11月22日に小学生の娘が、地震予言についての話を知り不安そうだったので、その予言の内容について調べたついでに、ちょっと地震についても調べてみました。
何故こんな時期遅れな話を持ち出したかと言いますと、調べているときに思いついたことがあったのです。
前回、日本の歴史がひとつの出来事を繰り返して語っているのではないか、ということを書きました。
この仮説を信じたら、ではなぜ江戸の町ができたのか、鎌倉は?という疑問が残ります。
これらはもっといろいろなことを検証しないと答えを出せないだろうと思っていたのですが、この地震について調べているときに、ふと思ったのです。
もしかしたら、震災復興だったのではないか、と。
で、ちょっと調べてみたのですが・・・地震が多すぎて、直接的な関連については正直判断つきかねました。
ただ、鎌倉時代には、1241年、1293年と、鎌倉で大地震があったようですし、
安土桃山時代の1596年には、伊予、大分、伏見で大地震が相次ぎ、伏見の地震では京都や堺で死者合計1,000人以上だったとか。
江戸時代が始まってすぐの1605年には、慶長地震というのがあり、関東から九州までの太平洋岸に津波があり、大きな被害があったようです。
・・・こんな中で、本当に1600年に関ケ原の戦いなんてやっていたのでしょうか?
震災と歴史を関連付けて調べてみたら、もしかしたら、復興のために震災の地に入り、勧進をし、公共事業をし、亡くなった人たちのためにお寺を建てた、なんていう歴史があるのかも?