16日の撮り鉄記・・・その③ | ヘタレ車掌の戯言

ヘタレ車掌の戯言

毎日惰性だけで生きているヘタレ車掌の日常です。

~前回記事の続きです~


藤森から光善寺に移動です。

光善寺駅にて下車、枚方公園駅寄り2つ目の踏切で撮影開始です。

この区間では、樟葉駅~淀屋橋駅間運転の急行も来ますので、藤森よりは列車本数も多くなります。


ヘタレ車掌の戯言-京阪2270 光善寺~枚方公園 2012.9.16

2200系2270の中之島行き準急

この車両は前回記事の2275よより後の車体改修施工なので、前面窓支持がHゴムではなく金属枠とゴムパッキン支持となっているほか、前面下部の標識灯もガイコツ型の赤/白(電球色)切替型から赤/白分離型になっています。この車両の前面非常扉は本来のものではなく、事故で損傷した際に2400・1000系用の予備品と交換したものです。


ヘタレ車掌の戯言-京阪2833 光善寺~枚方公園 2012.9.16
2600系2833の中之島行き普通

2600系は1978年から1982年にかけて、昇圧工事の困難な2000系スーパーカーの車体と台車を流用し、電装品を新調し冷房装置も搭載した車両です。700系→1000系同様、改造種車の2000系を廃車して新造車扱いとして改造されています。その他にも旧型車代替のために完全新造車として1981年に7両編成4編成が導入されており、この2833はその完全新造車に属する車両です。

車体流用車は、編成組成に自由度を持たせるために、2・3・4両固定編成とし、これらを組み合わせることで営業列車で存在する4・5・6・7・8両編成を組成します(現在、6両編成での運用はなく、8両編成も2600系ではみられません)。完全新造車は、一時期車体流用車との混成もあったものの、現在は完全新造車のみで組成された7両編成で運用されています。

組成に自由度が高いため、京阪本線の急行から交野線や宇治線などの支線運用にも充当されていましたが、車体流用車の車体の経年が高い(1959~1966年製造)ことや支線のワンマン化により活躍の場が狭まりつつあり、現在は平日朝夕の“おりひめ”“ひこぼし”用の5両編成を除けば支線運用もなくなり、京阪本線の急行、準急、区間急行、普通での運用が主体となっています。

ヘタレ車掌の戯言-京阪5604 光善寺~枚方公園 2012.9.16
5000系5604の淀屋橋行き普通

5000系は、1970年に登場したわが国初の5扉車です。

当時の架線電圧600Vという中では7両編成が限界とされ、その7両編成で輸送力を増やすために前例のない片側5扉の5000系が誕生しました。車体は片側3扉の従来車以上の乗車があることを考えつつ、ピーク時の総重量増加を抑えるためにアルミ製としてあります。但し、アルミの地肌ではなく普通鋼車体同様、塗装を施してあります。平日朝ラッシュ時以外は3扉車として運用するため、車端から2番目の扉(片側2箇所)は締切扱いとなり、5扉運用時に天井に収納されている座席がセットされます。このあたりの構造は、京阪と製造メーカーである川崎重工の特許になっていました。外観上は、平日ラッシュ時のみ使用の扉は、上半部がアルミ地肌(ステンレスの車両もある)とし、構造上、座席使用時に必須となる日除けカーテンが設置できないので、窓が熱線吸収タイプのガラスとなっています。

1970年と1971年に導入された2編成は4両編成と3両編成に分割可能な組成としていましたが、1971年に導入された3編成目からは7両編成で導入、1980年までに合計7編成が導入されました。

1983年の架線電圧昇圧により8両編成の運転が可能となったことから、以後は編成増強での輸送力増強へシフトすることとなり、5000系の増備も後継の5扉車導入もなく推移しています。

1997年から車体改修が実施されましたが、2400系や1000系のような大掛かりな前面形状変更はなく、内装更新とバリアフリー対応がメインとなっています。この車体改修では、4両編成と3両編成の組み合わせとなっていた2編成の組成変更と不要となる運転台の撤去が実施されています。

現在は京阪本線7両編成の急行、準急、区間急行、普通に運用されています。

京阪電車の駅時刻表には、編成両数のほかに扉の数が表示されていますが、3扉車としての運用列車では3扉車の表示(|||)、5扉運用列車では表記なしとなっていますので、5扉運用列車はわかりやすいかと思います。

