国家という歪な軛、それを創りし人々 | 胙豆

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傲慢さに屠られ、その肉を空虚に捧げられる。

日記を更新する。

今日の内容はね、あのー、古代世界史です。

僕は歴史が好きなのだけれど、正直、文章によって補完されている類の歴史は好きじゃない。

何故と言えば、本来的に分かるはずのない何故を探求してばかりいるから。

どういうことかは詳しくはここに書いてある。

僕はより確かなものが好きだから、確かである蓋然性の高い話の方が好き。

そして、もう一つ好きな事があって、それは分からないことを分かるようにすること。

多くの事柄、この日記に書いている事やまだ書いていないことは、その事が、分からないことを分かるようにすることが好きだから探求していて、その事を日記に書いているに過ぎない。

だから本当の意味での日記なのだけれど、普通こういうのは日記とは呼ばないよなぁとは思う。

まぁいいや。

今日は、世界史で習うより前の歴史について。

ちなみに、今回は自分の頭でこねくり回してどうだったかということが分かったというよりは遥かに、普通に研究が進んでて分かっているということに過ぎない。

なんかさぁ、習わないだけで結構研究進んでるんですよね、古代世界史。

発掘と言語学的な研究の成果が結構出てる。

これらは科学的なエビデンスだから、歴史学が普通問題にするような些末でいい加減で無責任な議論、明智光秀がどうして本能寺の変を起こしたのかというような類のそれではなくて、ただ事実としてあって、研究でそれが少しずつより確かになるようなものであって信頼がおける。

なので、現状分かっている事について僕が知りえたことについて書いていく。

まず、我々は何処から来たのか。

それは以前書いたからいいや。

まぁ構造としては被支配者が居て支配者が居て、上納金搾り取って甘いし吸っている奴がいる、そういう構造が基本的に世界中どこでもある。

まず、中東で農耕が始まる。

結構長い間彼らはやっていたけれど、彼らはセム系の人々に征服されて、良くある形になる。

支配者が居て、農奴が居るという何処にでもある形式。

そんでもってその後のことはいいや。

基本的に外部から侵入者があって、支配層を打倒して代わりに甘い汁を吸う。

これは別に古代の歴史という話ではなくて、人間の基本的な構造に過ぎない。

何故なら、あれほどに平等と言うものを謳った共産主義国家の人々も、いざ権力と呼ばれるものをふるえる立場になったなら、等しく甘い汁を吸って下から財産を巻き上げている。

