母業と人生と。10代20代は摂食障害,試行錯誤を長くし寛解すみ。

母業と人生と。10代20代は摂食障害,試行錯誤を長くし寛解すみ。

2018年〜妊娠育児,日々雑感.2022年〜2児母.アラフォー,時短勤務.
※開始初期(2009)摂食障害(過食,夜間摂食)ブログです. 2015〜寛解し上記変更(12歳で拒食症,その後食事制限依存→20歳で過食•抑うつ•不眠+夜間摂食症候群。夜間摂食は15年超も現在寛解)

アップダウンありつつの日常備忘録.
2018年~予想外の妊娠に伴う記録(お金や仕事(つわりで離職)とローン不安や子どものこと)。趣味としてはいい年になってから踊りや音楽に興味しんしん。なお2022年~は二児母になり嫌でも育児中心となりそういったネタ増えそうです


※ブログ初期2009年から暫く,カテゴリ別で毛色違います.(十代から摂食障害,夜間過食,抑うつと不眠.ステップあやさんブログ等からヒントを得,二十年弱で2015年頃寛解に至るまでの記録)その事があっての私なので,もうそれらを書く必要がなくなった今も記事を残しています. また今そういった体型や食事や体重カロリー等に縛られて苦しい方,摂食障害の本質は「食症状」ではないのですが,しっかり食べてある程度の体重を持たずして,寛解に至ることは難しいです。本質となる自分の体や心を全く無視した状態,~べきねば思考など,へ思い至るのも,ある程度食行動や体重が落ち着かねば難しいです.
そういった事も,自分の長い闘病を経て気づき,変化してきた部分として記録に残っています。


最近また気持ちがおちました

すごい顕著で

イライラ。子どもの止まらない要求にため息。

楽しくない。だけど何かしたいというより何もしたくない。

加えて出ました有意義病!

有意義にしなくてはっというもの、、

有意義ってなんでしょうね。

読書?運動?人と会う美味しいものたべる、家族ですごす、、映画やゲーム?仕事や稼ぎになること?

どれもあってそうですけど、根本は熱中してたり集中して楽しんでいる時間じゃないかなっとおもう。「何をしてるか」だけでなくて。


なのに、今のメンタルのときは「将来への不安」「過去のことがらの後悔やひっぱりだしてこねくり回す思考」がふえ

「今を感謝して楽しむ集中する」が難しくなってしまう( T_T)


ブログでもsnsでも昨今はいろーんなひとが色々書いてて、でもそれにいちいち反応して無意識でも自分や自分の環境と比較して

すごく疲れてしまう。


たとえば、、子どもの教育とか育児、摂食障害や自己肯定感、過食のメカニズム

などにかんしては10何年前のこのブログ初期がそもそもは摂食障害中だったわけで、

そのあたりは一過言あるのです。

でも世間ではいまだに

過食には糖質依存も関係してる、とか、、バランスよくたべてとか、、

(いやそれもあるけどその方法でアプローチして私は泥沼だった。糖質を避けねばになり、米に依存しすぎたりパンやケーキを異常に避けてなのにいつも食べたいみたいなおかしな状況で、、過食はとまらず。いまは、お米中心がすきだけどパンもケーキも全然たべる。やや多めにたべ体満たしている。だから過食はこない。結果的に体重はひどいダイエットしてたときより少しおちている!)


