本日2017年12月21日『原子力明るい未来のエネルギー』看板がとうとう撤去されました。
撤去した方がいいとか、残した方がいいとか、
色んな意見がありました。
私にとってこの看板は、上手く言えないけど、
昔からあった物だったし。
物心ついた頃には、下で友達と待ち合わせして、
体育館で50円払ってバトミントンしたり、
時には好きな男の子と待ち合わせをして、
前田川の桜を見ながら通学したり。
こんな田舎で何が出来るんだよ!と親にタンカをきって18歳で上京した時も
ギターをしょって この看板をくぐりました。
故郷に錦を飾るまでは帰ってこないと言ったくせに、一年でホームシックになり、
ズタボロの体を引きずって帰郷した時は、
双葉駅の改札で駅員さんに『おかえり』と言われ、
商店街の真ん中で、精肉屋の夫婦に『おかえり』と言われ、
みんなにおかえりって言われるもんだから、
悩んでた事に馬鹿らしくなって、アーチを抜けたら小走りで実家に帰った。
今になって思うと、上京して一年帰らなかったという事は、実家で家族と過ごす機会が
お正月とお盆の分で、人より二回足りてない。
仕事の締切が間に合わないからと言って、帰らなかった年末もあった。
これで三回。
東京で忙しい忙しいって生活してる自分に酔って、疎かにしていたよね、双葉のこと。
アーチが無くなると聞いて、「ふーん」と特に深い事は思わなかったけれど、
いざ無くなったと聞いて、アーチの無い風景を想像したら、
そこは私の知っている双葉町では無くて。
悔しさなのか、悲しさなのか、よくわからない気持ちが押し上げてきたんだよ。
封鎖が解除される頃には、色んな物が撤去されたり、増えたりして、
もうどんな姿になっているのか想像もつかないけれど、
やっぱり双葉町は私の故郷で、
いつか封鎖が解除されたら、やっぱり戻りたくなったんだよ。
年配の人たちが、「戻りたい戻りたい」と言って、ずっと仮設に住んでる人がいるけれど、
こうゆうことなんだね。
それだけじゃないと思うけど。
私達世代よりも、双葉の長い歴史を知ってるんだもんね。
帰ろう。いつかみんなで帰ろう。