サポーター概論 Chapter 1
*本テーマはあくまでも金澤太郎が考えるところの理論であり、全てのサポーターを包括するものではありません。
Q 「何故サポーターは飛び跳ねるのか?」
太郎が一番恐れており、かつ最もリスペクトしている最強のサポーターとはどんな人種なのか?
それは間違いなく・・・
“運動会でわが子を応援するママさん達” である。
愛すべきわが子のために、何日も前から準備し、当日は朝早くからでかけ、会場へ席取りをし、同類のママさん達と互いにテンションを上げ、息を飲んでわが子の出番を待つ。
当人のように手に汗を握り、緊迫し、競技に挑む。
その舞台はすべてわが子のためにある瞬間と言うがごとく、本人は聞いているかどうかもわからないのに声の限り応援し、集中し、全身で全力で一喜一憂し、飛び跳ね、時には心底悔しがり、不信な判定には「おいおい運動会じゃん」と突っ込みたくなる程の罵声を浴びせ、終わったあとには結果問わず、わが子の健闘を心から称え、癒す。
(ちなみにスカウティングはもっぱら客観的な主人の役目である)
どうでしょう。ゴール裏の住人の行動パターンと酷似していませんか?
しかもそのパワーはぬるい地蔵系サポーターの比ではありません。
「何故飛び跳ねるのですか?」という疑問はこんな母親達にすれば愚問以外の何者でもないぐらい、飛び跳ねるという行為は自然な“衝動”なのである。
物事には全て理由がある。
しかし“衝動”の理由には理論を越えるものもあるということ。
サポーターという人種はその応援する対象が大切であればあるほど、衝動による行為を抑えることはできない。
歌を歌い、飛び跳ね、ゴールの時、勝利の時は共に歓喜し、失点の時、敗戦の時はその失意を振り払うようにやっぱり歌い、飛び跳ねるのだ。
そんな気持ちの自然な表れをさらけ出すことにより、またそれを選手が見たり感じたりすることにより、その自然な“衝動”を感じて“鼓舞する”“奮起する”という、これまた“衝動”へと繋がるのではないだろうか。
一言、言っておきたい。
ルールや台本にのっとり規律正しく制御された応援はサポートにはならない。
やらされるのではなく、やりたいサポートを感情のおもむくままにする事こそが選手にメッセージとして伝えることができる。
見た目や体裁は二の次。
自分達がどんな気持ちで今この瞬間にいるのかを全力で選手に発信する事がサポーターの基本と考えます。
そのスタイルが、座っていようが立っていようが、何処で見ようが関係ない。
がしかし、
ゴール裏では自分が表現できる最大の“衝動”を爆発させてほしいと思います。
またゴール裏とはそんな場所だと思います。
ということで・・・
A 「自然に飛び跳ねちゃうんだもん。うふっ♪」
以上。
概論と言っときながら、サポーターに理論はいらないんだよねー。