許されざるままに埋もれて | 胙豆

胙豆

傲慢さに屠られ、その肉を空虚に捧げられる。

日記を更新する。

 

今回はtwitterで呟いたやつの再利用になるのだけれど、それはさておき、今月の頭に書いた発展途上国への支援についての記事をそのうち書き直さなければならないなと思っている。

 

全体的な内容は悪くはないと思うのだけれど、あまりに言葉がむき出し過ぎるから、オブラートか糖衣に包まなければ駄目だなと思って現在非公開になっている。

 

ただ、その記事を修正したところで、別に新しく最新の記事として公開し直したりするわけでもないので、修正して再公開したところで記事の日付は八月のままで本当に僅かな人にしか読まれないという事情があって、だったらそんな修正する必要あるのかという問いかけに答えが出せないでいる。

 

まぁそもそも、このサイトはアクセス数が多くなくて、未だにあのサイトの十分の一以下のアクセス数がアベレージになる。

 

アクセス数を増やす方法はいくらかあって、それをやればアクセス数は増やすことが出来るのだけれど、僕が別にそれをしたくないという理由でしていない。

 

純粋に…あのサイトに一個記事作ってこのサイトへのリンクを張り付けるだけでアクセス数は増大する。

 

以前はあのサイトのただの日記の記事の後ろの方に、このサイトへのリンクが用意されていたのだけれど、どうせ漫画の解説しか興味ないだろ?と思って、普通の日記は全て非公開にしてしまった。

 

色々な黒歴史が書いてあったのだから、まぁそういうのを隠す意味合いもあったけれど、同時に、このサイトへの相互性がなくなってしまった。

 

けれども、「まぁいっか」と思って別に何らかの対策を取るということはしていない。

 

アクセス数で収入があるとかならそうするけれども、それもないし、多くの人が読むとクソみたいなコメントの量は増えるし、そもそも、別にそこまで読まれたいと思っていないわけであって、twitterで僕をフォローしている人の中でも、このサイトの存在を知らない人も多い。

 

『ぼくらの』の解説を書き始めてから、一応の意味で何人かに「某ロボット漫画の解説を始めました」と伝達したのだけれど、その伝達した人たちは、僕がまだtwitterとこのサイトの更新をリンクさせていたころからフォローフォロワーの関係にあった人で、けれども、「読んでますよ」というような人が一人もいなかったどころか、twitterでこのサイトの更新を通知していた過去があるというのに、このサイトの存在自体を把握しているパターンが一つもなかった。

 

そうだよな、結局漫画の解説に用があるだけであって、僕が書いたそれ以外の何かには御用事はないよな、と思った。

 

そもそも、あのサイトの漫画の解説ではない記事の方にこっちへのリンクを仕込んだことも、漫画の解説しか関心がないような人にわざわざ読んでもらいたいと思わなかったからであって、何年も前から僕のスタンスは変わっていない。

 

もっとも、2~3人、僕が通告するまでもなく、『ぼくらの』の解説を書き始めたらリアクションをした人がいて、なんだ、twitterのフォローフォロワー関係の人が必ずしも味方ではないということもなかったのか、と思った。

 

この文章を読んでいる時点で僕にとっては敵ではないのだけれど、漫画の解説しか読んでない人は概ねあれだと思っているし、僕が書いた解説を考察扱いした人のことは全部覚えていてけして忘れていない。

 

『史記』に出てくる范雎という人は一睨みされた恨みさえも忘れなかったらしいけれども、僕は進化論者で、アクセルロッドのしっぺ返し理論をある程度は正しいと考えているから、良くされたら良く返すし、相応のことをされたら相応に返す。

 

とは言っても、だからといって普段書いている内容を全員に読めというのは無茶な要求だとは分かっていて、あんな内容に関心がある人も少ないのだから、色々仕方がないと思っている。

 

だから、漫画の解説は漫画の解説で完結できるように色々工夫をして、サイトマップ作って読み終わったらそこに戻れるようにしたり、普段の日記に関係のある内容だったとしても、絶対に普段の日記のリンクは用意しないし、普段の日記で書いている内容については一切言及していない。

 

それはさておいて、コピペしていく。

 

・神聖娼婦について

神聖娼婦は売春目的で神殿にいた巫女のことらしいのだけれど、彼女たちは生贄に捧げられるために神殿などの神聖な機関に送られた女性が、勿体ないとか可哀そうとかそう言った理由で生贄に捧げられなかったということに由来があるのではないかと思う。