すごい逸れましたが、

そんな誰かのかいた多くの意見のひとつに、こーしてブログ書くくらい、イラっとひっかかってしまう。。


土日や休日がつらいです

子ども1人の時は平気だったけど

幼児が複数いては大人1人では対応があぶなく

結果的に大人は休む暇も自由もなくずーと子どもの要求にこたえるだけで21時すぎ片付けや寝かしつけをしたら22時で

グッタリ疲弊してしまう。


書いていたらすこし気が晴れましたが

育児ってやはり大変なことで、、

自分の時間や関心やお金をどれだけさいたところで

終わりはないのだなあと思ったりします、、

そしてもう人生の主役は子どもになり

自分自身はおまけの端役程度なかんかく。


こうゆう落ちたマインドはだめですね

人と比較してるうちは浮上できないです

とにかく今を大事に。



子はグズグズで眠れないしでなんとなく寝付けず、1年前の嫌な思い出が蘇ってしまい

たまらずブログ。。

タイトルは、アメブロなどのブログで知った方のことじゃないです。

(ブログやSNSってその人の性格や価値観が結構出るとおもう。

20年前から掲示板から始まりホームページとか色々みてきたけど、文字の羅列なのに

千差万別で。ライトなもの、闘病や人間関係トラブルヘヴィーなもの勉強になる系、、

色々。テレビ嫌いで本が好きだったので私はいまも動画やTwitterよりブログ沼)

 

題名の決別はある人とのトラブル。数年お世話になった

ある年上の方と、だんだん齟齬を感じながらも

時々お会いしていた。その人とある催しに出る出ない手伝う手伝わないで少し揉め、メールでのやり取りで決定的に決別した、というもの。

私が深夜に送ったメールが気に食わなかったらしく

まず夜に送るなとか(電話じゃないのだから、、申し訳なかったとはおもうけれどラインでもないPCメール。気にして読んだのはそちらでしょう、、。)なんかそのあたりの書き方がひどすぎて

もうその時点でむりだなって。

 

ブログをその人もやってたんですここじゃないけど。SNSとか。

いろんなご自分の知識や価値観を書いてて、それも言葉が厳しかったり こーゆうのは✖︎!とか

あるいはこうゆうふうなのはなんだかなあっておもいます^^;

みたいな なんか上から目線の言葉は多くて、

それはひっかかってたしリアルでもこちら年下で教えを乞うような立場だったのですごい見下されてる感はあったし。自分のやり方絶対みたいな、、

それでも良い時期もあったのだけど

やはり人間関係は壊れるときはあっけなく

奇しくも私の前にもぼろぼろと離脱してその方へついていく支持する人が抜けたあとだった。

 

私も件のメールで怒りすぎて、子どものことまで口出されたので

こちらの不手際は侘びつつ

ガッツリ不愉快を表して、

それっきり切りましたw

返信メールもみてないし、SNSもまだみたくない。

おそらくあのご性格ではご自分のブログで私の行いをさもひどいことのように書いて、ご自分は何も悪くないというふうに落ち度もなく書いていたでしょうね。

 

そのブログみて共感する人もいたとおもうと悔しいけど、

リアルな周囲に言いふらしてやりたいけど、

品がないし

ほんとにその程度の人だって私おもったので

きっともう誰にも相手にされなくなってくとおもうあのままで改めることがないなら(おそらくうん十年そのままのキャラで自分は一切悪くなく自分の価値観に反したものは悪、とみてきたのだろうけど)。

自己愛性人格、とまでは言わないけれど、自分至上なところが後からああそうかあれもこれもって繋がった感じ。

切れて良かったとおもう。とはいえもともとそう深い関わりじゃなかったけれども。

まだ引きずってはいるけどすごくすごく学びになりました。

 

危うきに近寄らず。

他人を容易に信じない 家族も夫も職場も顧客も指導者も。

世間にはびこるいろんな情報も。

 

ダイエット依存だったときとにている。

周囲の評価じゃなく、その人のインフルエンサー度合いでもなく、

自分の感覚がいちばん。

そこを研ぎ澄ますこと。

 

 

6月は蒸し暑いなかでもまだ過ごしやすくあっという間でした。

半ば頃から子どもが風邪をピンポン感染し、自分もかかってしまったろきがあり(コロインフルとも陰性でウイルス不明)。何千種もあるウイルス、原因などわかりませんし子どもも熱を繰り返し心配でしたが、とにかく体の免疫細胞が戦ってる証と諦め。

調整がつく日は自宅保育、病児保育、病児シッター(助成が一部あったりなかったり)、また自分が沈んだときは不幸中の幸いで夫が休みだったのでシッターなども使いながらすべておねがいしまして

ほんとーに朝からよるまで、いや夜中からオカンにうめきわめき夫を起こし体をさすらせ毛布やジュースや薬を運ばせ翌日は丸一日文字通り奥の部屋で廃人をして。ほんとにこんなひどいの数年振りでした コロワクチンのあとに似てたような、、コロナじゃなかったけれど。

