基礎的財政収支(PB)とデフレ脱却 | ずるずると道・郷・話を愛でる

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房総半島から栃木県北部を中心として、
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迫りくる小惑星は、アオイホノウで燃え上がっていた、しかし、それから目をそらせば特に生活に支障がないし楽しい生活(勝ち組)が送れるのでそれでいいではないか。単年度で黒字を出そうとしておけば、市に行く時期が少しでも遅らせることができる、けけけけ!(絵だけ、チャージマン研!)

 

基礎的財政収支(プライマリーバランス)という概念を広めた竹中平蔵は、永続する国家を運営するためには、長期的な視点が第一に必要だという国家の基本的な考えをぶち壊す革命をやってのけた。

国の発展を調整する国家はいらない、という、新自由主義の教義にのっとった「革命」だったのである。

そう、単純に国家経営の視点から、長期的なものが失われた。そこに残ったのは、近視眼的な予算編成と、アメリカからの日米構造協議を通じて送り込まれるグローバル企業の市場開放のための改造方法だけだったのである。

 

ニッポンの借金はこう減らせ! | 竹中平蔵・上田晋也のニッポンの作り方 ...

・・・借金は人が寿命があるがゆえに死ぬまでに返さねばならぬが、国家は概念的には永遠に続くものであり、借金を返す必要に迫られるタイミングがない!それだけでも、借金をちゃんと返す必要性に疑問が出てくるはずであり、現実として、世界中の国は国債はロールオーバーする者であるということが常識であり、返していっている日本のやり方は特異である。しかも、それが何の得にもなっていないことが問題なのである。そういう前提を疑わないと「ニッポンの作り方」というようなわかったようなふりのできるタイトルの上田君のようにあるいは多くの国民のように、竹中平蔵のビジネスに公金を注ぎ込んでしまうことにつながることに気が付かない。政商とはそういうあくどい人間なのだ。

 

その思想には、まるで国内経済の活性化の項目がない。あるのは、仕事ができなくなりつつある国内での生産活動をもぎ取って海外発注に切り替えること。アメリカ企業のサービスを規制緩和で取り込んでいくことである。国内の仕事は、発注、検収作業や代理店ぐらいの仕事になっていき、主体的な工業、産業は衰退していく一方である。そんな中で、株券や債券、。為替などのカネの世界で儲けていた連中は、企業のプライマリーバランス向上を訴え、株価上昇、配当金上昇でもって自分たちの金回りをよくすることを第一に訴えていくのである。

 

雲の下では楽しい秋祭りがとり行われていたという(君の名は。より)

 

官にも民にも長期的視点は失われてしまい、1年あるいは3か月という、技術開発や投資による長期的な成長を作り出す環境が失われてしまったのである。20年前、橋本龍太郎政権における行政改革より始まったデフレは、小泉純一郎政権で作り出されたPBによって、脱却できないまま続いているのは、長期的な視点を考えることの重要性が軽視されたままだからである。

 

やることなすこと、その場しのぎの政策、特に財政出動という、PBに反する政策は、やるにしても必ず単発であり、中期経過の期間である5年は少なくとも連続で安定的に組むべき予算であるが、それはなされないのである。

 

それが不通に、官民問わずやられてきているがゆえに、人々も短期的な視点を持っていれば何とかなるという、常識が身についてしまったのではないだろうか。目の前いぴょんと現れるスキャンダルには目が行くが、長期的に何が起こっているのか、その視点で見た時の法律改正の問題は何か、ということは、たとえ知らせられても、大した問題と思わないのである。

 

 

財務省が進める緊縮財政や経産省が進める移民党同社、規制緩和による外資の導入など、目の前のことだけを即時解決することに躍起になって訴えてくることは、そういう常識の国民にとってもっとも気になることであり、長期的な話は、実感すら持てないのだ。

 

北海道人は、サボりだからこんなに衰退したんだ!と日下公人は官僚時代の恨み言を500万人に人々に向けて発している。地方創世のやり方の問題をこいつの発言がすべて表しているのではないだろうか。こんな下種に躊躇なく共感してしまうのであれば、そりゃ、国土防衛も強靭化もできないわな。(かつての北海道の国鉄路線図)

 

 

しかし、5年後10年後の自分たちの「現在」を作るのはそういう、失われた長期的な視点であり、あと回してないがしろにしている事柄なのである。

このことこそ、将来世代(あるいは未来の自分たち)につけを回していることになるのである。

 

その無駄遣い、とか攻撃していることが本当に要らないことなのか、

 

その規制緩和や、外資や、海外移転は、未来の我々のためになっていることなのか、

 

表面上はきらびやかに見える外人(アメリカ人(革命的合理主義はいつでも魅力的だよね)、中国人(遠目のビル群は美しいよね)、など)の言っていることが自分たちの今だけでなく未来にも、良いことなのか、苦しめることではないのか。

 

時給400円で働く外国人技能実習生の訴えを拒絶した人気女性服ブランドが大炎上 「同じ日本人として恥ずかしい」「キャリコネ」

法律を使って合理的に金儲けしてみました!同じ日本人として恥ずかしい。そういう感覚は共有すべきだろう。記事の中で企業の弁護士が「法律に違反していないから問題ない」といっていたように、道義的に悪いことをしようとする法律のぎりぎりまで使って行うものである。国家戦略特区というものが、ろくな審議もなく人治で事を進める仕組みであることがもりかけ問題で明らかになってきたが、技能実習生はその先輩格であり移民労働者版の制度であろう。

 

今行われていることをニュースで見るたび聞くたびにどう思うのかを考えなければ、結局自分自身に未来を悲惨なものに導いていくのである。

 

 

プライマリーバランスを受け入れ続けるこの空気は、その前提とする思想のその場の金もうけの合理性とともに人々の心に広がり、「乗数効果」をもって、未来の日本の破壊力を増大させるのである。

 

それは、勝手でもするべき苦労などでは決してない。無駄すぎる苦労なのだ。そんな苦労は本来は、自分たちの環境をよくするため、それによって導かれる国力増進のためいつ買うべき苦労であり、短期視点の経営しかしない経営者やそれを声援する金融・投資家・金利生活者それの寄り添う政治屋金持ち風情の金もうけのカネに消されていくような、世紀の無駄をしてはいけないのである。