桜の季節。最近のいろいろ。 | 10-FEET TAKUMAオフィシャルブログ Powered by Ameba

桜の季節。最近のいろいろ。

お久しぶりだ。みんな元気か?さてさて報告があります。何度かブログでも触れていた僕の父の事ですが、この度無事に退院する事が出来ました。心配して下さった皆さん、そして回復を願って千羽鶴や手紙などいろいろ送り届けてくれた皆さん本当にありがとうございました。

入院中、何度も「覚悟をしておいて下さい。」「この状態から回復したケースはありません。」とも言われ、一時は気力も果てそうになりもしましたが、家族全員で励まし合い、主治医さんの「でも人間の事ですから何が起こるか解りませんのでこのまま治療を続けたいと思います。」という言葉を励みに闘病生活を家族と共に続けて来まして、無事退院するに至りました。

いろんな知人、医療関係の人にもアドバイスや励ましを貰い、今日自分の中で思った事は、主治医さんが僕達家族に言ってきたネガティヴに聴こえる発言は全て家族へのエールだったと思った事です。似た様な闘病生活を送ってきた知人やその家族曰く、お医者さんはいつも最悪のケースを家族に伝え、医療的な治療と同じぐらい家族が尽力して励まし合って、病は気からという所を克服していく事が一番大切だという事を教えてくれたという事です。

そしてどんなに状態が悪くなっても治療に関して、メンタル面含め、全てに於いて最前を尽くしてくれた病院の方々に対して感謝の気持ちで一杯です。

本当にありがとうございました。



僕は闘病生活を続ける父を支えて行く中で、肝性脳症を患う父にひたすら音楽を聴かせ続けた事、一時ほぼ昏睡状態に陥った時も音楽にだけは反応し、特に僕の唄う曲には反応してその都度自然と気力を回復した事、これを医療従事者のある人がえらく褒めてくれました。「その人が特別思い入れのある事には特別な効果があります」と。家族や縁の深い人が側に居てあげる事は勿論の事ですが、患者が特に興味や思い入れのあるモノを見せたり聴かせたりする事は何よりも回復や気力の源になると。

家族が手を握ったり、思い入れのある何かを話しかける事によって患者の思いもよらない反応や回復がある例は浩一の嫁さんやその他知人にも多く聴きました。きっとこのブログを読む人の中にもそんな経験を持つ人が数多く居られると思います。回復の為にも、そして大切な人の為に何か出来ないか、回復するしない関係無しに縁ある人達が悔いを残さない様に行動するヒントに繋がる様に、この僕が体験した例とその可能性をここに書き残したいと思いました。

家族であったり縁深いあなたにしか出来ない特別な方法を是非とも試してみて下さい。


皆が健康に平和に心穏やかに日々を楽しく過ごせる様にと心から願ってます。






先日パンクスプリングでDragonAshの''run to the sun''を聴いて思った事、馬場さんが亡くなった当初はその生命がそのまま宿った様に聴こえて、それを唄うケンジの言葉も太陽の様に眩しくて「今ここで思った事を唄にしたんだ」という聴こえ方だったのが、先日聴いた時にはDragonAshが昔からずっとやってきた曲に聴こえて、彼らにも''今''にもとても馴染んでいた事がとても雄々しく感じた。再び走り出した彼らは時を経てもう一度また最高速度に達したんやなぁと感じた。''run to the sun''はもう新曲じゃなくてDragonAshの肌の色になってました。


ロットングラフティーも、G-FREAKFACTORYもそうやが、紆余曲折ありながら再スタートを切り、いい歳してもう一度最高速度に達して魅せてゆく姿は、バンドマンだけじゃなくて、年齢に関わらずもう一度何かにチャレンジしてみようと思っている人達に特別な形の勇気を与えるだろうと思う。生きてさえいりゃあ「もう遅い事」なんて一つも無い事を。仕事も夢も恋も旅も何もかも、手を伸ばせばそこに可能性があるし、老人だって恋もすりゃあいろんな夢を見てはる。俺らもいつまでもそうありたいなぁと思った。

「老人だって夢を見る!」ロットングラフティーのN∀OKIのいつかのMCにもありました。





僕の仲間達、もうイイ歳した仲間が多数になりましたが、皆若い頃は共に同じくありきたりな失敗をし、同じくありふれた悲しみやありふれた喜びを経て、それぞれの願いは「叶えたい」「欲しい」から少しずつ今は「返そう」「応えよう」「繋げよう」が増えてきてます。

でもそれは若い頃の愚直なただひたすら「幸せになりたい」という思いから欲しがって求めてばっかりの中で失敗を繰り返して辿り着いてきたモノやとも思うので、若いコ達が今、変に大人びておじん臭い協調性を持つ事は必要なく、ごく自然に素直に生きていく中であちこちにぶつかりながら辿り着くべきだとも思うのでそのまま突っ走って行く事が大切なのは前提の上で、自分の事を大切にしてくれてる人の事を気づくべきタイミングで気づき、大切に思い返す事がイイと思います。

