最近ではすっかり、平日夜帯にやるどのニュース番組も、コロナを第一または第二ニュースに据えることは無くなった。

もっとも、コアなチャンネルとかなら、話は別だが、都内5局はもっぱら、外国情勢やスポーツ、季節ものなど、すっかり平和な日々が戻ってきたように感じられる。

 

外に出てみれば、特に晴天の日などは、コロナ前と大差ない人出の多さであって、どの街も本当に賑わっている。

雑に議論しようとすれば、歓楽街は増えてベットタウン近辺の街は逆に減ったと言えそうだろうか。これはあくまで、コロナ禍との比較仮定でしかない。遊ぶ街には出掛けられないけど、外には出てみたい。近場なら買い物ついでとか言い訳にできるかなと。しかしこれも最近、机上の空論でしかないと気付かされた。どの街も関係無い。人出は多い。

 

そうなると、個人的見解でしかないが、女性よりも男性が一層と生き辛い世の中になったように感じてくる。

特に独身男性だ。たとえば女性であれば、友達同士にしろ、恋人同士にしろ、割と外へ足が向きやすいのではないだろうか。実際、街を歩いてみれば、女性の方が若干多いように見受けられてしまうものだ。ただの主観だろうか。

で、男性はといえば、もちろん恋人などがいれば話は別だが、そうでなければ、友達同士か、あるいは勇みよく一人ぶらりといった感じか。しかしどうなろうと、歳を経れば、どこか哀愁が漂ってしまうものだ。

 

 

 

今回挙げた、天使にはなれない『ロンリーハイ』は、一人でかつ家で呑むような光景が浮かんでくる。

六畳間、とあることから、これは妄想でしかないが、まだ二十歳前半で収入も安定しない中、生活に負担無い程度で一人暮らしという、社会人走り出したばかりの、華金の様子に違いない。もっとも、華やかさなどは無い寂しい様子だが。

 

そのため、先ほど挙げた「老齢的哀愁」というのは、この楽曲の世界観とは微妙にずれている。

孤独なのは変わらない。しかし大きな違いとして、わかりやすく将来に希望があるかどうか、が挙げられる。

そのエビデンスとして、落ちサビの『乾杯だ 未来の僕と盃交わそう』が挙げられる。

「呪詛」「傷口」「迷宮」などとは対照的に「乾杯」という単語が出てくるところからも違いないだろう。

 

メロディーからしても、歌詞での孤独な現状への負的感情よりかは、未来への希望、を主張したいに違いない。

もっとも、メロディーに限らず、天使にはなれないという、ヒロインズの中でもフレッシュなグループが楽曲表現していることからも、真に伝えたいメッセージ、重点は陽側だと見做すべきだろう。

 

 

 

超新しいグループとしては、ZUTTOMOTTOなどが挙げられるものの、iLiFE!や夜光性アミューズ、twinpaleやTENRIN、のんふぃく!などと比べれば、パラレルサイダーと同程度には若いアイドルグループである認識だ。

なので、そんな位置付けかつ経歴的な面からも、希望を歌った方が相性が良いというのはあるが、個人的には、そのグループ名にも注目したいところだ。アイドルとは偶像とも呼ばれ得る存在で、手の届かないとまで崇めたくなるほどのアイドルも存在する。そんな超常的なイメージとして、一旦天使を仮定して、それを否定する。結果、親近感や人間味、等身大な魅力で勝負することが、その命名から肯定されるわけである。なんだか無理矢理感を覚えてしまう導出だが。

 

だとしても、今回挙げたダンス動画、ここまで個性を残してアイドルプロデュースするというのは、そう簡単なことではない。もちろん、私服で踊っているのは一つあるが、個性の多彩さというのは、昔、iLiFE!『君セン!』でも同様にダンス動画を題材に書いた時にはそこまで感じなかった。もちろん、iLiFE!も多彩なメンバーが揃っていて、グループという一集団として活動継続させるために、ムードメーカーや、歌唱力やダンス力などのパフォーマンス担当、さらにはSNSなどの情報発信スキルなど、個々人で異なる強みを持ちつつも、しっかり互いに尊重し合っている。

 

もっとも、iLiFE!に限らず、昨今のライブアイドル界、多方面から注目される業界と化したからこそ、昔のような生半可な活動遂行では不十分なわけだ。しかしその一方で、運営とアイドルの相性が悪ければ、過重労働や過度に暇とか、さらにはもっと抽象的に方向性の違いなど、この相性面でもそうだが、それを抜きにしても、全体的に仕事量は明らかに増えている。それでも今日、むしろ豊かさを増して広まっているというのは、如何に個々人がアイドルとして生きることに強く悦びを抱けているか、そしてグループ、一集団として相乗効果を生み出せているか、が間違いなく素晴らしいわけである。

 

 

 

ただ、改めて今回のダンス動画に戻れば、アイドルグループを創ること、そしてダンス動画として発信できるほどに、アイドルグループを魅力強い存在へと昇華させること。自明ではあるが、アイドル当人と少なくとも同程度には、運営側も幾重にもハードル高く、難しい職業へと昇華されたに違いない。そのため、アイドルをやる側だけではなく、創る側でも、その魅力や素晴らしさというのを発信していかねば、たとえば10年後や20年後、今日のようなライブアイドル界が持続されるというのは難しくなってくるものだが、まあ、きっとどうにかなるだろう。天命にでも委ねるとしよう。

 

最後に、個人的に一番好きなパートを挙げておきたいが、やはり今日も、コロナ禍同様、パフォーマンス技術高いメンバーに傾倒してしまう筆者だ。ただ、ここまで、自分が良いと思ったものを信じて発信するのを続けてきたからこそ、今日、スキル高い者がアイドルへと就いてくださっているのかなという想いもあるので、スタンスはブレずにいきたい。

で、そのパートはというと、「成れない僕だけど」の「ど」の伸び。オンリーアイ、他の誰にも、という、我の強さ故に不器用な自分を蔑みつつ、しかし深く落ち込むほどでもない。そんな繊細な世界観が、この一音だけで巧みに表現されている。表現者の技というのを議論できるほどに、贅沢とも言える、今日のアイドル界だ。感謝したい。

 

そんなわけで徒然書いてみたが、ウーロンハイとかハイボールとかではなく、一番搾りを一人家で呑みながら、取り急ぎ執筆してみた金曜日の夜であった。今後のてんはなの活躍に期待しつつ、執筆を追えるとしよう。(2803字)