妻momoです

 

義父は、義母と共に、老健でお世話になっていました。

5月には満98歳の誕生日を迎え、白寿のお祝いをしました。大きなケーキを「美味しい美味しい」と言って全部食べるほど元気でした。「早く家に帰らんとなあ」が、口癖でした。

6月に入って元気がなくなり、食欲がなくなってきた義父。一週間の外泊許可をもらい、家で過ごすことになりました。看護師さんと介護士さんが毎日来てくれて、必要なケアをしてもらうことができました。遠くに住む義姉も泊まり込みでした。お気に入りの庭を眺め、食欲も出て、家族や親戚と会話して穏やかな時間を過ごしました。

帰る前の日、急に食欲がなくなり、体調も不安定になりました。そして、老健に帰って三日後、夫と同じ21日に、義父は旅立ちました。老衰でした。

 

夫と同じ日を選ぶなんて。半年しか違わない親子の命日を覚えやすいようにしてくれたのでしょうか。働き者で、周りを気遣う義父らしいです。戦争で爆撃に遭い被爆もした義父、一酸化中毒も脳梗塞も乗り越え、運を味方につけた人生でした。1年前、夫の体調が思わしくなく、両親の介護が十分できなくなりました。両親に老健入所をお願いしたところ、「分かった。行こう。」と、渋る義母を説得してくれてありがたかったことを思い出します。

 

葬儀の日は、喪主を務める息子の子どもが生まれる予定日でした。どうぞ重ならないでと祈るばかりでした。お腹の子も分かってくれたのか、生まれたのは一日早く、通夜の日の早朝でした。数時間前には、お母さんのお腹の中で、ひいおじいちゃんにお別れをしに来てくれていました。

生まれるのに一番良い時を選んでくれ、息子も付き添うことができました。義父にとっては11人目のひ孫。夫にとっては3人目の孫です。夫にもお腹の中に宿ったことは知らせていたのですが、会うことは叶わずでした。

 

義父が亡くなって3週間です。長い長い時が経ったように感じます。夫と義父はもう出会ったでしょうか。どこも痛くない体で、久しぶりに親子の会話をしているのでしょう。残された妻たちのことを心配しているかもしれません。

 8月には二人の初盆です。戸惑うことばかりだけど、二人が助けてくれると信じてがんばります。


 

闘病中の皆さんの明日が希望の日になりますようにと祈っています。

 

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妻momoです。

旅立つ少し前、食卓で食事がとれた頃、夫がいいました。

「僕、こんな状態でよく頑張ってると思うわ。」

「うん、そうだね。すごく頑張ってる。」としかいえなかった私。

腹水が増え、不快感が治まらず、それでも懸命に普段通り生活しようとしていた夫。

なかなか改善されない不快感に、「いつまで続くんだろう」との不安がだんだん大きくなっていくようでした。

門脈の通りがよくなって、肝臓の働きが戻れば回復するとの思いで、漢方を飲み、氣を当て、抗ガン剤にもチャレンジしました。体力が落ちてきてからの抗ガン剤は、夫には合いませんでした。不快感を和らげるための麻薬系の薬も適量を見つけられませんでした。氣を当ててもらうと身体が軽くなり、気分も楽になるようでした。足の浮腫がとれて、ああこんなに細いんだとびっくりもしました。

 

地元の主治医の予想を裏切り、夫は、1年半とても元気でした。

主治医は、「抗ガン剤も使わずにこんなに調子よい人を診たことがない。漢方がよほど合ってるんですね。」と、不思議だけどと言いたげな顔でした。

膵臓癌と分かってから2年半。5年後にぴんぴんしているという願いは叶わなかったけれど、夫は夫らしく生きました。

一度も使うことはできなかったけれど、春からの畑仕事用に眼鏡をあつらえ、直接渡すことは出来なかったけれど、友人へのプレゼント用にネットで小物を注文していました。まだまだいろんなことをしようと思っていたことが分かります。残してくれたものもたくさん。

畑仕事の歳時記。季節ごとの置物や掛け軸のことを書いたプリント。鞄の中は整理され、書類ケースの中には、後の手続きに必要なものがすべて入っていました。鞄の中に財布が3つ。どう使い分けていたのでしょう。几帳面だった夫に聞いてみたいです。保険請求の手続きも自分でしていました。

玄関には、夫が作った紙粘土の人形が置いたままです。作ることを楽しんでいた夫の姿が浮かびます。

 

夫が旅立って、時の流れが止まったようなこの半年。私だけで毎日食事をして眠っていることが不思議でさえあります。あの時ねんねしてばかりだった孫が、つかまり立ちをするようになっています。やはり、時は流れています。

 

「お父さん、ほんとによくがんばったね。病気が分かってからの2年半、ずっと一緒にいられたことが本当に幸せでした。」

最後の入院の時、「一人じゃないからね。ずっと一緒にいるからね。」って、何度も呼びかけたんだけど、今は夫が、「一人じゃないからね。ずっと一緒にいるよ。」って、言ってくれているような気がします。

会いたいな。一緒に暮らしたいな。今日は七夕。夢に出てきてくれるかな。

 

 

新しい治療法がどんどん研究されています。早くみんなが使えるようにと祈るばかりです。

闘病中の皆さんの明日が希望の日になりますように。

 

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妻momoです。

先日まで、一人暮らしの我が家に、娘と孫が滞在していました。4月末に体調を崩した娘が,、静養のために里帰りをしていました。

 

夫は、昨年10月22日に生まれたこの孫を一度だけ抱っこしました。そして、ちょうど2ヶ月一緒に暮らしました。毎日「おはよう」と、「おやすみ」を言う時には、がんばって笑顔の夫でした。

最後の入院の時には、孫も泊まり込みでした。ずっと一緒にいてくれました。納棺の時には、2ヶ月だった孫が両手を合わせるような仕草をし、涙があふれました。

その孫ももう7ヶ月です。いつの間にか、夫と一緒に暮らした日々よりも長い時間が経ってしまいました。寝返りをし、離乳食を食べ、声を立てて笑う様子を夫は見てるかな?まもなくはいはいもしそうです。側にいたら、きっと笑顔であやしてくれるだろうなと思います。

 

娘も元気を取り戻し、穏やかな時間が流れていきました。娘と一緒に暮らしていると、毎日、夫のことを話題にし、ああだこうだと思い出を語れます。共に語ることで私の心を慰めてくれます。この4週間の娘達との暮らしは、元気を出しなさいと夫が考えてくれたのかもしれません。涙も出るけど、夫との思い出を確かめられていました。一人で暮らしていると、大きな声で話すことも笑うこともありません。独り言ぶつぶつになってしまいます。

 

一人でも生きなければと分かっていても、先への道がまだ見えない私です。

娘達の手助けをする仕事が残っているのかな?白寿を迎えた義父と、来年白寿を迎える義母、畑仕事をがんばる卒寿の実母がいます。親孝行もしなくては…。

 

泣いて暮らしても、一日は過ぎていきます。夫と一緒にするつもりだったことを一つずつやってみようかなと思います。夫のためにではなく自分自身のために。その方が夫は喜ぶかな。

 

元気を回復し、娘は自分の家に帰りました。急に寂しくなった我が家ですが、仕方ないですね。一緒に暮らした4週間が夢のようです。これからは、片道1時間半かけて、時々娘のところに通うことにします。孫の顔を見ることが私の精神安定剤になりそうです。

 

闘病中の皆さんの明日が希望の日になりますようにと祈っています。

 

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