『ヒストリエ』のアレクサンドロスの生まれについて | 胙豆

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コメントを頂いたのでその事について書くことにする。

この前、他の漫画の解説を書いていたらコメントで、『ヒストリエ』の6巻でアレサンドロスが崖から崖へ飛び移るシーンが分からないからその事について教えてほしいという旨のそれをいただいたということがあった。

今回はその説明で、ついでにその説明にはアレクサンドロスの出自の話が必要だから、そういうことを踏まえて色々書いていくことにする。

『ヒストリエ』の6巻で、アレクサンドロスとその学友たちが滝を見に行くというエピソードが挿入されている。

 

それに際して橋が落ちていて、危ないから帰ろうとなったのだけれども、アレクサンドロスは何かに惹かれるように落ちた橋があった箇所をブーケファラスで飛び越えるシーンがある。

 

具体的にはこの場面です。
 

 


(岩明均『ヒストリエ』6巻p.143-149)

この場面についてどういう意味ですかと質問が何故か僕に来たので、今回は僕なりに色々解説していくという話です。

なんとなく、迫りくる情動のようなものは良く感じ取れるのだけれども、一連の流れがどういう意味なのかは少し分かりづらくて、そもそも、実際のところ7巻で描写される内容があって初めて分かるような構成になっているから、初見では絶対に理解できない描写だと思う。

アレクサンドロスはこの場面で、何かに誘われるように「ぴょーんと」飛び越えたわけだけれども、7巻で同じようにアレクサンドロスが「ぴょーん」と飛び越える画面が描かれている。

まぁ7巻でオリュンピアスが間男を殺害した場面なのだけれど、その画像をそのまま持ってくるとアメブロさんサイドの基準に弾かれて、画像が削除されたり、記事が閲覧不能になる可能性があるから、最初の場面だけはTwitter上で画像を用意する。

7巻ではアレクサンドロスの幼少期についての回想があって、そのシーンがアレクサンドロスの滝での話に重要な役割を持っている。

アレクサンドロスに情事を見られたオリュンピアスは、証拠隠滅のために間男を斬り殺している。


https://twitter.com/narutarunogazou/status/615477672764813312
 

そして、斬り殺した後に、アレクサンドロスに「ぴょーんと」飛び越えるように促している。

 

(同上7巻pp.56-63)

 

そして、この場面と滝の場面を並べて見れば、アレクサンドロスが想起しているのは幼少期のその出来事の事だということが分かる。

 

(同上6巻p.145-146)


セリフが全く同じそれであって、アレクサンドロスがあの時のオリュンピアスの言葉に誘われていると判断していいと思う。

 

そして滝の岩にアレクサンドロスは顔を見出しているけれどもその顔は回想でアレクサンドロスが飛び越えたもので、これも二つを並べれば同一のものであるということが分かる。
 

(同上7巻)


(同上6巻)


二つの場面を同時に見ると、アレクサンドロスが滝で想起したのはあの日のオリュンピアスの言葉と、あの日の生首だということが理解できると思う。


ここまでに関しては、まぁ画像を並べればそういう話だと説明できる内容なのだけれども、質問として受けた、この場面がどういう意味かについてはちょっと読解的なものをしなくてはならなくなる。

だから、僕の誤理解であるという可能性もあるということは先に伝達しておくことにします。

6巻では先に引用した場面の後に、アレクサンドロスは滝においてはブーケファラスにまたがり「ぴょーんと」飛び越えて、一方で7巻の回想だとヘファイスティオンを産むことになるのだけれど、先に回想がどんな話だったのかについての説明をして行く。

何故、あの場面でヘファイスティオンは生まれたのだろう。

オリュンピアスは「ぴょーんと」飛び越えたアレクサンドロスを腕に抱いて、王には友人が必要だという話を続けていく。

 

(7巻pp.57.-62)

 

抒情的で分かりづらい一連のシーンだけれども、この後にオリュンピアスがアレクサンドロスの勇敢さを褒めるシーンが続く。
 

(7巻p.63)

 

けれども、アレクサンドロスに誰かが話しかけてくる。

 


