悪いものではないですよね?」と問いかけると、返ってきた答えは「否定はできないですね」。クラクラと目眩がして、全身が総毛立った。

医師から「マンモもやりましょう」と言われ、そのままCTを撮り、画像が出来るまで待合室に居たが、猛烈な恐怖が襲ってきて、お腹を壊しそうになっていた。そして、スマホで乳がんについて検索していた。

再び、名前が呼ばれたので、恐る恐る診察室に入ると、医師は胸の画像を見ながら「石灰化はないですね」と。そして私に一枚の紙を渡し「しこりはカテゴリー3です。9割は良性ですが、1割は悪性の場合があります」と言った。

一瞬、ホッとしたけれどそうではない、100%ではないのだから!医師は話を続けた。「マンモトームをやって、詳しく調べましょう。午後が手術の時間だからまた来てください」

詳しい説明は看護師から教えてもらった。手術には同意書が必要、術後は入浴禁止だから、先にシャワーを浴びてくると良いなど色々話していたが、私の頭の中はパニック寸前になっていてそれどころではなかった。

自宅に着くと、再び乳がんについて検索していた。恐怖が増す。それでも、シャワーを浴び、同意書を記入して、重い重い心のまま、クリニックへ向かい、16時30分到着した。

診察室に入り、ベッドに横たわった。数ヵ所麻酔をした後、数ミリ程度切開し、太めの針でしこりの部分を吸引していた。

ものの数分で終了し、看護師ががっちりテーピングしてくれ、出血を防ぐため、10分程度体を押さえてくれながら、もし出血が止まらない場合は、救急指定病院にかかること、入浴は当面はシャワーだけが良いなど説明してくれた。

そして「大丈夫ですか?」と声をかけられた瞬間、涙が溢れて止まらなくなってしまった。私は「結果にビックリしてしまって」と泣きながら話した。「もし、悪性の場合、転移してる可能性はありますか?」と聞くと、医師は「ない」と言った。看護師は「こちらでは日帰り手術もしてますよ」と言っていた。

10分が経過してので、私は洋服に着替えて会計を済ませ、帰宅した。この日から病理結果が出るまでの約10日間、生きた心地がしない生活が始まった。