我思う、故に我あり

我思う、故に我あり

そして誰もいなくなった

インターネットの遺構。

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前回の記事から少し経って、今は仕事の真っ只中なんですね。

まぁ面倒くさいというかやる気でない仕事でございまして、さぼってます。

前回触れた、私のバイクはもうとっくの昔に届いて乗り回してますよ。

1300ccもあると流石に重いんですよね。ガタイでぶん殴ってる感じですよ。

 

前回、10年前の話をしてちょっとしたアクションも頂いて「なるほどなぁ、時間の経過とは恐ろしい」などと思った次第です。

 

責任分界点とは、その文字のとおり責任を分けている点のことで、電気設備の維持管理などについて、電力会社とお客さまの保安上の責任範囲を分けている点(場所)をいいます。

 

出典:関東電気保安協会

 

 

少し余談ですが、私の仕事にはあまりかすっていないけど、かすってる、知ってるようで知らない話をしましょうか(いやね、マジでやりたくない仕事すぎてやる気が起きんのよ)。

皆さん、インターネット、特に有線回線はおうちに引き込んでいますでしょうか?

 

まぁ雑に書いたらこんな感じで有線回線は引き込まれるわけですよ。

(ここでタイトル回収)回線屋さん(いわゆるNTTですね)と皆さんとの間での「責任分界点」はどこにあるのでしょうか。

 

ちなみにモデムとか書いてますが、光回線ならONUですね。NTTのロゴが入った黒いやつとかあればそれがそうです。

こんなやつね。

 

そのモデムやらONUやら、NTTのロゴマークが入ってますが実はこれは契約者に「貸与」されているものなんですよ?

知ってましたか?なので、引っ越しとかで契約終了するときには返還する義務があります(世の中、不思議なもんでこれAmazonで売ってたりするんですよね。なんでやねん)。

 

で、本題に戻ろう。

 

ずばり責任分界点は真ん中の赤丸、家と外の間です。

なんだーそれだけかぁ。と言わずにまぁまぁ待って下さいよ。

 

この責任分界点のところではなかなか面白いことが起きているんです。

実は、責任分界点の部分のケーブルの接続はめっちゃ切れやすいんです。

 

確かにケーブル切れたら困るじゃないですか?インターネット使えなかったから、インターネット中毒なみんなはもう死を覚悟するわけですよ。

でもケーブルが切れなかったからもっと困るんですよ。

 

想像してみてください。

家の外、例えば電柱をトラックがなぎ倒すとします。電柱が倒れれば当然ケーブルはめっちゃ引っ張られます。

もしケーブルが超頑丈だったら?引っ張られたケーブルは、それこそその先で有線接続されているONU、ルータ、そしてその先のPCやPS5...みんな引っ張ります。

家の外で起きた事故で家の中がシッチャカメッチャカになるわけです。

 

そんなことを防ぐために簡単にちぎれるようになっているんです。

もしちぎれなかったら責任分界点のお外(つまりNTTで責任を負う範囲)のアクシデントが責任分界点の内側に影響を及ぼす、困ったことになるので、ちぎれやすくなっているわけですね。

 

なもんで、台風とかで案外簡単にNWが遮断されることもまぁあるんですね。。。、まぁ困っちゃいますが、ちぎれてセーフと。。。思うことに。。。できないかなw

 

他にも電柱の線の種類の見分け方とか、工事できない賃貸だけど光回線引きたい!どうしよう!ご安心ください!な話とか色々あるので気が向いたらまぁ書きましょう。

さて、妻を迎えに行って、そこからね。お仕事再開といきましょうか。やりたくないですね。

 

あ、ちなみに本業は工事関係...じゃないんですよ。IT系のエンジニアしてますよ、自由気ままな。と言いつつ、まぁ色々あってお電話やインターネットにも少しだけ詳しいんですね。

 

もし私の友人が家を引っ越す、あるいは建てる...色々お家関係のイベントが起きたとき、インターネット関係にお困りがあればお声がけください。

ご相談にのりますよ(マルチとか勧誘じゃなくてね、友人として。。。年々友人が失踪して寂しいんだよね)。

 

みなさーんお元気ですかー。

例えばもし、10年前に戻れることがあるとしたらまずは何をするだろうか?