余談ですが、この5604の編成の反対側(京都方)先頭となる5554号車は、1980年の置石事故で大破して廃車となった車両の代替新造車です。


ヘタレ車掌の戯言-京阪6051 光善寺~枚方公園 2012.9.16
京阪6000系6051の淀屋橋行き普通

6000系は、1983年の架線電圧昇圧に向けて、昇圧改造を施工せずに廃車する旧型車の代替用として1982年に登場しました。車体はアルミ製の塗装仕上げで、前面の車掌側がぱっくり開く非常扉や、今までの京阪になかった大型の下降窓など、既存の車両からガラリと印象を変えた電車でした。

昇圧前から4両編成で宇治線などで暫定的に運用を開始し、昇圧とともに本来の姿である7両編成となって、京阪本線の新しい顔として活躍しました。

1988年には、VVVF試作車が登場(1993年に7000系に編入)しています。

7両編成が14編成導入され、その後8両編成化するため全編成に中間付随車を追加しています。

1993年に導入された2代目6014は、VVVF制御の初代6014を7000系に編入するための補充として作られましたが、車体形状は7000系と同様になっており、6000系きっての異端車となっています。

6000系は結果的に14編成全編成が8両編成となりましたが、その後の車両需給の関係で一部編成が7両編成に戻っています。画像の6051は7両編成で運用されています。

登場から30年が経過しますが、今もなお京阪本線の特急(ラッシュ時)、急行、準急、区間急行、普通などに運用されています。経年から考えると、本格的な車体改修があってもおかしくない時期にきていますが、現状ではそのような動きは見られません。
ヘタレ車掌の戯言-京阪6053 光善寺~枚方公園 2012.9.16
6000系6053の淀屋橋行き急行

この編成は、8両編成なので車掌側前面窓に8両編成を示す“8”のステッカー表示があります。


ヘタレ車掌の戯言-京阪7052 光善寺~枚方公園 2012.9.16
7000系7052の中之島行き普通

7000系は1989年から導入された車両です。

一見、6000系とどこが違うの?と突っ込みたくなるところですが、7000系は6000系6014で試験的に採用したVVVF制御を本格的に採用した車両です。車体も窓部に傾斜のついた前面が機器配置などで具合が悪かったのか垂直になったとか、洗車機での車体洗浄時に窓の隅にブラシが当たりやすいように段差を小さくしたなどの細かい変化があります。

当初は7両編成1編成と4両編成2編成(だったかな?)が導入されましたが、後に7両編成に統一されました。

1993年には4編成目が登場しましたが、この編成の京都方3両は6000系VVVF試作車6014編成からの改番車で、車体形状が異なります。

2008年頃に車体改修ではないもののバリアフリー対応の改良工事が実施されています。

現在は、京阪本線の急行、準急、区間急行、普通などで運用されています。


ヘタレ車掌の戯言-京阪7253 光善寺~枚方公園 2012.9.16
7200系7253の中之島行き準急

7200系は1995年に登場しました。

7000系を基本としつつ前面窓が大きくなった他、客室からの眺めもよくなるように特急車8000系ばりの大きな仕切窓となっています。

運転台は2ハンドルながらも初代3000系のようなレバー式となり、以後京阪電車の標準となっています。

登場した1995年といえば、とっくにバブル時代から脱している時期のはずですが、客室の側窓はパワーウインドウの採用など、バブルっぽい要素が・・・(笑)

この形式の大きな特徴は、そんな見た目ばかりでなく支線運用にも充当できるように、容易に中間車を抜いて短編成化できる編成構成にあったりします。

現在は基本的に7両編成で、京阪本線の急行、準急、区間急行、普通などに運用されています。



ヘタレ車掌の戯言-京阪3052 光善寺~枚方公園 2012.9.16
3000系3052の淀屋橋行き特急

後の方に、チラリズム的にひらかたパークの観覧車やジェットコースターが見えるのですがわかりますか?


ヘタレ車掌の戯言-京阪8056 光善寺~枚方公園 2012.9.16
8000系8056の淀屋橋行き特急


ヘタレ車掌の戯言-京阪8081 光善寺~枚方公園 2012.9.17
8000系8081の淀屋橋行き特急


この場所は16時ごろで引上げて、泊めていただいた友人との待ち合わせのなんばへ向かい、なんば・日本橋界隈の模型店を散策し、居酒屋で食事をして解散、なんばからの夜行高速バスで帰路に就きました。


余談ですが、東京近辺の名の知れた割引販売の模型店で見かけなくなったトミックス72・73形鶴見線セットですが、日本橋界隈では普通に2割引程度の価格で売っていますよ!