意識を超えた「無」の魅力とは?
大野智くんの魅力について、自分自身がようやくたどりついた答えがあります。
それは、大野くん本人も約20年前に明言していたことでした。
「無」です
まずは、この言葉を記憶にとどめてもらいたいです。
それは、約20年前、大野くんがまだ18歳の時に出演した歌番組「Hey!Hey!Hey!」のトークのワンシーンでした。
(M C) 「大野くんは、踊ってる時に何考えてるの?」と聞かれて
(´・∀・`) 「無(む)です!」
そう答えた後、会場は大爆笑になったのですが、あれは笑い事ではありませんでした。
本人は、意外にも 大真面目で答えていたのです。
当時、櫻井くん17歳 相葉くん16歳 ニノと松潤は15歳かな?
大野くんは18歳ながら、既に「無」の境地を悟りきっていたことになります。
不思議に思っていたこと
私は、大野智くんの歌は本当に歌声から素晴らしいと思っています。
踊りも完璧で、あれほど自由に自分の身体を操れる人は天才ではないかと思っています。
でも、ちょっと前まで、ひとつ不満に思っていたことがありました。
彼の、歌や踊りに主張が感じられないことです。
踊りは完璧で素晴らしいのですが、クセが無いので嵐の中で一番特徴はありません。
(これは、ご本人がそう言っています)
歌声は魅力的だけれど、聴く者に歌い手の主張や感情を訴えるものではありません。
(ご本人も、特に意味は無いからサラっと聴いてと言っています)
これは、なぜなんだろう!? と思っていました。
歌も踊りも「無」の境地
最近、いろんな方の言葉から見えてきたものがあります。
最高の表現者は、「無」の世界にいると言われますが、どういうことかというと
自我が無く自分自身が「空っぽの器」になれるから、無限の表現ができるのだそうです。
そして、そこには「上手い」や「感動」を超えた別の世界が広がっていると言います。
つまり、彼は、自分のパフォーマンスをやり遂げるために「無」になっていたのです。
あ~だから、彼はジャニーズであっても次元が違うのだなと気が付きました。
「無」は無限の「無」
「無」の状態から生まれた大野智くんの表現は、それこそ無限の癒し効果があります。
時と場合により、また受け手の状態によって感じ方も変わります。
パズルのどんな溝にもハマるようなイメージで、嬉しい時には喜びを感じ、悲しい時には癒しになります。それは、大野くんの表現に強い自己主張がないからできることかもしれません。だから、こちら側は無限の受け取り方ができるのだと思います。
崇高な「無」の世界の人
大野くんが求めるものは 崇高な「無」の世界なのでしょう
だから、それは他人に評価される必要もなく
ヘタすると 他人に見せるものでもないのかもしれません
そういう「無欲」 「無私」の人だから
多くの人は、彼の表現を求めて止まないのでしょうね
求めるほうは、「無欲」ではないわけで、そこらへんが難しいところではあります。
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ところで、今までの大野くんの曲の中で、「曲だけ珍しく誘っているなぁ~」と思った曲がありました。たまたま、音楽評論家の方も、「珍しく自分が出ている大野智の歌い方だ」と評していたのですが、私が感じていたのと同じ曲でした。
それは、何だと思いますか? 次の記事で書きますね(o^-')b