ワクチン一点にすべてを掛ける、などということは総理大臣が伝えるメッセージとしては最悪だ | ずるずると道・郷・話を愛でる

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房総半島から栃木県北部を中心として、
街と街を結ぶ県道・国道・峠道を巡回しながら、
持続可能で成長する日本の未来の為に成すべき事を考えます。
日々の個人的な興味について書くこともあります。

 

今の国民の命どころか、未来の国民により豊かになれる環境を残していくことが我々社会の一員が担うことであり、それを変わりに実施するのが政府であったり自治体であったりする。その仕事が民間の地元企業などが請負実施していくという流れが、社会の持続可能な形というものであろう。

コロナでその社会が相当ダメージを受けている中で、同しようもない中での博打を打つというようなやり方は、ドラマなどでは許されても現実の政府がおいそれとやっていいものではない。要するに失敗するとどれだけの被害が出るのかということを想像した上で、それを緩和するような次善策やサポートする政策を併用していく、というのが政府の政策には必要なことである。その長たる総理大臣が、その責務もほとんど放棄するような物言いをしていいはずがない。もっと批判されるべき問題である。

 

自由が素晴らしいからと行って何でもかんでもおおっぴらにしていいというものでもない。野放図な自由は衝突を生む。誰も制御しないと、「つよいもの」だけが買ってしまう。その際負けるものとして個人だけでもない、社会そのものが負けて瓦解することすらあるのだ。

 

 

すべてをかけてはいけない。たまたまうまく行っていることにすべて寄りかかるのはそれができなくなったときに対する対応の遅れとそれによる致命的な問題を引き起こす可能性がある。別に、スガがどうにかなってパンケーキを食えなくなる程度ならば、自分のしでかしたことを自分だけが引き受けると言うだけであって、とやかく言うこともない。しかし、全国民がその影響を、総理大臣本人よりも強いインパクトで「痛み」を受けることになる可能性があることを、運二店をまさせてやる、ということ、他の考えをろくにしない中でやるのはまったくもって許せないことである。

 

スガが総理大臣に向いていないという話もあったが、それを言えば、前総理も昭和の時代に作り上げた日本の国力をここまで貶めてコロナに突っ込まさせたという意味で、戦犯としかいいようがなく、それを引き継ぐというのは相当な罰ゲームであるというところがあるだろう。しかし、その良心の呵責もなしに安倍がすすめるよりより雑なやり方でそのやり方をすすめることは総理大臣としてはあるまじき行動と言えるだろう。それに対して、本気で批判しない状況は、その状況を甘んじて受けるということなので、黙っていてはいけない。事あるごとに言うべきである。

 

批判してもその声が届かないから、やらないという選択肢は基本的にありえない。言わなければ届く可能性すらなくなって、むしろ為政者側から言えば都合のいい状態となるだけだからだ。事あるごとに言い続けることはものすごく大事なことであり、それの影響を少しずつでも広げることの大事さは改めて知らなければならないことである。