・追記
普通にhttp://ameblo.jp/ziro-irisa/entry-12262885152.html この記事の内容のほうが知らないことが多いと思います。このページがグーグルで引っ掛かると思っていなくて、こりゃいかんと思って新しく書きました。
特に脈絡もない『ヒストリエ』の考察を書いていくことにする。
まぁ、考察という表題をつけたけれど、いつも通り解説です。
ただ、あのーね、こことかここに以前書いた内容で色々十分だと思うし、実際『ヒストリエ』はそこまで難解ではない。
なのだけれど、最近読み返してみて、結構細かい状況設定というか、細かい描写があって、僕が最近気づいたことだから、結構気づいていない人も多いのではないかとおもって、そういう細かい話をしていく。
…いや、まじで大した話はないから、普通に上のここって文字のところにあるリンク先のほうが色々初めて知る情報は多いと思う。
本当は、漫画におけるガバガバ描写をまた集めようかと思ったのだけれど、三つしか現状見つかってないから、それは書けないので、『ヒストリエ』のことにした。
まぁそろそろ10巻発売だし。
僕は自分自身について考えてみて『ヒストリエ』という漫画がどうして好きなのか非常に疑問だった。
けれども、恐らくは『ヒストリエ』が矛盾のない物語だからなのだと思う。
だから『ヒストリエ』は些細な描写でもしっかりその描写が矛盾にはならないようにその直前からそのシーンへとつながる描写がしっかりされている。
そういうのを伏線と呼ぶのかもしれないけれど、必ずしも伏線とは呼べないようなものもあったので、まぁ伏線とかの解説です。
まずは些細なことから。
(1巻pp.109-110)
マケドニアの王について、聞いた話より老けているといっているけれど、エウメネスは何処でそんな話を聞いていたのかということがちょっとした問題になる。
エウメネスは青年期の大半をゴアの村という海を隔てた場所にある蛮族の村で過ごしているわけであって、ギリシアの話を聞くということが出来ない。
僕は長いことこのシーンのことを深く考えていなかったし、考えてたとしても、ゴアの村を出た後に聞いたのだろうと思い込んでいた。
けれども、実際、本編中でしっかりマケドニアの王について聞いているシーンがある。
(3巻pp.193-194,196)
ここでマケドニアとかの国際情勢についての情報を仕入れてるんですね。
まぁ、今回こんな小さな話ばかりだと思うから、あんまり面白くはないと思う。
そもそもヒストリエは分かりやすいから仕方ないね。
ちなみになんだけれど、直上の引用の方言については、このシーンでの効果も担っている。
(4巻p.73)
方言の話がここで突然出てくるのではなくて、クッションとして少し前に出てきているから読者にはこの描写がすんなりと入ってくる。
岩明先生がひたすらに物語を丁寧に組み立てていて、その組み立ての解説が今回の主眼になると思う。
次はこのシーンについて。
(5巻p.104)
この「地球」だと…!!って何ぞやという話。
まぁ、このことは別に複数回読んだヒストリエの読者なら普通に知っていると思うけれど、一応です。
この直後にアリストテレスが出てくる。
(同p.106)
まぁ、地球という名称をこの星に与えたのはエウメネスだから、そのことをフィリッポスがアリストテレス経由で聞いていたということ。
(1巻p.40)
アリストテレスはカルディアを包囲中のフィリッポスと合流して、恐らくは海峡を渡ってきた時の話をフィリッポスにしていた。
そこでエウメネスという青年と出会ったということも伝えていたようで、それが故に効果を狙ってエウメネスに「地球の裏側を見たいのであろう?」と言っている。
次。
(6巻pp.32-37)
言うことねぇなぁマケドニアは…とエウメネスは思ったけれど、実はかなり不穏なものがありますよという描写。
ここで、アリダイオスのおもちゃが壊されたわけだけれど、壊したのは当然ヘファイスティオン。
ヘファイスティオンはアレクサンドロスの負の感情で、聡明で良い子であるアレクサンドロスはそれが故に解消しきれない心のもやが生まれてきてしまう。
それを消化する人格がヘファイスティオン。
アレクサンドロスはアリダイオスの持っていたおもちゃが欲しかった。
欲しかったのだけれど、エウメネスの弁が優れていて、当を得たことを言っていたので、おもちゃを作ってもらうことをあきらめた。
(同pp.26-29)
聡明な王子としてはこのやり取りで良いのだけれど、アレクサンドロスはまだ13やそこいらの子供でしかない。
どうやらおもちゃが欲しいという子供らしさは残っていたらしい。
けれども、断ってしまった。
そこでヘファイスティオンが出てきて、アリダイオスのおもちゃを衝動的に壊す。