暑い日で、でもオカンがするので部屋に空調いれず毛布でのどもからから だけど高熱や痛みで動けない。夕方夫が子どもらと帰ってきてドン引きしてました。 でも一人暮らしとか高齢だったら脱水で死んでるなって、確信しましたあのとき。

「だめだ脱水だ、ポカリを夢みてないで動け起きろ!水や氷をとれ!」鬼滅の炭くんを思い出し自身を鼓舞しなんとか水を口にしてまた布団で倒れる。。空の色があっという間に夜で。熱でふらふら。

幸いそれは一日強だけでした。

それでおもいました

つわりのときもですが。

なんて贅沢だったんだーと。

あれが嫌だのこれ気に入らないだの育児が大変だのもっとあれがしたいこれがしたいだ

不満や不安ばかりいってたなと。それってそもそも健康が前提で贅沢だったんだと。。


喉元過ぎればでそんな高尚なでも心理であることすぐ忘れ子どもにため息しては夫にチクリとされてしまうのですが。。


でもその熱などが理由で義実家へ帰省はキャンセルになりキャンセル費用もガッツリ取られました。。まあ隠して無理にいってあとで高齢の人にうつすわけにもいかないですし。

そして少し、行かないですんでメンタルはほっとしてしまったのも事実です。別に嫌な人がいるとかじゃ全然ないのですが。過去の話や武勇伝、愚痴や知人親戚の噂みたいなのが(もちろん少しあるのは全然!そうゆう話題ばかりだとウンザリしちゃうのです)私はとにかく苦手なので、、

そういう会話ばかりする人とはどんなカテゴリの繋がりであれ距離をおきます。

飲み会とかも時間の無駄と判断します。

私も愚痴はいうし悩みもしますが、そればかりフォーカスして悲劇のヒロインやかつてのヒーローあるいはいまの老害キングクイーンっぷりを示されても、、学びがほんの少ししかないので。

まあ同族嫌悪というところかもしれません

器が狭く過去を引きずる自分なので、取り込まれないための防御でもあります。


そんななか暑い夏を迎えようとしていて恐怖です。いつか子どもに水泳させねばとおもいながらしていない。

ただ とにかく今に感謝する!

このベースは必ずもっていようとおもいます

だっていま病気じゃなくてもいつ、そうなるかわからない。辛く苦しいことになるかまして根治が難しい病になる人もいるわけで。

もちろん90歳まで元気で孫もりひ孫もりして

おうちを整えて好みのお野菜多めの自炊をして運動もして夫も元気で一緒にポックリと、多忙な人生だったね、子どもが小さいころは大変だけど幸せだったねもういっかい2人で育児をしたいねという、そんなのが未来図です。



世の中には良いことも優しいことも多いけれどニュース報道などは圧倒的に恐ろしい犯罪が目についてしまう。


通り魔的に刺されたり暴行を受け亡くなったり。

子どもが犯罪を受けたり。

(保育所や車などの悲惨な事故ももちろん悲しいですが)

恨みつらみ嫉み、そのとばっちりで殺害されたり。

善良な開業医さんが患者に撃たれたり放火されたりもありましたし、コンビニ店員さんが襲われたり、アニメ会社の放火の大事件、ご近所の方に一方的に恨まれ惨殺された痛ましい事件もありました、、


こうゆう犯人の人たちの生い立ちはそれぞれにあって同情を禁じ得ない場合もあるのかもしれないけど、やはり他者を傷つけ殺害するなど論外。


思考回路が、他罰的なのかなと思う。

自罰的で自分を責めがちな人は、ネガティブであったり抑うつ的であるなどで

他人を責める<自分を責める


でもそうゆう思考じゃない人もいる

犯罪までいかずとも

執拗なクレーマーやすぐにキレる人

自分は悪くなく落ち度はなく、相手が悪い社会が悪いいますれ違った人が悪い、、


こういった怒りや八つ当たりは自罰的な人もあるだろうし誰でも多少あるけどコントロールし社会生活をしている。


それはずれてしまう人の恐ろしさ。

自衛しきれるものでもない、、


脳に感情チップを植え込んで、コロナアプリみたいに近くの人が不穏な感情になったらスマホでアラートが鳴るとかだったらいいのに!