 

今日3回目の流行病のワクチン接種を受けてきた。

1,2回目がコミナティ®、そして3回目の今日はスパイクバックス筋注®だった。

 

注射自体、別に痛いことはないし今も副反応にさほど苦しむこともない。

むしろ春のメンタリティのほうが私を苦しませている気がする。

 

気がつけばもう26歳、立派なおっさんになっていた。

今から10年前くらいにこのブログを書き始めた。

その頃に戻れることがあるとしたら何をするだろうか?

 

あれから色々なことが変わった。

人生は予期せぬ出来事の連続だった。

 

とうにオリンピックは過ぎ去って、気がつけば選手村は分譲マンション化のための工事が日夜進んでいた。

それどころか舞台はいつの間にか東京から北京に移っていた。

 

あの当時、まだかまだかと世間のオタクどもを賑わわせたエヴァンゲリオン、あるいはヱヴァンゲリヲンの新劇場版シリーズはいつの間にか完結していた。

 

皆さんはお元気でしょうか?

ふと何人かの、あの当時私と関わりのあった何人か、あるいは何十人かのその後の人生が気になったのだった。

 

私のことをもし覚えていたらお声がけ頂ければ幸甚です。

せっかく春なので少し昔話をしたく思います。

でも、寂しいことにほとんど誰も覚えていない、思い出せないことでしょう。

 

超大昔:524少将

昔  :悪音クロ

この間:DJ Kuro++

最近 :クロ

 

はい、めちゃくちゃ恥ずかしいヒントです。

こんなお名前使ってました。子孫にはバレませんように。

 

P.S.

妻が食べていたてりたまバーガーを一口食べたんだけどね、思ったより美味しいね。

てりやきバーガーアンチ卒業します。

 

P.S.2.

バイク買ったんですよ。いつ納車されるんでしょうかね。

自分が日本に来てから(もとい、産まれてから())、どんな瞬間を眺めてきただろうか。


大きな話で言えば営団地下鉄にサリンが撒かれて、阪神にデカい地震が来て、長野オリンピック。そして東海村、アメリカの同時多発テロ、対テロ戦の時代、、中越沖地震、リーマンショック、東日本大震災…そして今東京オリンピック。どれもこれも自分には関係ないところで、ふわふわとしたドラマとして流れていた。


自分の話は難しい。ひとつひとつが大きいように感じるし、ひとつひとつがもう過去のことにも感じる。


明日の過去たる今日は妻とオリンピック開会式を眺めてる。

数年後、記憶に残るのはなんだろう。可愛い妻か、美味いビールか、安い冷麺か…。


10年くらい前の記憶はどちらかといえば重大な罪悪感とかそういうことの方が残る。でも多分その当時はそんな風には感じなかったので、厳密には後から…そう感じるようになったのか。


おすすめのウイスキーはノブクリークです。機会があれば他にもいくつか。


P.S.

関東の夏はどこにいても暑い。

ご無沙汰してます。

クロです。

 

最後に記事を書いてから何が変わっているでしょうか。思いつく限り...

結婚しました

  • ネズミの国に住み始めました
  • ITエンジニアとして死にかけました
  • ITエンジニアとして花形な感じになりました
  • 母親との関係が崩壊しました
  • 比較的毎日が幸せになりました
  • 身体に若干問題がおきました
こんな感じでしょうか。
 
結局、最後に記事を書いて以来順当に生きてきたつもりです。
 
もし、もし、この記事を今見ている古い友人がいたならTwitterとかに連絡してはくれないだろうか。
コロナ鬱とまでは言わないが、色々と思い出すこともあったりして久々に見たい人がいっぱいいる。積もる話もしたいし聞きたい。