Smile and tears *笑顔と涙*

Smile and tears *笑顔と涙*

自分の思うままに、更新できる時に更新しています。
高い確率で色々吐き出したりしてますが、スルーでお願いします。
社会人になって範囲は広がったけど、心は逆に脆くなりました。
毎日笑ったり泣いたり、今まで以上に感情が忙しくなってますが楽しんでます☆

不安になる。

どうしようもなくイライラする。

頭の中がかき回されるような感覚が続く。

 

周りが全て敵に見える。

ほんの些細なことさえ馬鹿にされているように感じる。

普段ならなんてことない一言も、琴線に触れたようにイライラする。

 

耐えなきゃ。

耐えなきゃ。

 

感情に任せて言葉を吐き出しちゃいけない。

私は感情を表に出しちゃいけない。

表に出したら最後。

誰もいなくなる。

 

耐えなきゃ。

堪えなきゃ。

 

心の内側に溢れ出す言葉は表に出しちゃいけない。

 

 

あぁでも。

 

 

死にたいなぁ。って気持ちだけは、零れていくなぁ……。

新年から5日も終わろうとしていますが、

あけましておめでとうございます。

昨年は1年を通して本当に病んだ一年となりましたが、楽しいこともたくさんあった1年でした。

年末はクリスマスにあしあとのコースターを目当てにクラスタさんとカラオケからの忘年会みたいな形であしあとで食事をしてました。

あとはひたすら寝たりゲームをしたり、フォロワーさん達と遊んだり。

30日は冬コミへ行っていました。

初めてはるかさんのサインをシモツキンにもらって嬉しかった。

「書きやすい名前ある?」って言われたの、今でも面白くて覚えてる。

友達とコミケを後にして、新橋でご飯食べてお茶をした。

椿屋珈琲店に初めて入ったけど制服がとても可愛かった。

31日は原神会で年越し。

幸先のいいガチャだった。

 

のんびりゆったりとしたお正月を過ごしているので、今年はいい年になりそう。

今年こそ、穏やかに過ごせますように。

すっかりブログを書くこともなくなりましたが、ご無沙汰しています。

 

昨年から祖母との不仲と私のストレス、

SNSでの一部の人間関係と私のいざこざ、

コロナ発症、

再びSNSでの人間関係のいざこざ、

気温の急な変化と気候による体調不良。

 

これらが1年間でぎゅっと凝縮されて、生きてきた人生で一番しんどくて辛い1年間となりました。

 

もちろん!楽しいこともたくさんありました。

 

変わらずコミケへ行ったり、

4月には北海道へSNSのフォロワーさんに会いに行き、

ソルジャーさんが住んでいた函館へ行き、函館の綺麗な海を知り、

リア友とデザフェスへ行き、

ドラテンで知り合った方と旅行へ行き、

夏コミへ行き、

羽田空港でシモツキンギルドイベントにも行き、

オルスタにも行き、

SNSでとても仲良くなった友達とホテルで女子会もしました。

 

辛いことよりも楽しいことのほうが、こうして挙げるとたくさん!

周りの人たちに、特にSNSの人たちに助けられた一年だったなぁと本当に実感できる年でした。

SNSは悪いもの!っていう人もいるけれど、

私はSNSは好きなこと・もの同士が集まって、交流の幅を広げてくれる大切なツールだと思っています。

根がネット人間だからそこはネットの時代から変わらない。

これからも変える必要のない部分だなと心から感じています。

(それにしても今年は夏が長かったし暑かったなぁ……)

 

 

さてさて、これはもう日付が変わってしまったので昨日の12日の話。

赤羽ReNYαにて、シモツキンライブがありました。

今回はクラウドファンディングのみの方々の参加で、昨年から決まっていたライブでしたが、今日を本当に楽しみにしていました。

昼公演はLv1リバイバルライブ、夜公演ははるかさんの同人音楽の歴史を辿りながらのライブ。

どちらも全く違う構成のライブで、リバイバルライブはセトリも公開されていましたし、当時はまだ行くことはできませんでした。

 