(同7巻pp.64-70)

ここで話しかけているのはアレクサンドロスのもう一つの人格であるヘファイスティオンで、このようにアレクサンドロスにヘファイスティオンが話しかける描写が描かれた後に、生首が蛇に飲み込まれるシーンが10ページ続いてこのエピソードは終わりだけれども、この一連の話はどういう話なのだろう。

アレクサンドロスは非常に聡明な子供で、その聡明さは作中で度々触れられている。

 

そんな聡明なアレクサンドロスに、先の場面の意味が分からないということはあり得なくて、アレクサンドロスはオリュンピアスが不貞をして、性行為を楽しんでいたということまで理解している。

 

聡明なアレクサンドロスはその事を理解している一方で、アレクサンドロスは非常に良い子であるという側面があるから、良い子であるアレクサンドロスは母親のことを疑えなくて、けれども、心の何処かで母親のことを疑っていると理解していいと思う。

 

疑っているというよりは、完全に理解していると言った方が正確だと僕は思う。

 

その偽りのない声がここでアレクサンドロスの聞いたヘファイスティオンの言葉ということで良いと思う。

 

(7巻p.66)

 

アレクサンドロスは聡明な子供の為、先の男がオリュンピアスとセックスしたことは、男が襲ったのではなく、オリュンピアスと合意の上ということを理解している。

けれども、その半面で母親を思う一人の子供として、オリュンピアスの言葉を疑えない。

その前提があって、ヘファイスティオンが出てくる。

ヘファイスティオンはオリュンピアスに渡された手鏡がアレクサンドロスに話しかけることから認識され始めるわけだけれど、あの言及内容は勘案するに、アレクサンドロスの本音なのだろうと思う。

聡明で賢いアレクサンドロスは良い子でもある。

けれど、賢いが故に母親の嘘が分かってしまう。

母親の嘘はどれだろう。

一つに、男に襲われたということ。

もう一つは自分がマケドニア・アルゲアスの血を引いてるということ。
 

(7巻p.58)
 

アレクサンドロスは自分はフィリッポスに似ていないという事実に気が付いている。
 

(7巻p.68)

そしてよっぽど隣にあるあの死体の方が、自分に似ているということも分かってしまっている。

そして、この後にその死体の生首が蛇に飲み込まれるシーンが10ページにわたって続くわけだけれど、これはアレクサンドロスの父親が誰かなのかと言う真実が、ヘビに擬えられたオリュンピアスに飲み込まれていくという場面ということで良いと思う。

真相と共に男の生首は蛇に飲み込まれていってしまうけれども、この時に飲み込まれていっているのはアレクサンドロス本人もだと考えられるかもしれない。

賢いアレクサンドロスではあるけれど"一枚上手"のオリュンピアスという"蛇"に全てが飲み込まれていっているというのがあのエピソードの一連の流れと理解していい…というか、他に理解の仕方あるんですかね…?

そして、全てが飲み込まれていく姿を見て、アレクサンドロスは嘔吐する。

(7巻p.85)

そのようにしてヘファイスティオンが生まれたという一連の物語なのだけれど、滝の場面とはどのようにつながっているのだろうか。

アレクサンドロスは、谷間を飛び越えるシーンは、幼少期のあの出来事を思い出している。

どうしてあの日のことを思い出したのだろう。

 


(同6巻p.146-147)

とにかく、オリュンピアスとの出来事は関係あるということは分かるのだけれど、言葉による説明がなされている場面でもないので、具体的にどういうニュアンスなのかは読み取りづらい。

ただおそらくは、「本当にフィリッポスの息子で王子であるならば、谷は越えられるだろう」とアレクサンドロスは考えたのだと思う。

オリュンピアスとのあの時の回想において、勇気があるから死体を飛び越えられたわけだけれど、その勇気は偉大なる父親であるフィリッポスの息子であるということに関係がある。


(同上)

 

