現時点で既に幻想に近い野党共闘。
野党だけでなく、共闘のはずの市民団体等にも綻びが見える。
所詮、付け焼刃の思いつきはメッキに過ぎず、すぐに剥がれるということの典型例と化している。

いくらでも試行錯誤すればいいが、タイムリミットも近い。
あ~だ、こ~だと「選挙に勝つためのノウハウ」といった講釈がアチコチで行われているが、いずれもマルチ商法のようなもの。
胡散臭い講師を自ら招いては、奴がアタマでは勝てないとこき下ろす。

そもそも選挙に絶対の法則などありはしない。
皆持論を押し付け合っているに過ぎない。
「誰かの言う通りにしないから勝てない?」
それこそがカルトでマルチ商法だということに何故気づかないのか。

大の大人が集まって、こんな単純で何度も繰り返してきた過去にさえ気づかない。

「横に広がろう、繋がろう」
「野党がどうあろうと市民が繋がろう」
「市民側で統一候補を」

スローガンや呼びかけの文言を冷静に見れば、まさしくカルト宗教の勧誘やマルチ商法へのそれと何ら変わらない。
恐ろしいわバカバカしいわで、関わる気がまったくしない。そもそも、そんな程度の知恵しかない人間を担いだり招いたりしてオナニー集会をする気にもならん。

組織票云々といっても、選挙は本来パーソナルなものだ。
実際の投票の際には誰かに監視されているわけではない。
どんなに事前に組織で図り、企み、強制しても、実際の投票現場で誰の名、政党名を書くかは個人の意志に委ねられる。
投票場所まで集団で入って書かせるわけにはいかないのだ。 

現状の市民運動や集会の在り方を観る限り、局地戦には一部勝てても、全体的には大惨敗が決定的だ。
基地問題を抱える沖縄出身の今井絵里子が自民党から出馬というのも、オール沖縄が一時的な現象であり、容認派や賛成派と反対派がいかに伯仲しているかがよく解る。
若者たちの間でも揺れていることが、このことでも認識できる。
まったく柔軟性も新鮮味もない野党や市民運動では勝てない。

投票率についても「低くても野党は勝てる」のは基本的に寝言。
それこそ市町村区や首長選、ローカルの補選レベルなら低い確率ながら当てはまるケースもあるだろうが、大都市部の大票田を含む国政選ではまったく当てはまらない。

無党派層を取り込めず、低投票率なら野党惨敗は火を見るより明らか。
これに反する講釈をたれる人間は、それこそ歴史に学ばずデータ無視。
都合のいい時だけデータを持ち出すバカをいつまで持ち上げ信じるのか。
少しは個人が個人として立ち返り、自身で冷静に思考できぬものか。


一昨日、無残にも共産党以下野党総崩れで大惨敗した京都市長選、この投票率も僅か35.68%。前回よりも1.09%下がっている。
これも惨敗の大きな要因の一つであることは言うまでもない。

野党も市民側も、政策的な争点を見いだせず、戦略も拙い。
組織だ繋がりだの前に、個々人に立ち帰り各々がよく考えるべき時だ。
依存心、依頼心の塊のような人間が集まったところで烏合の衆。

その烏合の衆がカルトチックでマルチ的な呼びかけなんぞしても逆効果。
デモや集会、勉強会のスタイルも古過ぎ、因習に縛られ過ぎている。
いかにもジジィ、ババァ、オジン、オバンをターゲットにしたもので、逆にSEALDSや市民連合なども世代分断化を加速させている。

選挙を体育会系のクラブ活動や、ど素人のサークル活動と同義的なものと捉えて活動しても、票の拡大への貢献は小さい。

話しは変わるが、「デートDV」報道について驚いたという声を多数聞く。
なぜ驚くのかよく分からない。
昔から普通にあったことだ。

転校を繰り返した私には、こうした実態は体験として理解できるし、小中高でもよくあることで、大学生以上、ましてや成人男女ともなれば、日常的にあることだろう。
その度合いの大小の違いがあるだけだ。

昨日も触れたが女性のフタナリ化、ナンチャッテLGBTという三文芝居の性倒錯化とも無関係ではないだろう。
国会や地方議会のそれを観ていてもよく解かる。



「今時の中高生女子はコワイ」、男子相手に「金要求」「暴力」 「デートDV」の仰天実態に驚きの声
http://www.j-cast.com/2016/02/08257909.html




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