はじまりのうたから開始して、その瞬間から目が熱くなりました。

今回はブログタイトルにもある通り、同人音楽20周年記念ライブ。

20年経っているというわけです。

とても感慨深いし、20年というと子供が生まれてから大人になるまでですね。

 

こちらで話したかどうかは覚えてませんが、私が霜月はるかさんと出逢ったルーツはこの同人音楽にありました。

当時はMIDIで作成された楽曲たちがたくさん転がっていた時代。

友達にそのことを教えてもらってから、夢中になって色んな楽曲を聞いていました。

その中で見つけた、MUZIE。

「フシギノモリ」というタイトルの曲。

それが、私が霜月はるかさんと出逢った曲でした。

当時も今も幼い頃からファンタジーが大好きだった私は、その曲に夢中になり、ただ当時はパソコンでCDを買うのは危ないからと父に止められていたこと、幼かったためにイベントがあるという知識がなかったことから、私はMUZIEに公開されている視聴曲を繰り返し聞くことしかできませんでした。

(当時の「自由に買い物できない」という制限が災いしたのかわかりませんが、今ではグッズも最前で買いに行くぐらいにはガチなオタクになりましたね……)
 

また20年、私は人生の半分以上をネット民として過ごしていました。

と言っても新しい世界へ飛び込むのが大の苦手な私。

一部の場所に入り浸って、そこで知り合った人達とチャットで毎晩話すことが日課となっていました。

その一部の場所が「カービィの脳細胞」というサイトで、そのチャットで毎晩毎晩話していたのがソルジャーさんでした。

MUZIEの視聴曲を繰り返しリピート再生しながら、ソルジャーさんと話す。

今思えば、ほとんどの人が「根暗」と思うかもしれませんが、実際当時の私は根暗でネットの世界にしか興味もなく、ソルジャーさんと毎晩話してははしゃいでいる子供でした。

そしてそれは、ソルジャーさんが白血病を発症するまで続いていました。

 

20年という長い歳月と、昨年1月の本当に辛かったことが自然と思いだされたからか、開始から込み上げるものがあったのも事実。

でも、「フシギノモリ」のイントロが流れた瞬間、堰を切ったように涙があふれだして、頭の中が楽しかった思い出と辛かった思い出、交互に溢れかえってしまいました。

マスクをしていたから涙は吸収されていきましたが、最後の曲になるまで涙は止まらず、終わってからも度々涙が溢れそうになる瞬間はありました。

お昼公演が終わった後、そのことを周りに伝えるわけにはいかなかったので、一晩経って改めて、あの時背中を叩いてくれたクラスタさんや気遣ってくれたクラスタさん、ありがとうございました。

ライブで泣くって都市伝説じゃなかったんだね……想いはそれぞれだろうけど、一つ、私は大きな区切りをつけることができたような気がします。

人生の中でこの先、「思い出の曲はある?」って聞かれることがあったら、私は迷わず「フシギノモリです」って答えようと思いました。

 

 

昼公演が終わって、夜公演の入場まではクラスタさん達とヨーカドーのフリースペースでお茶。

テイルズの話になりまして、私はテイルズ=腐向けという腐った思考の中で育った人間なので、ゼロロイの話をしたり、ロイプレの二次創作でとてもいい話があったことを話したりしました。

腐った話を展開してしまったことは本当にすみませんでした、反省はしないことにします()

 

 

夜公演は前述にも記した通り、同人音楽の歴史を振り返るセトリでした。

ユラグソラから始まり、その手が象る世界やGeofu、千羽物語~ツナギ蝶と、とても珍しい構成からのスタート。

始まる直前に隣に座っていたクラスタさんが「私、一度でいいからGeofuを聞きたいんです」って言っていて、流れた瞬間視界の片隅でガッツポーズをしていたような、そんな気配がしました。

(おめでとうございます!)

