5月29日(火)曇り
先の土日に所用で大分へいってきた。宿泊は中津市。
大分で三番目の都市で、海に面し、山国川を挟んで福岡県に接している。
福沢諭吉が生まれた町で、旧家は記念館として保存されている。
「一万円札のふるさと」といわれているが、地元では「一万円札の降る里」と揶揄する人もいるという。
中津城(歴史上の城とは違いよその城をまねたもの)
市内を案内してくれたAさん。元体育教師。
今話題のアメフット反則行為の話題になると、がぜん興奮した口調で熱弁をふるい始めた。
私はただ唖然として聞いていたΣ(゚д゚;)
兎に角、日大の反則を犯した選手がかわいそうだ・・・と。
彼は監督とコーチに反則行為を志願させられたのだ。けっして自分の意志ではない。
当人の意志でやったという形をとり、自分の責任を回避する監督・コーチの卑劣なやり方に憤り、スポーツマンシップに悖る行為だと断罪した。\(*`∧´)/
『特攻志願』に彼を負いこんだのだと・・・
確かにそうだろう。
終戦直前の特攻隊では多くの若者が散っていった(亡くなった)。
上官や隊員の前で一歩前に出て、「お国のために・・・・」といって特攻に志願させられた。
志願するしか道がなかった状況もある。
明日死ぬとわかって、冷静にいられる人はいない。まして若者というより少年ではなお更。
「喜んで死んでいった」というのは特攻を前に書かされた文書や手紙の中の世界だけだろう。
酒を飲み、刀を振り回し、暴れまわり、大小便を漏らし・・・等の記録もある。。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。
当日は、軍医によりヒロポンを打たれ戦闘機に搭乗する。
中には隊員らに抱えられ載せられる者もあったと聞く。
死を強制される少年たちの苦悩が想像される。(w_-;
先のアメフット。
違反行為の選手と特攻少年を安易に結びつけていいのか・・・という疑問がある(@Д@;
監督・コーチと軍隊の上官では共通点が多い。
しかし、選手と特攻少年とでは選択肢が違うように思う。
特攻少年の選択肢は無きに等しい。選手は追い込まれてはいるが、自分のために反則行為を選択した。
当然、スポーツマンシップを問われる。強要されたというだけでは済まされない。
年齢や知識、判断能力という面でも違うのだし…
ただ、彼が救われるの自分が起こした行為を謝罪し、それを表明した点である。
「死を強制される」ことと「反則を強制される」ことの間には雲泥の差がある。
”特攻志願”という比喩は、強制する側の問題としては言えるかもしれないが、『される側』から考えると当てはまらない…と私は思う。
この間書いてきたシルバー人材センター問題。
N理事長の意を受けて班長(理事でもある)となり、パワハラや強制行為を行なってきたH氏。
彼も志願兵なのだろう。
彼は自分を評価してくれる人、自分に活躍の場を与えてくれる人に対し、喜々としてして従い、その意を受けて働いた。
しかし大車輪のように回っていた時計の針がどこかで狂い、逆回転を起こしはじめた。
そして、いつの間にか自分が詰め腹を切らされる羽目になった。
彼はその原因が何であるのかを理解できず、ひたすらその責任を”我々のせい”に転嫁する。
だから当然、反省や謝罪もなく、いまだにその選択肢は間違い無かったと思っている節がある。
かわいそうと言えばかわいそうだが、自業自得である。
彼が反省や謝罪をすれば、いつでも我々の仲間になれる。
選択肢は広く開いている。
人は色々な局面で判断を求められるし、そして判断してきた。
その中で人としての評価を受けてきた。
H氏も今回の問題で、正しいかどうかは別にして判断を下している。
判断しなかった人よりマシかなぁ~とも思うが・・・・
私はこれまで、喧嘩した人ほど後々仲良くなっている。
彼と仲良くなるかって?
それは彼しだい。あの性格ならたぶん無理だろうなぁ。アハハ…
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