オリュンピアスはこのようにアレクサンドロスを鼓吹して、立つように言って、その後に「ぴょーんと」飛び越えさせている。

そのように飛び越えられたのは、アレクサンドロスがあの偉大な王の子であるからになる。

そして、滝の場面に関しては偉大なるフィリッポスの息子であるならば、あのような谷は溝に過ぎず難なく飛び越えられるはずなのであって、アレクサンドロスはおそらく、自分ならきっと飛び越えられると思ったのだろうと僕は思う。

そして、飛び越えたのは良いのだけれど、後続するハルパロス谷底へ落ちてしまう。

アレクサンドロスはその事を深く自分の責任として悩むんでいて、それに際してアレクサンドロスの胸中が描写されている。


(6巻pp.196-198)

このようにアレクサンドロスは思い悩んだ後に、耐え切れなくなってもう一つの人格であるヘファイスティオンと入れ替わるという描写が続いていて、この時アレクサンドロスは偉大なる父親の息子としてなんという情けないことを、と思っていると判断していいと思う。

加えて今回は母親の呪縛、偉大なる王の子であり、崇高なあの血族の末裔であるということを誇りに思えという母からの呪縛が存在した事が引き金であって、また、父親には戦場では命を数字に置き換えろと言われている。

アレクサンドロスは友人を自分のために怪我をさせてしまったということになって、それは偉大なる王の子としてあってはならないし、その事をした自分を責めることでさえ、偉大なる王である父親の言っていることに逆らっているということになる。

 

偉大なる父親は、人の命を数字と理解しろというけれども、アレクサンドロスには出来ていない。

そこで自分は父親の息子にふさわしくないとアレクサンドロスは考えている。

 

(7巻p.197)

 

けれども、そもそも相応しい相応しくないの前に、アレクサンドロスは本当にフィリッポスの息子なのだろうか。

 

アレクサンドロスはそのようなことを想起して、あまり思い出さないようにしている自分の本当の父親である可能性があるあの蛇に飲み込まれた男の事を考えたりしたのかもしれない。

このような多くの重圧がアレクサンドロスを苛んだ結果、ヘファイスティオンが出てくる。

このようにしてヘファイスティオンは生まれたし、このようなときにヘファイスティオンに助けを求めているのだと思う。

さて。

 

そういう風にアレクサンドロスは色々思い悩んでいるけれど、実際に彼とフィリッポスは血が繋がっているのだろうか。

その事については作中にその事についての答えとなり得るような描写がいくらかある。

 

アレクサンドロスとフィリッポスの血縁関係が疑われた『ヒストリエ』の7巻の袖には、以下のような文書がある。
 


(同7巻表紙袖より)
 

軍事の天才、

名誉欲のかたまり、夢想家。

激情型だが、時に思慮深さも見せる。

容姿端麗、ただし背は高くない。

運動神経抜群、同性愛的指向、

悪臭ではなかったそうだが、

体臭がある。酒を好み、

大酒のみとまでは言えないものの、

酒癖はよろしくない。

・・・大王アレクサンドロスについて、

さまざま伝えられている。

眼は多分、

大きかったであろう。

と書いてある。


この記事を作るきっかけとなったコメントでは、滝の話に加えて、ここで言っている、「眼は多分、大きかったであろう」の意味も分からないから教えてほしいと言われている。

とりあえず、この文章からはアレクサンドロスの目は大きいということが読み取れるし、実際に『ヒストリエ』で描かれる彼の眼は小さいということはない。

ではフィリッポスはどうだろう。

 


(5巻p.98)

フィリッポスの目は大きくない。

一方で、オリュンピアスに殺された男はどうだろう。

 


(7巻p.34)

この男とアレクサンドロスの眼は非常に大きい。

つまりは、この男が、この名前も分からない男が、アレクサンドロスの父親ということで良いと思う。

 

意味深に示されるアレクサンドロスの目の大きさの話はそれ以外に解釈しようがないというか、七巻の解説のような場所で、アレクサンドロスの目は大きいと言っているのだから、そういう意味と理解していいのではないかと思う。

 

ただ、確実性には欠けるとは思う。

けれども、その目の話をさておいても、7巻の回想ではそもそもにあの間男がイコールでアレクサンドロスの父親であるということを示す描写が存在している。
 


(7巻p.26-27)