恐らく、アリダイオスは抵抗をして、その弾みでアリダイオスを殴ったのだと思う。
(同上)
ただ、ヘファイスティオンの描写が少なすぎて、ヘファイスティオンがどのように振舞うのかがまだ判断できない。
『英雄伝』ではエウメネスと直接あれこれやるのだけれど、多分、相当嫌な奴として現れてくると思う。
まぁいい。
ちなみにここでアレクサンドロスの顔が少し汚れているけれど、これはヘファイスティオンになっていた時は顔に化粧をしていて、アレクサンドロスに戻った後に彼は泣いて、けれども、化粧はそのままだったからそれが流れ落ちているという描写です。
次はこのシーン。
(9巻pp.48-52)
このシーン、エウメネスが賢いから風体だけでフォーキオンであると理解できたと僕は思い込んでたんだけれど、違った。
ふっつーに、エウメネスはフォーキオンをビザンティオンで目撃してた。
(8巻p.81)
描写が些細過ぎて気づかないんだよなぁ…。
次。
(8巻pp.135-138)
このシーンでエウメネスが何を思っているのかちょっと理解に難渋した。
だから解説するのだけれど、エウメネスは心を痛めている。
痛めているのだけれど、「同じスキタイとしてか?」と聞かれると否定している。
じゃあなんで心を痛めているかというと、奴隷という文化自体にエウメネスは抵抗がある。
まぁ、自身が奴隷として売られたという経験をしているからなのだけれど、それが故に奴隷という制度自体が好きではなく、その奴隷という文化を持っているマケドニアについて、ボアの村で育ったエウメネスは「文化が違う」と言っている。
最初、ボアの村についたときはボアの異郷的な文化を目の前にして、エウメネスは「文化が違う」と言っていたけれど、直上の引用のシーンでは、ギリシアの文化である奴隷獲得について、「文化が違う」と言っている。
どこか、マケドニアの人々と心の距離があって、後々に効果としてこれは表れてくる。
『対比列伝』でのエウメネスは、仲間の武将のほぼすべてに敵対視されていて、味方の裏切りに次ぐ裏切りで、小アジアを転々とわずかな兵を率いて逃げ回ったこともあった。
こういう心の距離は後々に効果としてあらわれてくる。
はず。
まぁ、そこまでヒストリエが連載しているとは思えないけれど。
ヒストリエについて、その進行速度をわかりやすく説明する方法ないかなぁと思って日本史で考えてみたことがあるのだけれど、大体、戦国時代で例を取るなら、柴田勝家が主人公で賤ケ岳の戦いがメインイベントだというのに、いまだに織田信秀が生きていて、小豆坂の戦いやってるようなもんだからなぁ…。
終わらない。
絶対に終わらない。
あと、ここからは予測というか完全な考察になるのだけれど、エウメネスの背中の傷は、後々に効果として現れてくると思う。
(9巻p.3)
『対比列伝』のエウメネスは、部下にも同僚にも嫌われ過ぎていて、ちょっと普通じゃ考えらんないくらいはぶられている。
普通に、部下とか同僚が協力的だったら、エウメネス朝シリアとか建国できたんだろうな、って思ってしまうほどに嫌われている。
多分、背中の傷を同僚か部下に見られるというエピソードが絶対に起きる。
逃げ傷と勘違いされてしまって、それが故に臆病者であると判断されて、それが嫌われることの要因として出てくるだろうということ。
(2巻p.183)
勇敢な同僚たちに対して、エウメネスはどこか心に距離がある。
多分、その「勇敢な」同僚に臆病者の証である背中の傷を見られたりするのだろうなと僕は妄想している。
(『ワンピース』6巻p.143 背中の傷の例)
ちなみに、『対比列伝』ではマケドニア人ではないという理由だけで執拗に虐められている。
僕らの感覚だと分かりづらいけれど、マケドニア人とアテネ人だと、普通に言語が違うから、本当に外国人って感覚なのだと思う。
まぁ、いつの段階で北のほうからギリシアに侵略をしたのかという差であって、アテネやスパルタなどより遅くギリシアに到着した集団がマケドニアであって、アテネの植民市であるカルディア出身のエウメネスは、マケドニア人たちにとっては有能であったとしても、範囲の外だったのだろうね。
ただ、そこを物語として良く映すために、色々な配慮というか伏線というかが用意されている。
ただまぁ『対比列伝』の描写だと、嫉妬されているという話なのだけれど。
そういった諸々のことが本編で描かれるのがいつになるのやら。
現状のペースだと、作者が死ぬほうが完結よりはるかに早いのだけれど。
しょうがないね…。
という解説。
一応、表題には意味があって、普通検索するなら「ヒストリエ 考察」だろうから、僕はあくまで解説をしているつもりだけれど考察にした。
ただまぁ、他にヒストリエの考察サイトはいっくらでもあるだろうから、このサイトが引っかかることはないと思う。
まぁ、多少はね?
では。