日溜まりの檻が流れた瞬間はテンションが上がって、あの曲は本当にテンションが上がる曲だったので私のテンションも当然最高潮に達していたんですが、次に来たのが「Lonje~もうひとりのボク~」でした。

 

「あの……あの……この、この昂った気持ちとテンションを一気に下げるなんてできないんですがっ?!」

 

って叫びたくなるぐらいの温度差で、何とも言えない気持ちが駆け巡りました。

ライブならではのセトリで面白いなぁ。

その後はゲストの光城さんを招いてのcollage、Patal Letter。

collageはライブ映えする曲で大好きで、Patal Letterはライブ初でしたが、はるかさんと光城さんが互いに手を伸ばすシーンが本当に美しい演出でした。

collageもPatal Letterも同シリーズの曲ですが、

collageは2015年、Patal Letterは2022年でした。

2022年だって……最近じゃん……もっと前かと思ってました……。

その後はcanoueの刻果ての君へ。

この曲は本当に好き。物語も好き。物語のほうは本当に、私はサンドラが好きなのでいつかその曲も……って思います。かっこいいです。

最新の曲として、その後エルダリア~祈り咲く森~、はじまりのパレード。

エルダリアはコーラス、宅録参加させていただきました。

ものすごく難しくて、〆切当日までずっと宅録参加するか悩んでいました。

今は参加してよかったかなと、思っています。

ティンダーリアの話は何よりも一番好きなので、こうして新曲が聞けるのは幸せなことでした。

はじまりのパレードは同人のことを歌った珍しい楽曲。

でも、はるかさんの好きって気持ちが溢れている、同人をしている方全てに向けた一曲かなと思いました。

 

アンコールは声出しOKになって初のおとのはレターと星空アンサンブル。

声出しは本当久々で、今思い出すととても胸が熱くて涙が出そう。

おとのはレターの声出しはこれからもたくさんあると嬉しい。

 

 

幸せな一日でした。

言葉では足りないくらい。

私は霜月はるかさん単推しですが、はるかさんを好きでい続けて本当に良かった、これからも今まで以上に好きって気持ちを持てた、そんなライブでした。

 

 

来週の日曜は追加公演!

あまり土地勘のない浅草だけど楽しみ!




私が中学2年からの大切な大切な唯一無二の友人、ソルジャーさん(現スフィルナさん)が7/5に亡くなりました。

4年前から彼は、目の調子が著しく悪くなったと言いSkype話すことを嫌い、やり取りはTwitterのDMが主になっていました。

彼のお母様から、彼がパソコンのメモ帳で打った『手紙』から、彼が白血病になったということを知りました。


私は、その当時頭が真っ白になったことを覚えています。

同時に、白血病の進行度がどれくらいかはわからないけれど、私にできることをしようと、私はその日から一時退院するまで、彼のお母様にお願いして、メモ帳にその日の出来事などをたっぷり綴って、お渡ししました。


一時退院した後、彼は少しながら会話もしてくれました。

どこか自分勝手な言動が多々増えているところはあったけれど、入退院を繰り返しながら、彼は自身の病気と闘っている様子でした。

私のメイン垢を彼は結局、最後の最後までフォローしてくれなかったので、私の創作垢をほぼほぼ彼とのやり取りのための垢に使っていました。

メイン垢をフォローしなかったのは、彼が私の様子が気になってしまうからだそう。

変な拘りだなぁと思いながらも、彼と話すのは、少しながらも続きました。


病気のこと、自分自身のこと、相変わらずソルジャーさんは話してくれず、病状が悪化していることすら教えてくれず、訃報を私は聞くことになりました。

ソルジャーさんのお母様の話では、昨年のお正月に左目から出血をし、右目も見えなくなってしまっていたことから、3ヶ月ほど視力を失っていたそうです。

ここ最近は体調がよくないため、診察を早めにして薬を変えてもらったところ、夜中に体調が急変して、救急車が到着する頃には、ソルジャーさんの呼吸は止まってしまっていたそうです。

