発散より結束の時。選択的夫婦別姓が現在日本の争点なのか | ずるずると道・郷・話を愛でる

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立憲民主党は民主党の左派グループが、豊洲の女こと小池百合子と前原の民主党分割クーデターの結果、結党した党である。

民主党のサヨク的な性質の政治家が集まった政党であるということだろう。

 

その政党が全く支持率を挙げられていない。さすがに、新聞社などが行うアンケートの数値が狂っているとはいえ、支持率が20%もあるはずもない。その数値と肌感覚は違っていないことは事実だろう。それはなぜだろうかと党の立憲民主党の執行部は真剣に考えたことがあるだろうか。その気配がないことは、党首の枝野が下記のようなことを堂々と発言してしまうことからわかることだろう。

 

https://www.fnn.jp/posts/00417183CX/201905050625_CX_CX

「選択的夫婦別姓を」 枝野氏、参院選争点に 

 

以前から、リベラルな人々が、家制度からの自由の象徴として訴えてきたことである。多くは女性側が制を変えなければならないことが我慢ができず、結婚しても、その家の一員でありながら前の姓を名乗り続けることを選択できるようにする、というのがその訴える内容である。しかし、この問題は結婚の当事者である一人の選択に限らず、家族であるという一種の象徴であり、一体感の具現化である姓が家族で同じであるということを突き崩すということである。ようするに、家族の結束を緩くする効果が強いものである。これを、選択的に許すということは時間をかけてその形を解体していくことを方向付けるというものだろう。

 

家族からの自由が実現することは、それだけを見るとうれしいことかもしれない。しかし、家族をなして子供にとって家族がどういうアイデンティティーであるかということを形の上で示すものが一つ取り外されるということで不安定化することもあるということは、これまでこのような制度を続けてきた歴史が語っていることでもあるだろう。

 

そして何より、現在の日本が置かれている状況を考えなければならないだろう。それは日本のあらゆる力が衰えていっているということである。それ故に、それを加速させるようなことを今考えるべきなのか、それとも、余裕のある時にその意味合いを考えるかでは、その判断は大きく異なることになるだろう。そもそも、そのような複雑な影響範囲を考えるとより時間をかけて、否定することも含めて議論をしていくべき話だろう。

 

その前に行うのは、バラバラになって衰退にストップをかける力すら失っていく状況を何とかすることであるのだ。

残念ながら、上記の選択的政府別姓の話は、その状況に対してプラスに働く話ではない。より多くの議論とパワーを要する話でありながら、喫緊の問題に寄与しないのであるから、それが直近の参議院の選挙の争点になりうるはずはない。もしなるとしたら、考えるべき問題を放棄して異なる題目に目をそらせている不誠実な態度だといわざるを得ない。

 

しかし、枝野党首は、

そもそも執行部レベルでそれに賛成している節がある。要するに、何が大事なのかという優先順位すら計算することができないぐらいに周りが見えていない、イデオロギーに凝り固まった人々であるということだろう。人生は、制度の問題もあるがより大きくには経済をよくすることについて期待がかけられている。しかも、それについてあきらめている人が多いという問題があるのだ。単に声を聴くだけでは、いわゆるノイジーマイノリティーの声だけが聞こえてくるが、本当に解決するべき問題は、経済格差が修復できないレベルに広がっている問題なのである。
 
これは、与党も同様だ。与党はそれをやっているふりはしているが、現実的な経済格差と雇用の不安定さは将来の不安を引き起こし、国内経済の低迷の大きな要因ともなっている。与野党に対して、そのままでいられるという状況でないことを我々国民側から圧力をかける、そして、その声で、脅しをかけるぐらいの発信が必要である。それは、井戸端会議や居酒屋談義的なところから広げてい書ければならないだろう。そういうところから空気が変わっていくのである。
 
 

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