このシーンだけ切り抜くと、一体何が起こっているのかわからない・・。「フォトカノ」
このシーンをまじめに演じるためにいかにキャラになりきるのかというのが演者の極みというが、さすがにこれは高度すぎるものがあったかもしれない。なりきってしまったら、ありえるものとしての共感が考えられるかどうかがわからないのである。そういう直感を持ち合わせないとピント外れなものになってしまうに違いない。
複雑な世の中、何が起こるかわからないというよりは、何が起こっているかわからない、ということも多い。
それ故に、どういうことが大きな問題としてあって、それをいかに解消していくのか、ということを考えていかなければ、巨大な組織としての社会をうまく回していくことはできないだろう。特に、グローバル化といわれて久しく、さらには、情報革命という言葉で表される高速な情報のやり取りがインフラとして出来上がってしまった状況では、ことカネに関する変動は、そのやり方を変えていくことにその反応が如実に表れる。要するに儲かるときは儲かるということではあるが、全体としてみれば、乱高下を繰り返す不安定さに陥ることもあり、それは、急激に上がったり、下がったりすることもある。暢気な理論家が最終的には均衡しまっせ、というような動きは決して金融経済はしないということである。
このような、高度に情報化されたグローバル金融経済がバタフライ効果をまともに考える必要があるぐらいに不安定性を増している状況で、それを抑制するどころか、加速させるようなことがまことしやかに行われていくのである。
それで馬鹿を見るのが、実業であり、カネを稼ぐことで継続してきた事業は、実に効率が悪い事業に見えてくる。
実業を営む製造業やそれに類する技術会社にしても、すでに、自らの中長期的な実業の積み重ねではなく、安易な現地企業の買収や、事業の切り売りを繰り返すことで、まるで実業で儲けているように見せかけながら、実は、既存の遺産の切り売りのビジネスで儲けているという、実業としてはまるで仕事をしていないことになってしまっている。
竹中平蔵が、人生をかけて進めている、PFIの最たるものとして、実施された、水道法の民営化改正にしても、その理屈の立て方が変である。
その変な理屈をまじめに議論しているふりをしている国会議員も頭大丈夫?というレベルなほど、突っ込みどころの多い言い訳に終始しているのだ。いい、悪いを少しは考えて検討するという考えを取り戻した方がいい。議員は、議会でその問題を洗い出して検討して最終的に決めていくという話し合いを最も重要な職務として持っているのである。当然、国民のためになることとしてそれを行うのだ。
目の前に示されるのは、竹中平蔵や安倍シンパの高橋洋一などがしゃべる小理屈だけで、言われたままにそれを信じ、その効果を検討することもなく、過去20年続けてきた過ちを修正するどころか、より深いところにそれを適用していくという愚を繰り返していくのである。それに対して疑問を呈しない国民のおかげでそれを推進することに対して、悪気も感じないがゆえに、その「空気」は強固なものとなっていくのである。



