オリンピックに向けて、昼夜ではなく三部制の歌舞伎になるとかなんとか。


しかし、誰の特にもならないのは明らかだと思います。

役者の負担はもちろん、裏方さんの負担はものすごく増えます。
それに私たち観客も出費が嵩む。

それに海外の方に分かりやすく、というのであれば、歌舞伎座でしなくても良いと思います。
それこそ中村座をヒントに仮説で若手勉強会のような形で安価で短時間で遣っていただきたい。

海外のかたでも本当に歌舞伎がみたいという方はきちんと勉強されて、その心づもりで来られるはずですから。

一過性のもに対して目線を下げるばかりがいいとはおもいません。

常々の歌舞伎を支えてるのはあくまで日本人です。


まあ噂でしかないですけれど。

二本の足でたっている場所が、薄氷であることは誰よりもしっている。


少しの歪みですぐに壊れる。自分の無力ささえも自負している。

何のためにと考えられるのは余裕故だと言うことも、わかっている。
だけど、辛いことは否定できない。


初代から現海老蔵さんまでの歴代團十郎の逸話を書き記した本を読み終えました。


團十郎という印象を一言でいえば、江戸歌舞伎の大元というような認識をしていました。


数多居る役者のなかでも華々しい将来を約束された恵まれた血筋という感じでしょうか。

しかし数々の悔恨や悩み、その立場に成らねば判らぬ、他者へは告げられぬ思いに苛まれて居たのだろうなと痛感しました。


初代は新しいものを生み出して、礎を作ろうと奮起し、二代目は父の作ったものを受け継ぎ、さらに発展を目指します。

三代目は早くして亡くなってしまい、此の時代は子供も必ずしも大きくなるまで育つ確証もなく、また病気にかかればいつ亡くなるか分からない時代なのだなと言うこと改めて感じさせられます。

四代目は養子であり、周りからの様々なやっかみにも耐えるべく、芸を更に飛躍させるため、自身のことよりも芝居全体をみる、大きな視野を持った方だそうです。
その実子の五代目は父がしっかりしていために朗らかに芝居に励むことができ、その態度が真剣身が足りないと叱責される対象にもなり、様々なトラブルを起こしていたようです。

しかし、この時代、役者同士の不仲が客にも簡単に伝わっていたようで、和解する芝居が打たれるとそれが人気にも繋がったそうで今も昔もスキャンダルはみんな好きだったのだなーと面白かったです。


六代目は大変美しく、役者絵もよく売れて、様々な役をこなされていたようですが、早く亡くなり、惜しむために様々なものが売り出され相当の売れ行きだったそうです。


一番驚いたのが八代目が自殺してしまったことです。


七代目が政府が贅沢をするなと芝居に難癖をつけることに反骨精神で歯向かい、父不在でも芝居を努めねばという気持ちや、父の本妻、妾の問題など、今ではわかりづらい問題もたくさんあったようです。

それらがいっぱいになってしまったのかもしれません。
若い頃、『人気役者になれるなら、30で死んでも構わない』と願うほど、真面目な方で、父が江戸追放されてから毎朝願掛けに出掛け、その行いが幕府から推奨され様々なものを賜ったされたほどだそうです。

が、著者の方も述べてる通り、そんなことより、さっさと帰してやれよ!と思いますが、それとこれとは話が別だったようです(笑)

そんな息子が自害とは、なんとも言えない気分でしょう。


人間以下の扱い同然、注意を促すにしても罪人のように扱われ、笠を被らねば外出できないなど今の俳優さんには考えもつかない扱いの仕方です。

それが徳川幕府が倒れたと同時に、それまで武士の嗜みとされていた能、狂言も敵視され敵視されることとなり、その一方、今まで小賢しいとばかりに思っていた芝居の地位が一気に上がることとなり、政府に喧嘩を売ったがため、幽閉の後江戸追放を言い渡された父を持つ九代目は、こんなにも時代は代わるのかと、さそ複雑だったことと思います。

よく先代がいる身は辛いと言われます。常にその先代と比較対象にされて、ここがどうだ、そこがどうだと批判の対象になりやすいからだそうです。


しかし、その先代がどのようなものか、また周りがどのように扱うべきか分からない状況下においての大名跡の襲名というのも、またあまりにも辛いものだとうことが分かりました。


九代目は諸外国と対等に渡り合えるため、芸の分野も質を上げねばなるまいと考え考え、幕内と対立しながらも作り上げた方で、私も鏡獅子を遊郭の話から御殿の話に変えたということでその方の志を知ったのでした。


しかし九代目は十代目を誰に、という話をしておらず、空白の時代が訪れます。


それを打破したのが海老さまブームの十一代目だそうです。
亡くなったときに十代目にと、されたそうです。


そこから海老さまである十一代目の團十郎の名跡の重圧や苦労、確執などが浮き彫りになった気がしました。

十一代目は『きのね』という本からぼんやりと人物像を描いていたのですが、事実と照らし合わせて、團十郎を死守するためにという、見方をすれば真っ向勝負で、筋が通ってないことは認めない方だと思いました。




一度失われたものを認識させるためには、相当の苦労が在ることともに、やはり並大抵の努力の賜物が今現在のものだと思うと、一層舞台を観るのに力が入ります。

自身が御園座で初めて歌舞伎の本興行を観たのが海老蔵襲名だったので、また一層感慨深いものを感じずには居られませんでした。