それでも維持費や管理費がかかるのであって、その捻出のために女性は身を鬻いだというか、春を売らされたのではないかと思う。勿体ないというのは、まだ使えるのに使わなかったり、実際強姦した男性が、殺すに忍びなくなったとかそういう話であって、そういう理由で神殿に娼婦が居たのかもしれない。

何度も何度も性行為をすれば情が湧くわけであって、その性行為をしていたのは神官なのか誰なのかは分からないけれども、殺せなくなったか、商売道具としての商品価値を見つけたのかどちらかなのだと思う。

神官が性行為をしてはいけないというミームはインド由来というか、仏教の文化であって、別に他の地域は性行為についての禁忌はない以上、やはりそのようなことをしたのは男性の神官なのだと思う。性欲処理に仕える女性がいるのに、それを殺して生贄に捧げるということを勿体ないと思うのが人間だから。

 

以上。

 

引用しといてあれなのだけれども、神聖娼婦という概念についてはまだ全く分かっていない。

 

インドや中国はなんだかんだで資料が充実しているから、読み進めていって少しずつ分かるようになってきてはいるのだけれど、古代中東の世界については良く分かっていない。

 

おそらく、古代中東世界に神聖娼婦というものがあったのだろうけれども、どのような資料に言及があるのか、どのような形で存在していたのか、それは分からない。

 

僕が読んだ古代インドのウパニシャッドの中では、神事を行っているのは男性の神官であって、女性は出てくる場合もあるけれども、神聖娼婦というように、神に仕える巫女としてのそれはまだ出会っていない。

 

原始仏教にも女性の比丘(信徒)も居たことは確かで、『カカチューパマ・スッタ』に女性の仏教徒が登場するし、『テーリー・ガーター』という女性の仏教徒の告白録のような経典がある。

 

『テーリーガーター』は出来の悪い合格体験談集みたいな内容で、学習塾や予備校が出す合格体験談と質的な意味で大きな差は見いだせなかった。

 

ただ、それらの仏典に出てくる女性が神に仕える巫女かといえば全然そうではなくて、また巫女は古代中国の『史記』では"滑稽列伝"の西門豹のところに出てくるは出てくるのだけれど、神聖娼婦とニュアンスが全然違う。

 

だから、神聖娼婦は古代中東世界に存在した特有の概念なのだろうけれども、それについて言及のある原典訳のテキストを読んでいないので何とも言えない。

 

源義経の妾の静御前が白拍子という売春婦だったという話もあるのだけれど、静御前が頼朝の部下にセクハラを受けた時に、「義経が生きていたら対面すら出来ない立場だったものを」と言ってるのであって、彼女の家柄は良かっただろうという推測があって、おそらく後世の創作の中で売春婦という設定のそれがあるのだと思う。

 

『神話・伝承事典』の"神聖娼婦"の項では、娼婦はかつて高潔であったという説明がされているのだけれど、実際にそのような言及がされている原典訳のテキストに出会ったことがない。

 

まぁ存在していたならば考えを改めるのだけれども、神殿に娼婦が居たということがあっても、それは神聖だからという理由ではなくて、生贄として殺さなかった女奴隷の末路でしかないと思う。

 

以前、『礼記』の中で男女平等だったという記述があるらしいと言及はしたけれども、その後、やはり古代中国でも女性の立場は悪かったということが分かっている。

 

『戦国策』の中で、匡章という男が大功を成したというエピソードが"斉策"にある。

 

彼の功績をたたえて王が、そなたの母親の母堂を改装しようと提案するのだけれども、匡章はその王の提案を断っている。

 

理由として、彼の母親は罪を犯した廉で匡章の父親に殺されて、家畜小屋の家畜の便所の下に埋められたままで、父は母の罪を許さないまま死んでしまったから、父への不孝をしたくないが故に改装しないとしている。

 

匡章は将軍で、軍を率いて敵地にあったのだけれども、度々彼の降伏の伝令が王の元に届いていた。

 

けれども、王は彼は絶対に降伏しないと考えていて、果たして勝利の知らせが届いて、降伏の伝令は虚報ということが分かった。

 

王は何故、匡章を信頼していたのかと聞かれて、部下に先の母親の墓の改装のエピソードを伝えて、彼が孝行者であり、裏切るはずがないと答えた。

 

この出来事が事実あったとは僕は思わないけれども、どの道、罪を犯したら離縁をされるのではなく、撲殺されて家畜の便所に埋められることもあり得る程度の地位が、古代中国の女性の地位になる。

 

