以下に述べることは、少しはいい線いってると(誰もいってくれないから)自画自讃しておこう。
僕は、故西部邁と羽生善治のことは、本人以上によく知っているつもりだ。
そう広言し、周りから「ホントか〜」とバカにされている。
自分のことは自分が一番の分からないという言葉をいいわけとして使っておく。
西部邁は、誠実の人だ。
自分が直面した現実、言葉、体験、観念を誤魔化すということがない。
これは、できそうでいて、なかなか余人にはできないことではなかろうか。
米国に占領されてきた現実、敗戦後の日本人の吐く祖国を裏切る言葉、故郷北海道での体験、そうしたものから生み出される観念に対し、真っ正直に(時にはユーモアを交えて)向き合ってきた、それが西部邁という人物なのである。
そして、何より偽善を嫌った。
だからこそ、彼には少数の真の理解者がいたと同時に、かなりの嫌われ者でもあったのだ、と、僕は思う。
彼は警句家でもあったので、その語録を挙げたいんのだが、他所で少し書い書いたので省略する。
(挙げれば、本領発揮間違いなし)
彼が書いた文章の内容を実際には、どれくらいの人が理解できていたのであろうか。
一時期、僕は真面目な話、素人の中では自分除くと理解者などほとんどいないのでは、と考えていた。
というのも、彼の書いたももを一冊で読んだことのある者は、その論理への拘り、あまりの観念的な言い回しに辟易するはずだからだ。
その独特な観念操作にひとたび慣れ親しんでしまうと、次からは、彼の著書の虜になってしまうこと請け合いだ。
それができなければ、どんな読書家であろうが、どんなに頭が良かろうが、彼の書いたものを受け付けないであろう。
最後に、下手な解説より、若い人に1冊だけ推薦しておく。
(今、本棚を眺めてみたら実に多数の本が。悩ましい…)
僕が、最初に面白いと感じた『戦争論』
次に、羽生善治について手短に記したい。
将棋そのものに関しては、自分はプロ棋士には遥かに及ばない。
一つだけ述べてみたいことは、彼の強さの秘訣についてだ。
唐突に聞こえるだろうが、「アナログ」と「デジタル」の融合をやってのけたのが、羽生善治なのではないか、というのが自分の仮説だ。
例えば、将棋の研究において昔ながらのアナログ的な棋譜並べのようなことは、人一倍やってきたことであろう。
それに加えて、PCを活用したデジタル的な研究手法を、彼は同世代のライバル達と比べ、いち早く導入していたなではなかろうか。
彼の才能が、AIの重要性に気が付かないはずがない。
また、彼のような才能だからこそ、初期の頃のPCやAIを十分に使いこなせたのではないか。
似ているのが、言わずと知れた、藤井聡太だ。
彼は、AI世代だ。そして、彼は、同世代では、誰よりもアナログ的なやり方を取り入れているのではないか。これは、ほとんど僕の観だ。
状況証拠は、彼の使う言葉。これは、知る人ぞ知る有名な話である。
言語能力は、もちろんアナログとデジタルの両方に係わるものだが、今の時代では、どちらかといえば、敢えてアナログ的な能力を開花させるキッカケになる、と僕はいいたい。
相当、自己満足に終始した文章となってしまった。
だが、現時点で自分が言いたいことは十分に言えた。
以上。
#西部邁
#羽生善治
#藤井聡太
#私の戦争論
〈一言コメント
関心ひかないよな〜
仕方ない、今後も書きたいことを書く
(令和2年4月12日)
PCの活用についてはおそらく正しいと思う
しかしながら、AIはさほど研究に取り入れていらっしゃらないかも
棋士の考察に関しては今後の課題
(2021年1月22日)