チョコちゃんと初めて出会ったのは10年程前の寒い頃でした。
先代のヨーキーのプリンちゃんが亡くなって20歳になった娘もほとんど家には居ないし、私も娘と母を養うべく朝早くから仕事に出ておりました。
独り家に居る母はそのころは趣味もなく友達も少なく老人じゃないと老人会の方との交流も避けておりました。
誰もあまり家に居ないから出来るはずもないのに娘には何もしない!私にはお金が足りないと不平不満ばかりを言うので、どうにか環境を変えないと!と思っていました。
そんな時に出会ったのがチョコちゃんでした。
コロコロで本当に小さなヨーキーと目があって抱いてしまったらもう手離せなくなりました。
母と仲良くなってもらいたいのになかなか母にはなつかず、母はチョコちゃんの小言まで言うようになりました。それでも私が居ない時はチョコちゃんも我慢して「しょうがないな。」とでも言うように母の言う事を聞くようになりました。
その後しばらくして私が再婚し仕事も辞め家に居るようになったのは5年前になるでしょうか?それから母と決別?家の中でも母に吠えるようになってしまいました。
再婚した旦那様とは気が合うようですぐに打ち解けて休みの日にはよく二人と一匹で散歩へ行きました。
突然チョコちゃんに異変があったのは一昨年の暮の事です。
お腹の調子が悪くなり食べても吐きました。食欲に貪欲なチョコちゃん!これはおかしいと慌てて病院へ行きました。
血液検査をしてもらうと、これは異常な状態と緊急手術、内臓に損傷は無いものの腹水は異常にたまり腸から栄養も水分も吸収できない状態でした。このままなくなってしまう犬もいるとの事で自身の責任の重大さとチョコちゃんの存在を改めて実感しチョコを残して出て来た病院の前で涙がボロボロとまりませんでした。
3日間の入院の後に帰って来たチョコちゃんは痩せこけて傷も痛々しくそれでも入院時には考えられないほど回復している様子が手に取るようにわかりました。
それからはチョコちゃんの薬との格闘が始まりました。薬が効きすぎても後遺症で弱り、効かないと本来の病で弱るという感じで病院の先生と話をしながらその後の1年半チョコちゃんは一進一退ですが頑張っていました。
また突然異変があったのは4月入った朝でした。
後ろ足が硬直しまともに歩けない状態でした。すぐに病院へ行き血液検査をしてもらうと後遺症の血栓症と肝臓の肥大との事でした。
非常に危険で重篤な状態。
点滴をしてもらい嘘のように元気にはなりましたが、きっともう長くは生きられないんだろうなと覚悟をしました。
同時進行の不安が私にはありました。
旦那様が舌に異物があると3月病院へ行きました。
検査をして結果が出るのが4月。。。
解らないからと埼玉医大へ紹介状をもって行ったのは4月4日。
18日細胞切除し検査をしてもらって結果が出るのは4月25日。
そして1月のイベントに参加出来ずに残念だった同じ会場で行われる雑貨市イベントへの出展が決まって、楽しみにして作品を作り続けてきた雑貨市のイベントは4月26日
一旦このイベントは辞退させてもらおうと旦那様に話した所このイベントは本当に楽しみにしていた事なんだからやった方が良いと言ってくれて、頑張ることに決めました。
そしてもう一つ。3月に何年振りかでかかってきた電話はタンクローリーに乗っていた時の運転手仲間からでした。やっとスマホに変えてラインと言うのに登録したら名前が上がっていて、あれ?懐かしいと思っていたら、、、でした。
どうしてる?なんて他愛もないお話をしていて仕事を探してるんだ~!なんて言ったらアチラも仕事をしてくれる人を探してるって事で、初めは時給も安いし~なんて言っていたのですが、旦那様に話した所、呼ばれる方が仕事しやすいんじゃないの?と言う事で決まりました。何度かその会社へ足を運びどんな仕事なのか?何を求められているのか様子を伺いました。そして社長とちゃんと面接し初めは14日からと言っていたのですがアチラもちょっと忙しいとの事で21日から正式に働く事になりました。