それまでは、お母様とユニクロのマイクラのTシャツでも買おうかなんて、普通の話をしていたそうです。


私のことも時々話していたことを、お母様はお話ししてくれました。

ソルジャーさんという方がどんな子供で、どう育っていったのか、お母様から15年以上の彼とのやり取りの中で聞けなかったことを、たくさん聞いています。

自分のことを話したがらない、少しでも聞こうと踏み込めば怒ったような返信をする。自分勝手。

そんな彼から、私の知っている知人はみんな離れて行きました。


私はただただ、ソルジャーさんと話をする毎日が本当に楽しかったんです。

時々摩擦は起きて、ソルジャーさんはぜっっっったいに譲らないのでこちらが折れることもありましたが、そんなことは気にならないくらいの膨大な時間と文字のやり取りを、私は続けてきました。

彼は私のことをずっと大切に思ってくれていた。

私も彼のことは友人として誰よりも大切に思っていました。

ソルジャーさんと言う人間をお母様から聞いた今、ソルジャーさんが私にあれだけの興味を示してくれていた理由も、理解できました。

今はただ、ソルジャーさんのご冥福と安らかな旅立ちを祈るばかりです。



彼はコミュニケーションが苦手な人だった。

一人を好んでいたわけじゃない。

一人が好きだったわけではない。

一人にならざるをえない環境にいた。

その中で彼は何を思って生きていたのだろう。

その思いを、私は結局知ることはできなかった。

けれど彼が闘病生活の中、弱音も吐かずにいたと聞いて思った。

彼は、たった1人で闘っていたんだろうと。

たった1人で苦しみに耐えて、たった1人で暗闇の恐怖に耐えて。

そんな彼は間違いなく、気高きソルジャーだったと思う。

貴方のHNに相応しい人間であったこと、私は忘れない。

最近、というかコロナになってからはなくなったんですが、ライブやイベント、またはそこから知り合った人とご飯を食べに行く機会が確実に、昨年2月まではありまして。

(昨年11月のシモツキンBDライブとか今年の全国ツアーの各所ではあるので昨年2月までっていうのもあれ?って感じなんですけど)

これは私のご飯に対してのお話です(決して味がまずいとかそんなことは今まで一度もありませんでした)

 

 

元々家族以外とご飯を食べることが極端に少なかった私。

家族は、極力私と夕飯を一緒に食べようと学生の頃(特に中学生)は気を遣っていたこと。

ただ同時に、「朝ごはんを一人で食べること」が幼い頃から自然と当たり前のようになっていたこと。

 

 

夕飯だって、小学生時は父がいない日は祖父母の互いを罵詈雑言、大喧嘩を聞きながら食べていたし(食べる位置的に逃げ場がない)。

中学になってからは朝ごはんを自分で作って食べてさっさと学校へ行って、夜は火・金じゃなければ誰かしら家族がリビングにいたけれど、祖母は私にご飯を作って畑に行ったり、祖父は夜勤だったり、そうじゃない日は遊びに行ってたり、二人そろってる日は争わない日はないってくらい祖母が祖父に口汚く罵っていたし。

 

 

父はいつも黙っていた。

 

 

私が「テレビが聞こえないから静かにしてほしい」ということ、その一言すら許されなかった。

 

 

父と祖父がいない日は、祖母とご飯を食べていた記憶がある。

そういう日は決まって色々話すけど、祖母はその度に「外に声が聞こえるからちっちゃな声で」と私を窘めた。

当時は本当に大きかったのかもと思って静かにしたけど、今思えば私の声は外に聞こえるはずがない。

むしろ祖母の声のほうがよほど聞こえていた。

 

 

学校での給食が美味しかった記憶は、特別支援学校に入学して2年生になって、担任が変わってからしかない。

あの、テーブルを向かい合わせてグループで食べる時間が、私は苦手だし、私は恥ずかしながら食べ方が綺麗じゃないからボロクソ言われるし、嫌いだった。

もちろん楽しくないことばかりでは決してなかったけど、そんなの覚えてないくらい。

 

 

社会人になってから食べるご飯は、朝も昼も夜も、特に昼間は味すらしなくなった。

最初は不慣れな私のために祖母が作ってくれていたけど、味しないし美味しくない。

祖母が胆石で入院してから今日まで自分で作ってるけど、美味しいと感じたことは残念ながら一度もない。

味はしているんだけど、「食べている」という感覚だけしかない。

 

