2024/6/7(金)  01:59

 

 

 

 

 

 

逢わないと決めてから、既に半年が経つ。しかし未だに、彼女のことを忘れられない自分がいる。

 

賢くありながらも我儘で無邪気で、自分自身の価値というものを解っている、狡い女だった。

もっと彼女が意地悪で、振り回してくれたら、きっと今頃、只只管、彼女のことを愛し続けて、果てれたのだろうか。

 

とはいえ、仮にこれがただの対一般女性であれば、ドルヲタからも風俗狂いからも脱した、仕事しか残っていない抜け殻なアラサー独身男性、愛を口実に主人公へと据えて物語を記すというのは、気色悪さ極まりないだろう。

だからこそ、彼女、ソープ嬢を冠した彼女というのは、少しぐらいは主役に据えてもまだ赦されそうなものだ。

 

風俗嬢に恋などすべきではない、あくまで相手は接客としてサービスしているだけだから、恋愛感情を抱いたところで重苦しいだけだ、互いにライトな関係性を望んでいる、故に既婚者が合法的な不倫として風俗へ通うわけだ。

 

嗚呼、解っている。そんな正論もまた、この裁判な世界観の対峙を加速させてしまう。

 

 

 

何故、別れるに至ったのか。何故、ただの友達の関係で終わってしまったのか。

 

人それぞれ、恋愛の終焉を振り返って、もっと先延ばしにできなかったか、一日でも長く関係を維持できなかったか、などと反省することはあるだろう。そんな懐古たるものが、証拠提示や第三者による議論や判決など、裁判的だと筆者は感じ得た。

 

楽しかった日々、もっと遡って信頼関係の構築に励んだ日々、などよりも、終焉の瞬間というのをつい、激しい後悔と共に思い出してしまうものだ。忘却すべきという理性に反して、何度も縋ってしまう感情が打ち勝ってしまい、そのギャップたるものが、終焉後の世界、目に映るもの、耳に聞こえるもの、すべてが色を喪ってしまう。

 

なんて味気ない世界だろうか。故に、誰もが白装へと変わり果ててしまう。

 

 

 

しかし、その議論というのは、決して永遠に続くものではない。

まるで決壊したかのように、思い出が溢れ出て、壇上は周囲からの散色により、色彩を纏う。

 

恋愛関係を打ち切った今、ベースは前述の通り、白。しかし、意識に反して蘇ってくる思い出により、色を取り戻すものの、あくまで記憶でしかない。断片的だ。その結果、ラスサビなどでのペインティングや衣装様相となると、筆者は考えた。

 

自業自得、というメッセージ性の中にも「忘却の彼方だ その続き 始めればいい」という歌詞がある。続き、とあるために、よりを戻して復縁、だとも読み取れるが、筆者としては、人生は続いていくが故に、新しい人と出逢って新たな恋を始めることへの励ましのように読み取れた。終盤での「選んだ感情 何を失ったか? 思い出より残酷だ」というのは、これに違和感無く繋げるのであれば、こうして過去の恋愛の終焉と一人対峙して、虚無へと還る情感というのは、紡いできた思い出の否定化、そして新たに踏み出すことも無いために明るい未来への兆しも無い、という絶望感を指しているのではと考えてみた。

 

そう考えてみれば、締めに詰め込んだメッセージというのは、筆者個人としては、紛れも無く、某ソープ嬢のことは忘れるというか少なくとも終焉の瞬間を思い出して悔やむ暇があれば、新たな恋へ踏み出すことにエネルギーを注ぐべきだという、強く背中を押されたような感覚をも得た。なお、ここで、忘れる、を否定したのは「真っ赤な血が まだ流れてて 瘡蓋になっていない」とあることから、終焉も思い出も、完全には忘れ切れていないことを指しているのだと考えた。

 

などと考えてみれば、愛とは自業自得。過去の言動、懐古における情感、どれもが自分自身を起点としたものだ。正解など無いと謳うことからも、これには完全な定着など無く、流動的だ。終わらない変化の最中でも、次なる未来へと踏み出して前へ進むというのは、確かに混沌的だ。不規則的に色を纏いながらも、瞳を閉じること無く、今に焦点を当てて。

 

故に、複雑な笑みというのは、憐れむべきではない。誰もがそう、十二分に対峙し得る、混沌なのだから。

 

 

 

十色の記憶を浴びる瞬間を「転」の位置に据えるというのは、改めて、息を呑む表現技法だ。(1888字)