PRODUCTION NOTES | 映画「ゾンビ・ヘッズ 死にぞこないの青い春」公式サイト

映画「ゾンビ・ヘッズ 死にぞこないの青い春」公式サイト

映画「ゾンビ・ヘッズ 死にぞこないの青い春」公式サイト!2012年4月14日公開決定!世界中の映画祭で話題沸騰!マイケル・ムーア絶賛のハイテンション・ゾンビ・コメディ!!

まずは資金調達をと、ロサンゼルスで数多くの映画やテレビの仕事をしながら、その合間で脚本を執筆していく怒涛の日々を開始したスピアース兄弟。脚本が完成してみたもの、そこに描かれていたのは特撮多数、撮影現場は50カ所を超え、出演者数も膨大とインディーズ映画の枠を飛び越える壮大すぎるシーンが居並んでいた。

映画関係者に相談しても、一様に「インディーズ映画では無理だ。」と危険すぎる賭けを諌められる。

 

ロサンゼルスでは撮影不可能と判断した彼らは、故郷であるミシガン州で撮影することを決める。ミシガンならば、地元のインディー映画人たちをかき集めやすく、何より、違法スレスレ、時には限界を超えた状態での撮影には法律や規制の問題が緩いこの地がうってつけだったのだ。

 

地元に戻った彼らがまず始めたのは、一緒に過酷な状況を耐えてくれる勇敢な映画スタッフ捜しであった。快く応じてくれた昔なじみたちの支援の下、ついに6ヶ月のプリプロダクションをスタートさせる。ロケハン、絵コンテ作り、できる限り多くのエキストラを求める日々が始まる。

 

そして遂に、8月の熱帯夜、たった5週間のスケジュールで撮影が開始される。それは、予備日も休みも一切なく、さらには睡眠時間もとられていない強行スケジュールであった。度重なる睡眠不足の上、目にするのはモンスターばかり。時には、撮影場所から追い出されたり、ゲリラ撮影中に出演者が逮捕されたり過酷さは増していく。しかし、スタッフに悲壮感は無かった。

 

後に監督のドルーはこの日々を振り返って、「過酷な日々の一方、『ゾンビって可愛すぎる。ゾンビ愛しくてしょうがない。』という不思議なテンションが蔓延していった。そのせいか、出演者とスタッフが家族のようになっていった。」と語っている。

 

しかし、5週間が経った時、撮影はまだ半分しか終わっていなかった。

途中撤退すべきか、という話し合いが行われる。すると、「ゾンビ映画でありながらコメディーと旅とアクションの要素を持つ、非常識で親近感のあるこの物語を世に出すべきだ、何があっても最後まで撮影する。」とほぼ満場一致で意見は固まった。

 

そして、狂った4週間の撮影追加が決定される。

出演者や撮影スタッフは予定していた次の仕事をキャンセル、他業者との信頼関係が目に見えて壊れていくのを笑い飛ばしながら、最後まで現場に張り付いていたという。

 

こうして多くの迷惑の上に、「ゾンビ・ヘッズ 死にぞこないの青い春」は10月の半ばクランクアップを迎えた。ビアス兄弟はこの地獄の日々を総括し、「あらゆる意味でこの映画を支えていたのは、“死にもの狂いのこのプロジェクトが好きだ”という関係者の強い思いでした。出演者とスタッフに心より感謝を贈りたい。そして、なにより僕たちもこの作品が大好きです。」と締めている。

  
左:ブレッド・ビアス 右:ドルー・T・ビアス