まずは武勇伝になる様な成功と失敗と笑い話を沢山作り上げるべきやなと^^



悲しみは幸せの原石だけど乗り越えなきゃただの石ころや。



実際僕にも沢山の楽しい事や感動から生まれた曲がありますが

沢山の悲しみや後悔が無かったら今ある曲の半数以上が生まれなかったと思います。悲しい事を望みやしないけれど、過去にあったそれは誰かの相談に乗る時のヒントや曲に変わったり笑い話のネタなんかになってきてくれました。だから恥ずかしい失敗を恐れずとりあえずみんなオモクソいこうや♪思いもよらぬ失敗も、思いもよらぬ成功もまだまだあるぞ♪

老人になった時鼻で笑ってしまう様な事は若さでもって全力で走って見えなくなるまでスピードを上げろ^^

欠落や俺やあんたにしか解らないコンプレックス。

「欠落は才能や」大好きなカメラマンのハヤチンに貰った言葉。

その欠落もコンプレックスもお前の周りの誰かやあなたの子供達の特別な力になる日がきっと来る。何よりあんたの幸せの元になる日がきっと来る。いずれ誇りにも似たさりげないカッコ良さとなってお前の背中や微笑みに宿るに違い無い。わっはっはっは。






G-FREAKFACTORYのツアーファイナルのライヴを見て。

ほんまに良いファイナルやった。

「上を向く事はまだ難しい時代の中で、前さえ向いて歩いていれば転ばずに遠くを見渡せるんだろう、、」G-FREAKFACTORY''隠り唄''より

純粋に生きる事、夢を見る事が難しくなってきた時代。それはいろんな物事の可能性が小さくなったのではなくて、相手の顔が見えないインターネット環境が普及されて、純粋な心を持つ子供の頃から顔の見えない大人や誰かとのコミュニケーションがあったり、言語やそこにある情報に現実を感じさせられ、億劫になり、本音を閉ざして生きていく傾向があるんやないかと感じます。ネットの情報力、そこには役立つ情報も多数あれば、時折ハッピーに生きようとする人の足を引っ張る嘘や誹謗中傷なんかが普通に飛び交ってます。

ただ悪い事だけじゃなくて、誰かを救うモノも無数にあって、繋げて来た幸せも沢山あるでしょう。知恵も沢山ある。誰かに必要な一歩先の何かも。その分今の若いコ達はタフだし考え方も僕らなんかよりずっとしっかりしてて大人だったりもすると感じます。でもそこで考えだけ大人になり過ぎず、現実の日々の中で一見不可能に思える事や、無駄にも思える様な事の中にもたくさんのハッピーや可能性、感動がある事もみんなで大切にしていけたらなぁと思う。

ライヴもその一つやと思う。

実際に目の前に居る人に対して勇気を出して思いを伝える事、手が届きそうに無い夢にも、結果はどうあれそこに手を伸ばして願う事。そこで出会ういろいろがあなたの手触りある人生の物語になってゆく。んやないかなぁと思うねん。一生を終えるまでのおもしろ可笑しい伏線を周りの人と共に生き描いてゆこうやないかい。多少の失敗や恥は恐れず。

「おもしろき こともなき世を おもしろく」高杉晋作君。

自分次第で今日も明日もいくらでも変えていける。

小さな子供だった頃は動物と話せる様な気もしたし、信じたらウルトラマンに変身出来る様な気もしてた。あんな思いを今も持っていたらどうなってたろう、やっぱりあっぶない大人になったかなぁ 笑 でも時折そんな事を感じさせる様な素敵な大人に会ったりもするので、自分もいつも純粋な気持ちを枯らさない様にいろんなモノを見て聴いて感じて、感性が踵みたいに堅くならない様にしてなあかんなぁと思います。

感性も性格も心も自分次第で変わったり枯れたりする。出来る時でいいから水をやろうぜ。

美しいモノや前向きな言葉が痛い時もあるけれど、それでも腐らずまた仲間や音楽や、イイ映画やイイ本、イイ旅やイイ出会いに心を洗われて、日々えっちらおっちら皆がハッピーな毎日を過ごせたらいいなぁと思います。

また明日もすっとぼけていこうじゃないか^^

笑顔はラッキーの元やので、みんななるべくニコニコでいこうぞ。

ほなまた^^







おまけ

G-freakfactoryトリビア

ベースのヨッシーは坊主にした。何かのペナルティだろうか。

ドラムのセイタロウちゃんは国籍不明の髪型、及び顔立ちである。

ヴォーカルのもっちゃんがその昔輩二人組と本気で取っ組み合いになった時、見かねた嫁がもっちゃんごと三人共分厚いマップル(地図の本)でぶっ叩いて一瞬で治めた。

ギター原田は鼻に大豆を詰め込んで取れなくなって病院に運ばれた事がある。なのにギターが上手い。