昨日、出生率についてのニュースが流れていました。

過去最低だそうです。


今朝からずっと、なぜ出生率が下がっていくのかについて考えてしまい、頭をぐるぐるぐるぐるニヤニヤタラー

一旦考えをまとめてみました。

これからは個人的な意見が続きます。Brain storming のような内容になります。ご容赦くださいね。

スルーして頂いても大丈夫です指差し


なぜ出生率が下がるのか。


でも、その前に、

なぜ、それが問題なのか。


日本の社会保障のサービスはかなり充実しているように思う。それは人口が、ある一定存在してのことであって、このままでは机上の空論に過ぎない。

出生率を憂う人々は、現在の社会保障システムが継続できなくなることを憂う人々だ。


そもそも出生率は高い方がいいのか。


例えば貧困国が軒並み出生率が高いのは、労働力を要しているからだ。昔の日本も同じく労働力を要していたため、子供はとても多かったように思う。


昔、日本がなぜ労働力を要していたか、それは国の主要産業によるものだ。第一次産業(農林水産業、鉱業)が要であった時代には必ず人手が必要だった。私たちの親世代になると、高度成長期に突入し、労働力があまり必要でない産業の方が優勢となる。


そうしているうちに、今では、国の公共設備などの維持をするための最低限の労働力が心配されるくらい、日本の出生率は下がり続けている。日本において、新しい、労働力を補填できるような何かが生まれてはいない。


出生率の低下には、日本のみならず、世界でも一定の法則があるのではないかと考えている。

それは、風潮か、はたまたマスコミによる心理的な抑圧か、さらに言うと、私たちの親の年代の考えが引き起こしたものなのか。


日本の出生率の低下は、単に費用面の問題だけであろうか。


出生率低下の話を聞いて、まず富裕層は問題としない。必ずしも国の社会保障システムに頼る必要がないからだ。

さらに言うと、その資産や恩恵を受け継ぐために子供が必要だと言う考えが根付いているため、実際に出産率は、ある一定の富裕層は高いのではないかと思う。ただそれが1人や2人であっても。


そう考えると、妊娠出産で離職という社会的リスクを伴わず、子供を必要ないと思っている層は、それは、引き継がれるものがない世帯なのかもしれないし、いわゆる家長制度が滅び、核家族化した結果によって起こったことなのかもしれない。


私の祖父は農家であって、私の父は8人兄弟であった。8人の兄弟は家庭を持っているが、長子においては3人、他の兄弟は子供は2人までしかいない。

なぜそのような結果となったのか。

彼らはそれぞれ若い頃に結婚をしているが、それはアメリカでみた移民家族のように、教育費において多くの子供を持つ事は難しいと考えたかもしれない。さらに核家族が進んでいるため、何かあったときにそれを支える家族の存在が弱い、自己の範疇を超えた家族計画は成り立たないと考えたのかもしれない。

兄弟たちは独立した後、第一次産業に従事していない。長子以外は農業を引き継いでいないのだ。そして、私たちと同じ年代の子供達は農業を引き継ぐことはなく、廃業した。


なぜ、

結婚して妊娠出産するために育休をもらうのに(育休に入る前も)職場に疎まれないといけないのか。

出産している女性の年齢層について考えたとき、周りにいる人は、若くして出産する人もいれば、私のように子供が大学生になるような年に初めて出産する人もいて、その中間にいる年代の出生率は低いと感じることがある。

これは、社会進出が進んでいく上で、女性の意思がしっかりと反映されている結果である。

少子化の原因であるとは言いたくはないが、今のところ表裏一体だ。


確かに、女性は、機能を失ってしまえば、出産はできない。育児は体力が必要で、若い時に出産していた方が体力的には楽ではなかったかという気持ちはわからないでもない。

私も、30歳で長男、34歳で次男を出産した。

たった4歳の差でも、34歳での育児は体力的にとても大変だった。


今では、職場で「マタハラ」があるらしい。

また、「お妊婦様」なんてこともあるらしい。


仕事を休み職場に迷惑をかけるという考えの下に発生した用語らしいが、なんでハラスメントが起こってるのだろうと根底を考えてみると、それはシンプルに、育児を終えた女性がフルタイムで働いてないからだ、と思った。


妊娠、出産、育児に対する知識も経験もなく、同じような年代の人たちが働く職場では、同じような条件を求めるのは当たり前。だからこそハラスメントも起こる。


要するに、会社側の採用の問題である。


いまだに年齢制限のバイアスをかけている採用があるから、この日本の長寿社会で50歳代、60歳代の女性が短期労働に身を呈している。つまり幅広い年齢層が同じ会社で働くことによって改善する部分はあるのではないかと思う。


今、育児を終えたアラフィフの私ができる事は、若い頃に出産したら全てを失うわけでもなく、出産後に働くこともできる、と言う姿であったり、出産をしたからといって仕事を諦めないといけない、子供を妊娠したからといって、職場の風当たりが強くてやっていけない、などという環境を一蹴させることではないかと思ったりする。


一般的な母親からすれば、子供が小さい時に働きやすい会社を選ぶという事は大事で、経験上、熱を出したり急に仕事を休んだり、様々なことで職場の同僚に迷惑をかけて申し訳なく思う事は、なかったわけではない。

旦那さんに、代わってくれ、と苦しくて思ったことなど何度もある。

インフルエンザに子供2人が次々とかかったときにはもうお手上げだと思った。当時の上司が有休を使い切った私を助けてくれたのは今でも覚えてる。


しかし、長い年月で見てみると、この妊娠、出産、育児の時間は、なんと短い間のことかと思う。


そして、ハラスメントなどを助長するような職場環境は、若く新しい人は入ってこない。

断言できる。

単に、その職場環境は今までの環境を変えたくないだけだからだ。

時代の流れに合わない会社は淘汰されていく。


少子化により現状の社会保障を維持するのは難しいとなれば、医療の質であったり、公共機関の利用であったり、様々なことが今から悪くなるのかなと思うと、これから老後を迎える私たちの年代には、とても嫌な話である。


例えば一時期に移民を大量に日本に招き入れたとしよう。

一時期であれ、現在のような社会保障システムを継続することが可能であろう。なぜなら、社会保険の費用を彼らも払ってくれるからだ。

ただし、移民が日本に定着して、そして日本という国の中で「日本らしさ」を継続してもらえるかわからない。また、日本人と同様にこの国で働き、そして資産を作り、子孫を永続的に住まわせることに魅力を感じるかどうかと言う点でも予測できない。


何かを発信すれば叩かれる時代であり、

残念ながら大局から物事を進める、そんな政治家は今はいるようには思えない。今のまま進めば少子化は止まる事は無い。


何かしら、違ったアプローチで、この問題を解決できるような子供を私が育てるのは、あながち問題解決の方法として間違ってはいないのかもしれない。



【参考】