 

ライブに行き始めてから、イベントに行き始めてから、家族以外・友達以外の人達とご飯を食べる機会が増えた。

自分が人前でご飯を食べることに緊張感のようなものも最初はあったけど、自然とお酒を交わしながら楽しそうに飲んだり食べたりしてる人達を見て、そのうち味もわかるようになって、とても美味しく感じるようになった。

 

 

変な話、家での食事に関して私は自分の舌に合わないもの以外を「美味しくない」と言ったことはなくて、実際祖母の料理は味だけで言うなら美味しかったし、今も好き。

でもいつも、心のどこかで「おいしくない」と感じながら食べてた。

 

 

その原因が、ライブの打ち上げや、誘ってもらった宴会を通して回数を重ねてきたことで、ここ最近また何を食べても「おいしくない」と感じていたことで、ようやく理解してきた。

 

 

家では常に祖母の醜い言葉が放たれる中での食事だけれど、外で食べる食事は誰一人醜い言葉を放つ人どころか、楽しい話をする人たちしかいないから。

 

 

これも少し考えればわかることなのかもしれないけど、「食事の雰囲気」って私が思う以上に大切で、「おいしい」ご飯と「おいしい」雰囲気がなければ、どれだけ「おいしい」ものを食べても、舌が「おいしい」と感じても「おいしくない」に変換されてしまう。

 

 

祖父が亡くなる前、祖母が本当に口汚くて、祖父がかわいそうなのもあるけど、それ以上に食事の席で言いたい放題の祖母を見ていて、何を食べても気持ち悪さしかなかったし、味すら感じられなくなっていた。

 

 

最近の祖母は完全に、今まで以上に、ボケが少しずつ少しずつ進んでいるのもあるのか、耳が遠いせいもあるのか、会話にすらならないし、こちらが言っても自分の頭の中で変換して喋るから嚙み合わないし、そのせいでまた少しずつ、味が感じられなくなってきている。

 

 

本当は「おいしい」味のご飯なのに。

 

 

どれだけ「おいしい」と頭で思っても言葉にしても、食事の雰囲気には勝てなくて、「おいしくなかった」と食べた後感じてしまう。

 

 

「ばあちゃんがいなくなれば今よりずっと楽になるよ。

 それまでの我慢だよ。」

 

 

父が常に、特に祖母関連でパニックになった私に言う言葉。

 

 

祖母が亡くなって自由になったら、夕飯の味も「おいしい」と感じられる日が来るのかな。

 

 

私が「おいしい」と感じられるご飯は、家の中ではもう来ないんじゃないかな。

お久しぶりです!

2月から色々、本当に色々ありまして、

私の心も体も安定せず、ようやく(心だけ)少し落ち着いたかなぁってところまできました。

体のほうは絶賛ボロボロなんですが、心が元気なので元気にやっています。

箇条書きで失礼しますが、2月以降の出来事まとめ。

 

 

・フォロワーさんと喧嘩(色々あって色々あったけど今現在は仲直りしています)

・祖父が旅立ちました(とてもかっこいい改名をいただきました)

・同じ月の最後の土日、叔母といとこの子供と友達と友達の子供が家に泊まって久方ぶりに賑やかな日となりました。楽しかった。

・その翌日父が体調崩し、さらに翌日私が体調崩して親子揃って2週間寝込む。

・大型連休は新勝寺行ってきました。我が家はこの宗派だそうです。

・シモツキン全国ライブ青山公演!楽しかったー!久々のスタンディング足が死んだー!

・ルンファクコラボカフェへ。付き合ってくださってありがとうございました!最高に幸せでした♡

・初遠征in名古屋!父が連れてってくれたので行きも帰りの車の中もただただ助手席でゴロゴロしてました。名古屋のタクシードライバーさん、最高に親切で優しかったです!その節はありがとうございました!