そんなアニメありましたね、、

犯罪者はもちろんだけど、

クレーマーや攻撃的な人ともなるべく関わりたくないので。

また自分自身や自分の家族も、そうゆうタイプの振る舞いをしてほしくない

品性が無い。


いつかの社会ではそうゆうふうにならないかな

マイナンバーなんかやるならいっそチップ植え込みを10歳くらいで全員やると^^

費用もかかるが国が出す、無駄な犯罪を未然に防ぎ危ない人をチェックできる。

ユートピアかディストピアかという、数多の創作物にあったような設定内容ですが

わりと本気でそう思ったりします。


トラブルなく平穏に、他人にフォーカスせずされず、子どもでも家族でもないまず自分の人生を

大事に生きられたらいいのに。

どんな人も、、

腐らず他者へ矛先を向ける前に。

でもそれが難しい社会なのかなあ


人間て安全な社会って大変だなあと思います。



 

4、5月。

 

ありがちなのですが春に誘われ社会がうごく時ですし、

なんか頑張ってたのかもって思います。

ちなみにこれはあくまで自分比で、、別にフルタイムワーママだとか、

義家族か実親と同居で介護だとか、借金(ローンはあるけど、、)地獄とか、

大病がみつかったとかでもなく。。

ただ家でぼおおっと休む時が減ってなんだか予定があれこれ忙しくなり。

日々のなかちょっと「嫌だなあ」っということが増えたりし

でもまあどうしようもないことだったり一瞬思うだけでいまもう思い出せないことだったりして。

体がこっているのにマッサージいけない、ストレッチするゆっくり時間がないかあっても子どもがギャアギャアする中でとか。

夜スマホみちゃってやめれず寝不足とか。

ケーキ買っても子どもに分けるのは嫌でなんか買いにいけなかったりとか。

職場はみんな忙しそうで出来るワーママワーパパ、あるいは伸び代ありありの若手とかなんか

眩しいような自分があまりに申し訳なくなりコソコソしちゃったり、、orz

いろーんなことが重なったとはおもう

なんか自分はできるひと、ダラダラもせず予定もこなせるとか、

勘違いして走ってしまった感、、

ばかだなあ

結局は反動なのか最近は酷い抑うつがきてしまい、

子どもにはイライラして叱ってしまうし、毎日が苦しいことになっている。。

 

私はこの約30年、それこそ10歳前後からメンタル面の課題を抱えてきていたと思う。

だから波があるのもいい加減わかっているし。

好調で動けている(人と会う時間が長い、予定がおおい)、なんか自分のキャパだけ過信しがちなのは良く無い。

自らのキャパ不足とそれを考えずに生きてどっかで

つまづいたり抑うつで動けなくなりオールリセット!みたいな、

そうゆうかんじで結局こんないい年になっても

自信はないし何もできてないと感じてしまう。

でもこんなネガ思考も抑うつの症状の一つだともわかってる。

 

早く波が去ってほしい。。

 

過食がひどいときはよくあやさんのブログ読んだりセッションに伺ったことも。

自分が時々見返す記事はこれかなと、、

何度も同じ失敗をして、また抑うつがぶり返して(いまはもう食事を減らしたりそれで過食が出たりは減ったので、症状としてはイライラや自己卑下や抑うつ)、今までのものがまるっとストップするか子どもとの関係が悪くなったりで

ドタキャンも増えてしまうしほんとよくないです、、

7割くらいの力で余裕もってそれを恥じる必要はないはず。

 

 




時々お会いするご年配の方に、お子さんいるの?と聞かれた。

その返しで、あー失敗したなあとつくづく思った、、こうして書いていて、よけいにそう思った。


他の方(その方は未就学児を子育て中で、時々子どもネタを聞かれたりするので少し話す)

