ジャーナリズムのあり方
久々のブログとなりました。
今日のテーマは、ジャーナリズムのあり方についてです。
任命からわずか9日でスピード辞任となった松本龍復興担当大臣の問題発言に関するマスコミの報じ方を見ていて、私なりにちょっと感じたことを書きたいと思います。
一連の問題発言は、あっという間に日本中を駆け巡りました。
しかし、はじめて一連の発言が報道されたとき、多くのマスコミは、「オフレコ発言」部分をそのままオフレコにして報じていなかったようです。
ただ1社だけ、問題の「オフレコ発言」をそのまま報じた会社がありました。
地元の放送局、東北放送です。
大臣は、この問題発言を「書いたら、その社は終わりだ」とマスコミを威嚇していましたが、この脅しのようなコメントに対し、東北放送は屈することなく大臣の発言をそのまま放送しました。この放送後、ネットの動画サイトで放送内容が転載され、瞬く間にネット上で大臣に対する痛烈な批判が数多く寄せられました。
これを受けて翌日から他のマスコミも報道し始めることになり、その後あっという間の辞任劇となったわけです。
結局「終わった」のは、取り上げた報道機関ではなく、発言した本人でした。
私が高く評価したいのは、最初に報じた東北放送です。
権力に屈することなく問題の事実をありのままに報道するジャーナリズム精神があったということでしょう。そして、その報道を見た人びとは、その事実に対する評価をネット上に書きあらわしました。
逆に、当初は取り上げなかったマスコミの「報道しなかった事実(カットした事実)」を私は重く見たいと思います。
取り上げなかったマスコミは、どういうリスクを想定したのでしょうか。
むしろ、マスコミの報道機関としての責務から考えれば、報道しなかった(つまりカットした)ことは重大なことではないでしょうか。
東北放送は被災した地元の放送局として、この発言を「これはおかしい」と認識し、勇気をもって事実をそのまま報じたのでしょう。
この報道は、ジャーナリズムのあり方を考える材料になるのではないでしょうか。