第3229回 昭和五年 日本陸軍岡山特別大演習写真を鑑賞する。
2024年4月27日土曜日の投稿です。
古写真の部屋 第20話
【前話 第3215回の続きより。】
今日のお話は、昭和五年こと、1930年11月15日土曜日
に岡山県倉敷市玉島の付近で撮影された日本陸軍の古い写真の
紹介です。
時代は昭和から、平成、令和の時代となり、古い写真の撮影場所、
写真の人物を見て、どこの誰かかわからない人が増えて、写真の
解説が出来ない人が多いのが実情です。
後々の世の為に、わかる範囲で写真の解説文を添えておきます。
昭和五年こと、1930年11月15日土曜日に現在の
岡山県倉敷市を流れる高梁川の東西両岸で陸軍の演習が
行われ、天皇陛下が西の金光町 八重山でご覧になる
中、東西両軍が日頃の訓練成果を見せるために演習を
行いました。
岡山県浅口郡金光町の八重山の陣地には、各国大使館の駐在武官
も集まって、西軍の広島第五師団 師団長 寺内寿一陸軍中将の
部隊を手前に、東側からは、岡山県倉敷市 萬壽小学校に司令部
を置く、兵庫県姫路市の姫路第十師団 師団長 本庄 繁
陸軍中将の部隊の演習を見学しました。
本日紹介する写真は、西軍 広島 野砲兵 第五連隊の
着弾観測の様子と言うタイトルの写真で、場所は、唐船の
交差点付近ではと思います。
天皇陛下が統監されている八重山陣地から、南東に
約1キロ程度かと思います。
こちらの写真は自転車を台にして射撃姿勢の機関銃小隊の
兵士の様子です。
腰に、一般の歩兵と違って、護身用の拳銃のホルスターを
携帯しています。
当時の自転車の様子も興味深いですね。
この軽機関銃は、大正十一年【1922年】に日本陸軍が
正式採用したので、その名前を十一年式軽機関銃と呼びます。
当時の三十八式歩兵銃と同じ弾を使用する現在で言う、
分隊支援火器でした。
分隊支援火器として作られたのですが、歩兵分隊には
配備されず、まとめて機関銃中隊に配備されていたそうです。
日本陸軍の兵器はフランス製で、それを基に日本人が
改良して行った兵器でした。
重量が11キロ程度、小銃3丁分程度重さがあり、
持ち運びは大変でした。
上の弾入れから埃が入ると作動不良が発生し、故障して
撃てなくなることが多々あったそうです。
但し、小銃弾と同じ弾が撃てると言うことで当時としては、
歩兵と一緒に移動出来て、世界各国の部隊と比較すると
一歩進んだデザインでした。
【次回に続く。】