と軽く話したのが聞こえていたのかもしれない、ある時ちょっとした立ち話でこうきかれた。

いわゆるママ友系の人とあうとき以外は、私は子どもの話をあまり出したくない。

子どもありきになってしまうのも嫌だし、

同じ子どもでも小学校中学校なんかと幼稚園保育園じゃやっぱり話はかみあわないし。

ましていまは色々な人がおり、独身の方も不妊の方もいろんな理由で子ども持たない方もいる。

その人の背景がわかっていて、子どもの話をきかれたらもちろん隠すことじゃないからお応えしてるけど。


前置き長いですが、つまりその少しご年配の綺麗にしてる女性とは、

日常会話はしても家族のことは話していなかった。

まだ小さいのがいるというと、いいわね!と目を輝かせかわいいさかりね、と。


このあたりで

「ありがとうございます、大変ですが今だけと思ってがんばります」

と言ったらよかった!それで終わり、、

別に子ども自慢や大変アピールしたかったわけじゃないから( ; ; 

でもその方もわざわざ聞いてくださったし、何か続けなきゃ、と思ってしまった(こうゆう変な気遣い?でテンパって結局へんな応答になったりアダになって、あとでモヤモヤするのが私の悪いクセだとおもう。。)

少し迷って

「小さい子どもさんお好きなんですね」

と言ってしまった。


言い訳するなら私は子どもってうるさくてわがままで(赤ちゃんはかわいいけど、)どっちかといったらほんとに好きじゃ無いから、、

だからあまり興味もなくていちいち他人の子供の話をきいたり、しないし。

子どもとかじゃなくて、それよりその人が、何を思い何を行動してらっしゃるかが興味がある。


でもこれ聞かなきゃよかったなあ!

例えば私の子供も小さかったころはーとか、

まごがねー、姪っ子がねー、仕事が子供関係のことでねー、とかとか

話したければきっと向こうから振ったのだから言ってくるはずで!

そしたらそれを打ち返せばよかったのに。


自ら下手な気の回し方をすべきではなかった。

結局その方は

「子どもすきなのよ!でも夫婦で子宝がなくてねえ」と寂しそうに。そして笑って夫婦は仲が良すぎたのね!っと。


あー、、やってしまった。ばかばか。

そしてこうなるとここでテンパって早口で何やかや言ってしまうのが私のわるいところ。


でもご夫婦仲良いのがいちばん素晴らしいです(子どもできてからは夫とは喧嘩が増えて、心底そうおもってしまっている)

とかなんとか言って、その場を離れた。


あーあ。

余計なことをきかない、言わない。

変に気を回して話題を振らない。言いたいことはきっと向こうから言ってくるから。


ご本人はもう気にして無いかもしれないし、でも私との会話で悲しくなってしまわれたかもしれないし

私はなんだか自己嫌悪している。


子どもなんて、ほんとうにいたっていなくたって、その人がご夫婦が生き生きとその人生を大事にしてらしたらぜったいその方が尊敬に値する

つまり私はいまの自分は好んでいない。大変だ忙しい、自由が効かない体力がつづかない、子どもがうるさい、⇄だけど今だけだ小さいうちに一緒にいなきゃ 楽しまなきゃ

とか相反する思いで毎日なんかしんどい。


だから、上記のようなことになってしまったのだけど。

私の思いを全部伝え理解をもとめることも無理なら、その方の寂しさや哀しみもさっとふれることではなかったかもとおもう。


兄弟がいらっしゃるのかとかの話題もだけど、子どもネタはこれだから苦手だ。

ばかだなあ。

次からはきかない。

大変でもあるが大事にしてがんばりますと、

それで十分だった。反省。



加えて最近またネット依存気味で、、

育児や闘病日記やマネー教育関係、起業系のブログなどほんとにみなさまお上手かつ興味深く

つい読んでしまうのです。

でもやっぱり、たとえば闘病だと医療者側への苦情や求めるもの的な内容は、よんでいていろんなことを思ってしまい(気の毒ともおもいつつ、医療に携わることもおおいので、反省もしてしまうし、でもまたいまのシステム自体がオーダーメイドによりそうことなどできないと実感もあり、それらを考えてしまう)。