そうでなかった形式がない。

軍隊も結局は支配層の利益の為だし、公共福祉も支配層が甘い汁を吸うために民を生かさず殺さずするためにやっている利益のための行動に過ぎない。

で、世界中どのようにしてその形式が具体的に成立したかを見ていくと、結構面白い。

イラン、インド、ヨーロッパ、中東、これらの地域は同じ民族によってこの構造が作られている。

僕は驚いたね、それを知った時は。

彼らはインド・ヨーロッパ語族と呼ばれる言語を操る人々。

彼らは金属器と馬と戦車を持っていた。

それらは相当に強かったらしい。

戦車は普通にガリア戦記でブリテン島で敵が使っていて、敵はケルト人なのだけれどケルト人はインド・ヨーロッパ語族になる。

ブリテン島はちょっと色々込み入っていてあまり正確な記述は出来ないけど。

インドでも戦車は使われているし、この軍事技術は恐らくはインドヨーロッパ語族のそれなのだとは思う。

知らんけどね。

このインド・ヨーロッパ語族が中々に版図が広い。

ギリシアもそうだし、知ってるかどうかは知らないけれどヒッタイトもインド・ヨーロッパ語族になる。

ヒッタイトと言えば鉄器だから、インド・ヨーロッパ語族は鉄が基本になる。

どの段階で手に入れたかは知らないし、侵略の最初は鉄はなかっただろうけれど、とにかく、彼らはそれを以て世界中を蹂躙した。

ローマ人もインド・ヨーロッパ語族だし、ゲルマン人もそう。

イラン人もそうだし、インドの支配層もそう。

元々は同じ民族だった。

というか、ギリシア人とかバルバロイとして北方の諸民族の事を蔑視していたけれど、普通に親戚でしかない。

長い歴史の中で、お互いに血のつながりがあるということを忘れてしまったらしい。

基本的に調べると、インド・ヨーロッパ語族の人々しか支配層に居ない。

それは彼らが優秀だったというよりもはるかに、早い段階でそうした先進技術を手に入れることに成功したからという話だと思う。

ザビエルはバスクという小さな国の出身だけれど、バスク語は孤立した言語で言語系統が不明になる。

彼らの言語こそが、本来のヨーロッパの言語になる。

彼らはどういう経緯かは知らないけれど、何故か征服されずに済んだらしい。

よって、ヨーロッパの言語と隔たりがある。

ケルト人はゲルマン人とかローマ人に征服されていた可哀そうな人々みたいな認識があるけれど、そもそもにその地域に入ってきた時期が違っただけに過ぎない。

だから、ローマから見て蛮族かもしれないけれど、普通にインド・ヨーロッパ語族同士の戦いなのだから、内輪もめに過ぎない。

本人たちはお互いが遠い親戚だなんて存じ上げていないけれど。

そうとするとフン族の襲来は彼らにとって本当に災厄が如き出来事だったのかもしれない。

フン族は完全にインド・ヨーロッパ語族とは異なる人々で、元は中国に居たと考えるのが普通だから。

昔、中国の文明を作ったのはヨーロッパ人と同じ人種だという記事を見て、鼻で笑ったことがある。

何年も昔のことだ。

けれども、それは恐らくある程度正しい。

何故なら、古代中国の国々は戦車と馬とを持っていたから。

だから、それらを以て土着の農耕民を征服した可能性がある。

ただ、どの道支配層は後々の時代に北方の騎馬民族に何度も何度も塗り替えられているから、ヨーロッパのように現代でも同じようなインド・ヨーロッパ語族の人々が支配層であり続けたということがないから、言語学的にはそこは追えない。

実際はどうだったのだろうか。

分からないけれど、とにかく独自に農作物を作り始めたというのは恐らくそれは良い。

小麦ではなくて、粟を主食として、また別の地域では米を主食とした。

小麦についてはこの「麦」という漢字がそもそもに、麦というものが外からやってきたという意味を孕んでいるらしい。

いくつかの主食のうち、麦だけが中国の言葉で食物という意味の部位を持っておらず、麦の漢字の下の部分は歩く人の意味らしい。

だから、麦は誰かが遠方から持ってきたのだろうという学術研究がある。

どうなんだろうね。

僕はそれを正しいと思ってしまったけれど。

とにかく、中東でそうであったように、中国でも農作業をしている人々をより強い人々が征服したということが古代にあったと思う。

無かったかもしれないけれど、中国の歴史の事を考えると、帝国が外来の征服民に主権を奪われ続けて王朝が交代する歴史の繰り返しなので、古代でもそうであったと僕は考えてしまう。

ただ、中国政府にやる気がないのか、西欧人が中国にそんなに興味がないのか知らないけれど、そこら辺の研究をあんまり読めていない。

けれども、インド・ヨーロッパ語族の人々の広がりっぷりを見ると、僕は中国に到達していないとはとても言えないとは思う。

何故なら、ウクライナから始まって、南はインド西はアイルランドやイベリア半島まで到達しているから。

一方で、確実に所謂日本人の祖先である人々、中国北の平原地帯で遊牧生活をしていた人々とはインド・ヨーロッパ語族の人々は言語系統が違う。

なので、彼らはインド・ヨーロッパ語族の人々とは別途に騎馬技術を手に入れたと考えて良いかもしれない。

どうやって手に入れたのだろうか。

色々な想定は出来る。

本当にインド・ヨーロッパ語族とは関係なしに騎馬技術を手に入れたのかもしれない。

さもなければインド・ヨーロッパ語族の本当に小さな集団がそのあたりに到達して、現地の人々と協力して生きる道を選んで家畜の飼育の技術を教えたということがあって、それ故に言語的なニッチは占めることはなかったという話かもしれない。

そこら辺は知らん。

研究で明らかになる類なら研究を待ちたいけれど、明らかにならないだろうね。

とにかく、彼らはよく中華世界へと侵入して国を作っている。

モンゴルの元以外にもいっぱいあるからね、仕方ないね。

彼らは同じように朝鮮半島へも侵略したし、日本でもした。

まぁ、インド・ヨーロッパ語族は馬の技術は持っているけれど、多分騎乗はしてなくて戦車を操っていたのだけれど。

騎馬民族は本当に強いらしい。

何故なら、成人男子のほぼ全てがイコールで熟練兵だから。

一方で農耕民族は別に農耕しかしてなければ熟練兵ではない。

騎馬民族は達者な騎馬技術で家畜を追い獲物を追い、弓も達者だった。

だから少数であっても、農耕民族を圧倒出来た。

農耕民族が狩猟民族を圧倒出来たのと同じ図式。

無慈悲な格差だね。

で、中国の場合だと、むしろ力のない君主を家臣が見限って、騎馬民族を招き入れたということが多かったらしい。

まぁ、忠誠心なんてものは自己の生存のために存在するわけであって、泥船に乗っていることは生命の危機に直結するわけであって、被支配者としては支配者が変わっても上納金を治めるという図式には変わりがないのだから、割かし誰が君主でも良い。