男の主人が同じように罪を犯したことで、家庭内で同じ処遇があるかといえばないのであって、主人に対して妻は立場が弱かったのだと思う。

 

インドの場合は、愛の告白をして受け入れられなかったら棒や手で殴打すると良いと『ブリハドアーラニヤカ・ウパニシャッド』に書かれるくらいなのだから、少なくともインドと中国とではあまり地位は高くなかったのだと思う。

 

ただ、古代中国や原始仏典は大乗仏典の頃のインドに比べれば大分穏当で、大乗仏教では完全に女性は差別されていて、女性が劣った存在であると言及のある経典はいくつもあって、女性は解脱できないと言われている。

 

人よりは古代世界のテキストを読んできたけれども、女性の方が男性より地位が平均して高かったような場合には僕は出会ったことがない。

 

中東もあまり差はないとは思うけれど、まだ確かめていないので何とも言えない。

 

結局、女性は男性に腕力で勝てない。

 

口でいくら勝っても、男が激昂して暴力をふるった場合には太刀打ちできないのだから、色々難しいものがあったのかもしれない。

 

次。

 

・アトムについて。

アートマン(Ātman)という古代インドの語彙と古代ギリシアの原子(atoma)は本来的に同じ語彙であって、インドでは人間の本質(魂)という意味に変形して、ギリシアでは物体の本質となったということを理解した。

おそらく、中東世界に後にそれぞれの語彙と発展するような哲学的な概念としてatomaと近い音の語彙が存在していて、それぞれインドとギリシアに伝播した結果、それぞれの概念になったのだと思う。

勘案するに、中東世界では人間でも物体でもなく、もっと広い意味での本質的な概念のことを指してその語彙を使用していたのだけれど、それが伝播するにあたってそれぞれ焦点化されてそれぞれの意味になったのだと思う。

さもなければインドで発生したアートマンというミームが、中東世界を渡って古代ギリシアに至ったのかどちらかになる。少なくとも古代ギリシアの原子論よりも、古代インドのアートマンの方が古い。

古代ギリシアでは物理現象についての関心の方が強くて、これは実際哲学科の授業の中でも言及があったと思う。ギリシアではプルシャのような概念はなかったから、本質と言ったときに物体の方になって、atomaが物体の本質として扱われるようになったのかもしれない。

それをより確かにするためには、古代中東世界の哲学を洗いざらいすればいいのだけれど、日本語訳とか存在してないだろうから無理だろうね。

 

以上。

 

英語だと原子のことをatomと言って、そこから『鉄腕アトム』とかも来ているけれど、そのatomという語は古代ギリシアの哲学から来ている。

 

僕の記憶が正しければ、そのような言説が出てくるのはデモクリトスあたりからだから、一応、インドのアートマンの方が時系列的には古い。

 

おそらくは中東世界にそれぞれ、アトムとアートマンになった語彙が存在していたか、さもなければインドのアートマンが古代ギリシア世界に届いてアトムになったのだと思う。

 

インドで生じたそれが古代ギリシアに到達したという可能性もある。

 

以前少しだけ言及したけれども、古代インドのウパニシャッドの中に、古代ギリシア哲学の言葉が見出だせたり見出せなったりする。

 

アリストテレスは月をエーテルという神の領域に属する何かで出来ていると言及しているけれども、そのように月を神の領域と考える発想は古代インドに確かにある。

 

結局、現ミームといえるような情報があって、それぞれインドと古代ギリシアで似通った、けれどもディティールに差異を持つそれぞれの概念に派生したのだと思う。

 

そもそも、ヘシオドスの『神統記』と古代インドの『リグ・ヴェーダ』にはそれぞれ、手が顔が目が足が数百本ある巨人が登場していて、情報の流通は必ず発生している。

 

とはいえ、古代インド人も古代ギリシア人も印欧語族の人々であって、共通の祖先を持っている以上、それぞれの人々が分かれる前の段階でそれぞれの情報を既に持っていた可能性もある。

 

キモい巨人はそうだと思うけれども、アートマンはどうだろう。

 

やっぱり、古代ギリシアの本も読まなきゃだよなぁと思う。

 

古代中東世界のテキスト、例えばフェニキア文字のテキストとかも良いのだけれども、日本語訳がないんだよなぁ…。

 

そんな感じ。

 

タイトルを決めて…これにしよう。

 

では。

 

・追記

アトム(atom)は古い言い方ではatomonと呼んでいたと『岩波哲学・思想事典』に言及があった。

 

やはり、アートマンに由来を持っているという可能性はあると思う。