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「スマホシフト」で起こること

 先月の日経新聞電子版に「パソコン使えぬ若者世代 卒論もスマホで」(2014年11月25日)という記事がありました。この記事によると「スマートフォン(スマホ)の普及で、10代はパソコンを使わずすべてをスマホで済ますようになった」のだそうです。確かにLINEやTwitterといったSNSの利用や動画や音楽の視聴、ネットショッピング、ゲーム、写真や動画の撮影などスマホ一台あれば大抵のことは出来てしまいます。特に隙間時間には大いに役立つでしょう。

 この記事で驚いたのは、大学生のコメントを引用して「予測変換が出るから長文でもパソコンより早く入力できる」という理由で、レポートや卒論の作成にスマホを使うとあったことです。自分が学生だった頃は手書きで作成に多くの時間を要しましたが、間もなくワープロが登場し、その後ウィンドウズ95やインターネットの普及を機にパソコンが一気に広がりました。パソコン一台で文書の作成をしながらインターネットで調べることができるという点でこれ以上の便利なものはないだろうと思いましたが、ここでスマホが取って代わろうとしているというのです。

 ある調査会社が2か月ほど前にパソコンとスマホの利用者数の推移を発表しましたが、これによると2013年4月から2014年4月の1年間でパソコンの利用者数は5728万人から5206万人と522万人(-9%)減ったのに対し、スマホは2883万人から4055万人と1172万人(+41%)増えたそうです。

 この調査によれば、すでに10代、20代は約7割のスマホ保有率ですが、30代、40代はこの4月の時点で半数を超え、50代は3割だと言います。未だにLINEを使ったこともないバリバリのガラケーユーザーの筆者でも、この動きは見逃せないものがあります。

このような「スマホシフト」の流れと呼応してSmartnewsやGunosyといったキュレーションメディアが支持を集めています。ソーシャルアカウントを分析してユーザーが興味を持つと考えられる記事を自動的に配信してくれるアプリです。情報サイトを巡回しなくとも(あるいは巡回しても手に入らないような)自分の関心にかなり近いコンテンツを読むことができるという点で確かに便利です。

反面、「スマホシフト」は既存メディアにとってはゆゆしき問題です。特に雑誌は、リピーター読者と暇つぶし目的の人たちによって支えられてきたと言っても過言ではないと思いますが、スマホが地下鉄でも使えるようになった現状では、浮上の可能性は少ないのかもしれません。

ちなみに、情報月刊誌「FACTA」の2015年1月号には主要雑誌の14年上半期と前年同期、05年上半期の実売部数を対比させた表が掲載されていますが、前年同期比で8割(118誌)が部数を減らし、特に経済誌や人気女性誌の凋落が目立つ内容となっています。

「スマホでレポート作成ができるからパソコンを使わない」、「新聞や雑誌はネットで見れば十分」というのは確かにそうかもしれませんが、スマホの過度な利用によって、失う時間や関心の範囲を自ら狭めることになっていることにも気が付いてほしいと感じます。

橋本 拓志
広報コンサルタント
Twitter ID:@yhkHashimoto

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自己主張と共感力は反比例?

選挙演説が繰り返されるこの時期、いつも思うことがあります。

なんのために演説しているのかということ。

演説の目的は当然のことながら「当選すること」であり、自身の票を獲得するために自分の考えや取り組みを披露するという自己主張を行い、また差別化を図るという目的で他の政党との違いについて話をするということは全うなことだと思います。

しかし問題なのは、聞き手にとっての視点が著しく欠如していること。

聞き手がどう思うかなどという発想が全くないのかと思わざるを得ない場面に幾度となく遭遇します。

代表例を挙げると、「他党を具体的に批判する」反面、「自身のこれまでの反省」は全くない。加えて「自身は考え方だけ披露」にとどまり具体性に欠ける。

これでは主張を受け入れる以前に、「信憑性」がないためつまり信用できない。具体的でもないため、政権運営を任せられるイメージすらつかない。
よってなんかしゃべっているなとしか思えないのが実情だろうと思います。

つまり自身では自身の考え方や差別化含めて訴求できているものの、じつは単なる自己満足でしかなく、逆に価値を下げているのではないでしょうか。

昔なら大きなことを言う、或いは勢いがあるというイメージを訴求することの効果はあっただろうと推測します。しかし現在では「信用が出来るか否か」「誠実さ」の方が必要要素ではないでしょうか。

つまり敵対する党であっても評価するところは評価し、その上で課題と解決策を具体的に提案する。自身についても良いことばかりではなく反省も加え、至らなかった点は素直に認める。

当然のことながら「今こそ暴走を止める」などという発言に比べインパクトは薄れますが、聞く耳をもとうと思う、任せてみようと思う、つまりは共感を得られやすいのではないでしょうか。

自身の主張をすることが目的ではなく、有権者に共感を得ていただき投票所に足を向かせる、自身への投票を促すのが目的の筈。大義がないだの、自身も日ごろから口にしていなかったであろう定数削減を急に言い出してみたりなどせず、選挙を行うことが決まったのであれば前向きに考えた方が得策なのではないでしょうか?

批判合戦なら選挙費用を無駄にしているのは野党だろうと思ってしまう今日この頃。本来の目的に立ち戻ってみては如何でしょうか?

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西野カナに学ぶ広報術

11月14日に放送された日本テレビの「LIVE MONSTER」という毎週アーティストをゲストとして迎えるトーク番組を見ました。

その週のゲストは西野カナさんで、サブタイトルは「西野カナの歌詞がささる理由」。

ライブ会場に集まったファンにインタビューしているシーンも放送されていましたが、彼女を支持しているのは同世代の女性のみならず、中年のおじさんまでと幅広く、その要素となっているのが自身で書いている詩であり、「等身大の歌詞」が評価されているようです。

決して難しい言葉を使わずに、普段使っている身近な言葉で自身の伝えたいことを表現するため、理解しやすく親近感を抱き、故に共感を得やすいとのこと。
結果的にメッセージ性が強くなるということなのでしょう。

日ごろ、自身で言いたいこと、伝えたいことを表現するために、つい力が入り過ぎる。また自己満足で難しい言葉を使ったり、専門性をだそうと難しい内容のモノをそのまま表現してしまっていることが多々あります。

それにより自身が表現したということについては満足を得られるかもしれませんが、聞き手や読み手のや立場を考えれば必ずしもありがたいことではないということだろうと思います。

勿論、歌は万人向けで、仕事は業界内に限定されているケースが多いなどの環境の違いはあれど、「共感を得るための表現法」としては学ぶところがあるのではないでしょうか。

住む世界は違えど25歳のアーティストから学ぶことも多々あるなと思った次第です。

ご参考:西野カナ(wiki)

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