マネー教育関係だとむだに焦ったり比較したり。育児他も同様で。

つまりご自分の人生を上手に綴られている人にすごいとおもいつつ羨ましくもあり、いろんな思いに襲われて苦しくなってしまいます。


少しネットは離れるべきかなと思っています。


インターネット依存して他人の人生を覗き見してそのかちかんに影響されすぎたり、

あるいは比べて自分を正当化したくなるとか、そうゆうの今はやめたくおもいます。

自分の人生を時間を大事にせねばです。

少し離れまたコントロールついたらたくさんお邪魔しようとおもいます。

#口は災いのもと #こありこなし #育児 #ブログ #ネット依存 #医療系ブログ


異次元の少子化対策。


まさか増税してばら撒きで終わり、、なんてことではないよなと思いつつ。怖い


少子化なんていま始まったことじゃない。

政府の怠慢をいまの若い世代に突然押しつけても仕方ない。


これだけ価値観が多様化してきてとくにデジタルネイティブ世代では顕著な気がする。

年功序列も性別の決めつけも、辛いことを無理に頑張るのが美徳とかいう日本古来のおしつけも、薄まっている。良いことだとおもう。


子どもを持ちたい人ももちたくないひとも持てない人もいる。

いろーんな状況の人がいる。

全員に平等は無理でも、いろんな人がみんな

自分らしくそれぞれに生きて選択できるっていうのはどんな社会だろう?

そのなかに、子どもをもつ育てる、複数人の子供をもつ、育てる、そんな項目が一つおおきな選択肢としてあるような、そんな風になって。

気軽にといったら語弊もあるが、

子どもを産み育て、子育ての幸せや可愛さやまた辛さも悲しさも経験する、そのハードルを下げるようなイメージ。

ただし妊婦サマ子持ちサマになってしまってはそうでない人と分断を招く。そうではなくて。


こんな難しいことはない、と思うけれど

基本にたちかえれば。

治安が良く、仕事がありそこそこの収入が保証され、セーフティネットがありもし育児が困難になれば頼れる場所があり、子どもを安心して預け教育できる場があり(そこで働く人保育士さんや先生の待遇給与改善も)。子どもの医療費は安くすみ多少の補填があったりあるいは税金が少しやすくなったり。子どもと楽しめる場がたくさんあり。

でも子どものいない人や子育ての終わった世代にもあたたかく、両者に溝がなくお互い感謝や尊重をもち接している。

根本は子どもがいてもいなくても何人でも、自分らしく生きられる。

のびのびとその人らしく生きられる国、社会。

そのベースや感覚がなくてはと思ったりもします


お金のばらまきだけでなくて、根本的な部分に立ち返る。日本がどうなっていくかの

きっと大きな分岐点にきていると漠然と感じたりします。


 

 

スピリチュアルは本当に様々だとおもいますし、

傾倒は全然してません。そういった話は好きだけれど、

もし患者さまが言い出したら「••••」となってしまうくらいには、

警戒してたりします。

でも。

昨今の戦争や恐ろしく非道な犯罪、子どもの虐待、闘病ブログなど読む機会もあったり

また育児をする上で考え感じること自分自身のこと

他者のこと、、

すごく不条理だなとか、逆に幸福なことだなとか、

他人とおもわず比較してしまったりとか、

この情報社会もありなんだかぐちゃぐちゃになってました

偶然この方のブログを読み、魂の修行という考え方、

赤ちゃんはその修行のため人生のテーマを決めていることもある、といった

解説などを読み、

霊感もない私にはそれが真理だと言える術は無いのですが、

とても腑に落ちた考え方でした。

とはいえ。

いま与えられた人生、環境なにもかもを諦めていいわけではなく。

受け入れるもよし抗ってみるもよし、なにより感謝とその感情を味わうこと。

それは忘れずやっていきたいな、などと感じました

この辺のことは、ビジネスブログでワタナベ薫さんもよく書かれてました。

 

育児だけになりすぎず、私はやはり感情とか、意識とか、

人生とか人の生き様とか、考え方にすごく興味があるので。

ぼやーっとはしているけれど、人生の中で少しずつ噛み砕いていけたらなんて思います。

 