忠誠という概念は、君主側の利益の問題にすぎず、それがあれば上手く上納金をせしめることが出来るからそういう風に教育しているだけであって、家臣としてもそういう風に忠誠を示せば上手い汁が吸えるから示すに過ぎない。

根っこにあるのは何処でも利害関係だ。

けれども、ここに難しい話が入ってくる。

以下では…というか、ちょっと前からは普通に僕が脳内でこねくり回した答えが入ってくる。

王政は民主主義に打倒されるパターンが多い。

民主主義について、おそらくそれは有利だから存在する。

何故民主主義が有利なのだろうか。

そもそも、多くの支配体制はただ支配者が被支配者から利益をむさぼる為に存在する。

史記で呉起という男が楚という国で、政治改革のために特に意味のない役職に居座って首都でのほほんと暮らしている貴族の人々を地方で屯田させようとして、反発を受けて殺されたという出来事がある。

なんだ、楚の国は政治に暗い貴族ばかりだったのだな、と僕は思ったけれど、そもそも貴族はその為にその立場に居るのだから、激怒は当然であって、そのような利益を奪われたから呉起を殺すのは至極当然という話になる。

けれども、その国で完結していればそれは正しかったけれど、国同士で戦う場合はそうも言っちゃいられない。

有能な指揮官や指導者であるほうが、そのような競争で勝つ蓋然性が高い。

そのような勝利のための改革は、けれども貴族たちの利益とはイコールではない。

だから国家にとっての正解はそう言った貴族たちを働かせることなのだけれど、貴族にとってはそんな事正解でもなんでもない。

この軋轢はどうやっても解消できない。

構成員と構成体の利益は違う。

それが故に、民主主義だなんて本末転倒のあり方が出てくる。

王は自分の利益のために国家を作った。

卵が先か鶏が先かという話だけれど、とにかく今ある王は利益のためにその立場にいる。

けれども、その王は毎度毎度優秀とは限らない。

無能な君主かもしれないし、有能な男かも知れない。

そこが問題になる。

一方で民主主義を見てみる。

少なくとも、過半数の人々がその男が優秀であると判断した結果として指導者が現れる。

確率としては王政国家の国よりも、その指導者は優秀である場合が多い可能性が高い。

よって、民主主義は王政より有利になる。

けれども、そもそも国家というものは支配層が被支配層から利益をむさぼる為に出来たものであって、民主主義だとその構造が良く分からないことになる。

だけれども、そのようなこっちの都合を無視して、民主主義は他の国家体制より優秀である概算が高い。

だから普通に、基本的に今はどの国家も民主主義だという話。

まぁ、民主主義が有利なのはそのような指導者の優秀性だけではなくて、普通に支配被支配の構造上、被支配者の中から指導者を出したいと思った時に多数決的に有利でもある。

構造上、基本的に民主主義形式が、国民によって選ばれやすい。

そして一度近隣国でそのような事が起きると、諸国民たちは利益をむさぼられ続ける現状が嫌だから、そのような方向性への変化を望む。

よって、ドミノ倒し的にそのような発想が広がっていく。

そう言う構造なんだけれど、国家というものがそもそもに国民から利益を絞るとるために存在しているから、もうなんだかよく分かんないことになっている。

政治家は、国民のために政治をすると宣言して政治家になるけれど、根本的に国家はその為にない。

その為にないものをその為に使おうとするから、いつか破綻が来る。

その破綻は…どんなものだろうね。

僕は今見る各国の破たんがそれだとは思うけれど。

ただ、僕はただの一般人で、学者でも専門家でもない。

勝手に上記の事を妄想して居るだけに過ぎないわけであって、僕が書いたことが正しい道理もない。

特に今回は、日ごろ書いてきた内容とあまりにかけ離れているから、内容に自信がない。

僕は原初について関心があった。

1+1が分からないのに相対性理論が分からないのは当たり前だから、哲学の問題をするにしてもその1+1が分からないと分かりようがないと思った。

だから、その1+1を求めて、原初であるミクロバンドの世界に着目した。

その世界で想定される価値観を押しなべて考えると、哲学が問題にしたほぼ全ての事柄の答えが出せた。

道徳、正義、友情、愛、善、悪。

さもなくば音楽は何故快なのか、人は何故孤独を恐れるのか、何故物語は快なのか。

それらを原初の1+1からやってきたけれど、今回の話は煩雑になりすぎた。

もしかしたら、必要な考慮をしないで次の段階へと進んだ結果、間違った帰結を招いているかもしれない。

だから、普通に今回の記事は疑ってかかってください。

僕は、基本的に今の所間違いは見つけられていないけれど、正しいとは思っていません。

まぁ、そんなのいつものことなのだけれど、今回は特にね。

そんな話。

タイトル決めなきゃなぁ。

これでいいか。

では。