さぁ色んな事が同時進行で襲って来ます。17日にはチョコも様子がおかしくまた病院へ行ったり、検査の為に旦那様の病院へ行ったりバタバタとして19、20日と仕事を始める前に片づけて置きたい事と買い物などもしていましたが、チョコの調子は良くはならず、、、もう頑張らなくていいからと、、、苦しまなくていいからと言いながら寝ることも出来ない状態で旦那様と交代で看続けました。
21日は朝からの出勤で準備も済ませ心配ながらもでも、「私が居なくなってから行くなよ!行ってくるよ!」と後ろ髪をひかれながらも7時30分に出掛けました。
チョコが逝ったのはその後の8時55分頃だったそうです。
私を追いかけて一旦玄関へ出て来て、行った事を確認しそれから少し寝床に戻り、思い出した様にまた少し歩きだして、バタっと倒れたそうです。旦那様が心臓マッサージをして息を吹き戻したのですがすぐにまたグっとしてそのまま逝ったのだそうです。
私がその連絡の8時55分のメールに気が付いたのはお昼のお休みの時でした。旦那様に電話を入れたのですが何も言えずに私もグっと堪えて仕事に戻りました。
チョコにしてやられました。私がこんなところで泣けないと堪えてくれると思って居たのでしょうね?
その日は帰った後にもう堪える事は出来ずに声をあげて泣きました。その日は泣きました。二人と一匹泣きながら一緒に寝ました。
でもその日以来泣いては居られない状況に没頭しました。やらなきゃいけない事を考え続けてみました。
朝から仕事の段取りを思い出しながら検査の為に旦那様の切った舌の下の傷の為の食事の心配と病気の心配と、、、仕事中は覚える事がいっぱいで何も考えられない状態でアッと言う間に帰る時間です。帰りながらご飯の事を考えて、食べ終わるとお風呂に入って洗濯して、合間にイベントの準備です。寝る時間はちゃんと取らなきゃ体力が持たないぞ!と11時には寝る!と決めて寝床に入るといつもチョコが居た場所にチョコが居る気がして、重みがそこにある気がしながら眠りにつきました。
そして25日に旦那様の病気は癌ではないことがわかりました。ですが腫瘍の切除手術が5月の末に、その手術の為の検査が5月10日に決まりました。とりあえずでしがホッとしました。が喜んでいる時間は無い!
26日イベントです朝からバタバタ忘れ物が無いようにと準備しました。
イベント会場はゴールデンウイークの始まったお客様でいっぱいです。出足はゆっくりでしたがお昼頃からはほとんど息もつく暇がないほどです。お友達や旦那様の従妹の方もいらしてくれましたがゆっくりお話しも出来ませんでした。終了の時間が過ぎてもお客様は商品を見ていらして。頭を下げてイオン様の迷惑にならないように片付けて、本当にアッと言う間に終わってしまいました。
チョコやったよ~1週間やり遂げた!うん大丈夫!
チョコの策略だったのか?生活の端々にチョコの居ない違和感を感じながら怒涛の1週間を過ごせてしまった。
そしてまだまだ覚えきれていない仕事と連休の姉一家の襲来で2週間目を乗り越えて、そして10日には検査が待ち構えています。
チョコにしてやられた!?
全部わかっていたから21日だったんだよね?
それより早くても遅くても私はこの状況を乗り越え得られていなかったんじゃないかと思うよ。
チョコありがとうね。。。。。
私には何にもしてあげられなかった気がしてるけど
チョコにはたくさんの気持ちをもらったよ。
本当にありがとう。
これからある全部がちゃんと乗り越えられたら、また散歩しようね?両手の上に顔をちょこんと乗せて待っててね。
悲しいお話を聞かせてごめんなさい。
けど私の中でチョコにありがとうを言って少し区切りをつけないと先へ進めない気がして書いてしまいました。
此処まで読んでくださった方、ありがとうございました。