視点が狭く低くなりがちなので、高次元のお話をきくのはけっこうすきです

ぱっと視野が広がる気がします^^

 

 

 

子どもが二人になり本当にほんとうに、大変になってきました。

一人だったときはあまり手がかからない子だったのもあり、保育園&パートで、なんというか毎日ここまでじゃなかった。

今や本当に..目が離せない下の子,歩き回りどこでもいってしまい.窓とか落ちそうだし,机でも椅子でも登って遊んで落ちそうになるし

風呂場の浴槽になぜか?落ちて浮いていて(いっしゅん、脱衣所をみていた一瞬のこと!)

悲鳴をあげて掬い上げたら、すぐに大泣きして一安心とか。。

頭からソファから床におちて首がごきっとなりかけまた私悲鳴。

いたずらして戸棚に指をはさみかけたり、よちよちの足に重いもの落としかけたり、、

本当に目が離せないです。

世間でニュースになる小さい子供の事故、親や養育者や大人の不注意はもちろん大なり小なりあるのですが、明日は我が身で全く批判できないし、気をつけねばと思うばかりです。

家事や上の子の相手どころじゃなく、そのことにすごくイライラもする。

上の子も昔は階段おちたりやけどしたり、ひやっとする事はあったけど。

 

仕事をパートで保育園いきながらだし、以前は時間あるからとか暇だしとな謙遜してみていたが

今やもうそんな余裕はなくなり、恥も外聞も気遣いもなくみっともなく大変!!と周囲へ言いまくりです。

かりに子ども保育園で仕事が軽く、一人になれる時間が少しでもできたなら

とにかく静かに心身休ませるかがーっと食事の下拵えや掃除機や洗濯、、

たまったプリント整理やメール返信。

美容院も服の買い出しもできず、髪は伸びっぱなし、手袋マフラーは子供といてどこかに落として無くなり日傘や帽子は壊れ冬は必須のレグウォーマーも厚手の靴下も穴あきボロボロを着回し、スカートはユニクロの安いのを毎日洗って乾燥させて着回し。ヨレヨレ、、アクセサリーもなにもつけるまがない。つけたとしてどっかなくす。指輪とピアスすでに無くしました。

ほんとに、、あまりに忙しい毎日。

 

同時に、これがずっとじゃないことを夫とも噛み締めている。

子どもはどんどん大きくなる

私たちだっていつ死ぬか、あと50年60年生きるつもりだけど

身内は昨年あいついで癌で亡くなったし、知人のお子様はかつて不幸な事故で亡くなった。

 

現状に不平不満ばかりいい未来を不安視していても、極論

いま生きていることをみのがす。

子どもや夫は所有物ではない。

当たり散らしイライラなんて論外。

 

ストレス発散は、スマホばかりしてネットサーフィンになりつつあり困りものです。

マネーブログやワーキングマザーブログや闘病ブログや企業ブログ、いずれも血肉になると思えるブログばかりで息抜きに結構読ませていただくのですが。そこばかり追いかけてもだめだ

人はひと 私は私で 私の人生に集中する

感謝 嬉しさ 喜び 幸福感 寂しさ悲しみ喪失孤独感 おそれ、、

それらが人生でできれば前者が多くありたい。

 

子どもたちが元気に生きていることに感謝。

ドタバタな日が長く続きます様に

いつかいや数年もして子どもが離れていっても、あの時楽しかったと

得難い時間を過ごした

小さな子どもと全力で必死で毎日コミュニケーションして遊んだ!抱きしめた!笑った!褒めた!大好きありがとうってつたえた。

と、思いたくて。

そのいちねんだけで頑張っている。

 

いや子どもだけじゃ無いね

親、兄弟家族、伴侶、知人、

優しく接してくれる人すべて。

 