これは回想の冒頭で、モザイク画調で書かれた男がアレクサンドロスが見る現実の姿に重なっていくという場面だけれど、このモザイク画は有名なアレクサンドロスの肖像画になる。
 


(http://www.a-pen.com/m-alex.htmlより)

 

(3巻p.144)

それに段々と重なっていくのだから、「重ねられている」と理解して問題ない以上、この人物はアレクサンドロス大王に似ているということになる。

じゃあ、『ヒストリエ』において、この男とアレクサンドロスが似ているということで何を示しているという可能性が考えられるかについて言えば、もうアレクサンドロスの父親があの男であるということ以外には理解の仕方がないと思う。

 

あの男はアレクサンドロスの父親なのだから、アレクサンドロスの目は大きかっただろうという話も、その事についてを言っていると判断していいと思う。

 

だから、アレクサンドロスはオリュンピアス密通して出来た子だし、そのような出自だからアレクサンドロスはフィリッポスに対して後ろめたさがあるし、その後ろめたさを解消する場面でヘファイスティオンは生まれたし、その事に苛まれるとヘファイスティオンが出てくるということになると思う。

 

ヘファイスティオンはアリダイオスを殴っていたけれど、アリダイオスはフィリッポスの実子で、実子が故に父親からプレゼントをもらって、一方でアレクサンドロスはもらえなかったから、その事についての嫉妬もあったのかもしれない。

そんな感じのアレクサンドロスの生まれについて。

まぁそんな感じです。

では。

・追記
記事では通常版の『ヒストリエ』7巻の袖の文章を引用したけれども、将棋がついてきた7巻の限定版ではこのような事が書いてあった。らしい。

もともと4人、
4チームの駒で競う盤上遊びが、
2チームずつの一緒になり、
2人対戦型の「将棋ゲーム」に発展した。
チェスの1チームに
「キング」と「クイーン」が併存するのはその名残だという。
さておき現実の歴史では、
王位が後継者に譲られる時、
その家臣たちまでも「1つのチーム」として、
うまく引き継がれるとは限らなかった。

おそらくこれはフィリッポスからアレクサンドロスへの王位継承のことや、ディアドコイ戦争のことを言っているのだろうと思う。

 

王位が後継者に譲られたときにチームがバラバラになったのはディアドコイ戦争がそうだし、フィリッポスの家臣たちが円滑にアレクサンドロスの家臣になるとは限らない。

 

岩明先生の描いた『雪の峠』と言う漫画ではそのような世代交代のことが描かれているけれども、それはおそらく、『ヒストリエ』を描く際に他の地域の後継者への権力移譲の話を調べたときに得た情報によってつくられているのだと思う。

 

実際のところは良く分からないけれども。

 

・追記2

これを書いた5年後くらいのアフタヌーン2021年5月号に掲載された『ヒストリエ』において、フィリッポスとアレクサンドロスの間に血縁関係がないということが確定されるような描写がされた。

 

…いやまぁ、7巻の時点で確定しているようなもんなんだけれど、12巻収録分でフィリッポスがアレクサンドロスが実子ではないと知っていたというような描写がされたことにより、この記事の内容が大体正しかったということが分かった。

 

ただ、この追記はこの記事を公開してから5年後に書いていて、5年前に自分が書いた文章を読み直したときに、表現や言い回しが稚拙に思えた部分があったので、7割がた書き直すという作業を行った。

 

内容自体はほぼそのままで、けれども、少しアレな言い回しを変えたり、断言できない事柄についてを断言している場面が結構あったので、そのような所を断言ではない形に書き換えるなどの変更を行った。

 

5年前の僕に比べれば今の僕は相対的な意味でマシなクソなのであって、書き直したことによって5年前の状態よりは読みやすく、理解しやすくはなったとは思うけれども、既に読んでしまった人たちについてはもう取り返しがつかないから色々あれな部分がある。

 

いやまぁ、言い回し変えただけで内容は同じだから問題ないと言えばないのだけれど。

 

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