 

 

思ったより色々ありましたが、やっぱり一番大きいのは祖父が旅立ったことかなぁと思います。

Twitterで散々言ってもうスッキリしたのもあるので軽くお話になりますが、3月13日12時10分、搬送先の病院で祖父は生を終えました。

1月から一気に加速していたので(お風呂の中で溺れかけて正月から搬送されたり)、父も祖母も今年いっぱいは~と言っていましたが、3月に入ってからただ動いてるというだけのような状態で、最後は朝ごはんを食べるために、自分で入れ歯を入れようと洗面台に行って倒れ、そのまま息を引き取りました。

祖父のお世話は祖母が行っていましたが、父も私もほとんどそれに携わることなく、祖父は最後の最後までしっかり自分の足で歩いていました。

 

今頃おじさんと毎日お酒を楽しく酌み交わしてるのかなぁ?そうだといいなぁ……なんて思いながら、毎日仏壇に目を向けつつ過ごしています。

 

 

それから先述にもあった通り、私も父も寝込んで以降は私の心の不調が続いていたのですが、最近は梅雨も明けたからか心は元気になってきました。

ただ、名古屋遠征の少し前から膝に痛みを感じ、サポーターをして過ごしていましたが、今度はぎっくり腰をやってしまい、膝の痛みも比例して強くなったので、しばらくは病院通いをすることにしました。

通うところ増えたなー……

ちなみに、膝の痛みは軟骨がごつごつしてて、それが骨と骨が擦り合って発生するものからだそうです(理解できなかった

昨日になりますが、31歳の誕生日でした。

働きたくないので休み取ってのんびりしてました。

TwitterやLINEのほうでもお祝いの言葉をいただいて、本当に感謝しかありません。

ありがとうございました。

 

 

お正月からとてもとても嫌なこと続きでした。

でもそれに勝っても有り余るくらいのお祝いの言葉をもらえました。

また一年ゆるゆるになりますが、自分の人生なので気負ったりせず、のんびり生きていこうと思います。

2020年、思い返せば例年以上にあっという間に過ぎたなぁ。

そんな風に感じた一年でした。

そして今年は、不思議と「他人の悪意」に触れることの多い年にもなったなぁと、直近で私自身に向けられた悪意があったので、今一度振り返って、「こんなこともあったなぁ」と思い返していました。

他人から向けられる悪意ってすごいですね。

直近であったことはTwitterの元フォロワーさんからされていたことで、フォロワーさんを介して謝罪の言葉はいただいたのでこちらでは伏せます。

色んな人から相談受けたし、話も聞いたし、その中で生まれてくる悪意も多くて、人って色んな感情を持って生きていることを改めて思い知りました。

私自身もイライラするし、怒るし、悲しい時や辛い時は泣くけれど、人から向けられる悪意や放たれたマイナス感情って、「自分の中で折り合いがつくまで」本人の中では止まらないんだろうと思います。

それって向けられたほうはとても怖いですよね。

何よりも、私自身が向けられたものはこのブログの中にある10年前の記事からのものだったので、とても混乱したし、とても困りました。

そしてそのことを、自分ならまだしも他人が好き勝手に捻じ曲げて吹聴していいことではないと感じました。

 

 

でも今年は、それと比例する形で楽しいことも多々ありました。

自粛期間中でしたが、GO TOを利用して岐阜へ旅行へ行ったり、

日光のいろは坂へは2回も行くことができました。

山形、福島、栃木(日光)へ3県跨いでの旅行もとても楽しいものになりました。

11月のシモツキンライブに当選したのは本当に幸運だったし、楽しくて楽しくて忘れられない一日になりました。

来年もシモツキンイベント、参加できたらいいなぁ……新しいシモツキンへの動きもあるとお聞きしたので、Lツキン数体分の用意も考えていこうかなって思っています。

何よりコミケ行けたらいいなぁ……同人イベント本当行きたい……

イベントの空気を(マスク越し)にたくさん吸いたい。

来年はそんな一年になれることを祈って生きていきたいと思います。

 

 

ここまで読んでくださってありがとうございます。

皆さま、良いお年をお迎えください。

そして来年もよろしくお願いいたします。

(カバーの写真は先日食べたメロンパンクロワッサンです。サクサクふわふわで美味しかった。)