逆に。数年の付き合いがあったがどうしても違和感があり失礼なことを言われた相手とは、昨年末に関係を切った。悪い人じゃないとおもうが

その奔放さや身勝手さ他者への思いやりのなく価値観を押し付けジャッジするのが、苦痛になってきて。心無いメールをもらったのをきっかけに

厳しい返信をおくった。決別をこめて。

その後は一切のコンタクトをしていない。

時間の無駄、だから。

もはや有限の時間 お金 労力体力

そんな人に関わる暇が本当にないのだ

気に入られるようにするなんて余裕もない。

私は結構厳しい面があるとおもう。普段言わないだけで秘めているので、いっかいプチンとなると

鋭く切りつけると思う。二十代のころも無鉄砲にも、とんでも偉い上司にくってかかって、その後和解するまで暫く大変だった苦い思い出がある、、(それは当時ほんとに辛かった夜間摂食症候群にからんでのことだけど、知ったふうに言われたのが耐え難かった)

 

たくさんの人との関わり、上記2例のような失敗も含めて

すごく学びになって今がある。

 

大事にしよう

とりあえず明日あさは、怒ってしまった子どもをハグしようとおもいます

 

先日のことですが記録用と整理に。

 

上の子4歳、いつもは利発で歌や踊りが好き。慎重なところもあり、もっと小さなときから

わりと親の言うことを聞いてくれる子でした。

もちろんいつもじゃないけれど、食事も野菜もまあまあ食べるし、たぶん育てやすい子だった。

それが3歳前後から、下が産まれてからはとくに癇癪を起こすように。

私自身も小さな頃の記憶で、祖父母の家で何か眠いとか気に食わないことされたとか些細なことで、爆発してずっと泣き騒いだのを何となく覚えてる。大好きな祖母が何度も声かけてくれても、それもいやで、気に障り、そんな自分も嫌でまた泣いて〜みたいな。

だから、子が癇癪したときはどんな声かけもなかなか無意味で時間がたち落ち着けばケロリとするんだと、分かってもいるけど、、

さすがにたまにだったのが毎週になり週に1回が2-3回になってくると、何かがいけないのか満たされてないのか普段の声かけが接し方がわるいのか

不安になり。

また、こないだは出かけ前に1時間以上ギャーギャーグズグズされ焦ったしウンザリしたり。

その前は雨の屋外で路上で騒がれてご近所の顔見知りのおばさまや知らぬおばあちゃま数人が雨の中足をとめ声をかけてくれたことも、、。

けっこうな雨+うすらさむく+ベビーカーにレインカバーで下の子も気がかり+自分も濡れる、

でほんとに置いていきたいとおもったり

抱っこするにしても物理的にむりだしで焦った

結局家までは帰ってこれたのでまあよかったけど

 

そんなことがわりと続いたあと。

 

本人はけろりとしているけれど

私はすごく嫌だったし悲しくもなり。

雨の中での癇癪は、雨でも遊べる屋内施設へ張り切って行こうとしてたのもあってよけい自身が滑稽で惨めになり。

すっかりメンタルがやられてしまい。

 

上の子はケロリとしてから落ち込んでる私にいつも以上にべたべた、気をひこうと下の子にちょっかいしたり、無駄にご飯をきれいに食べたり

いつもなら本心誉めて かわいい!!っと抱きしめるのに。

できなかったです、、

 

「嫌だったんだね」「癇癪は自分もつらいよね」

そういってぎゅうっとしたかったけど、

ひどい癇癪が連発したあとのある日、

気持ちがすっかりウンザリして上の子を抱きしめられなかったし 全然、笑ってあげられなかった。

抱っこしてーとかねだられたのでおざなりに抱っこしてあとは夜のルーチンしただけ。

 

可愛いのはいまだけ。

そんなふうに塩対応しても、子どもの心は満たされない

癇癪の有無じゃなく満たされているかをみなくては。。

でも下の子のあいてもあるし難しいな

世間の二人以上育児してる人みんな悩んだりしているのかもですがね、、

なんだか気持ちが沈みます。

 

追記:

暗い記事になってしまいましたが

この翌朝、珍しく上の子が私の布団へ入ってきていてくっついていました

ご機嫌に起床してくれ、くっついてた!というのでなんだかかわいくなり

きちんとハグできました。

癇癪問題は継続中ですが、、また折を見てブログにでも。