風の歌を聴け/村上春樹  概要


1970年の8月8日から8月26日までの短い期間。
語り手である「僕」が帰省中に故郷の街で過ごす一夏の物語。
行きつけのバーと変わり者の友人。そして偶然に出会った4本指の不思議な女の子との束の間の交流。
ビールとフライドポテト。レコードとラジオ。
スタイリッシュでライトな雰囲気の中に、ノスタルジーと感傷が彩る村上春樹の初期の作品。

  主要登場人物


◼️ 僕
大学生。物語の語り手

◼️ 鼠
大学生。僕の親しい友人。

◼️ ジェイ
行きつけのバー「ジェイズ・バー」のバーテンダー。

◼️ 4本指の女の子
レコード屋の店員。「ジェイズ・バー」で出会った不思議な女性。

  簡単なあらすじ


①僕と鼠との出会いについて

大学生になったばかりの春先。深夜にフィアット600で飲酒運転をしたあげく動物園の猿の檻に突っ込んでしまいました。車は大破してしまいましたが、運転していた鼠と偶然乗り合わせていた「僕」には幸い怪我はありませんでした。この事故がきっかけになって意気投合したふたりは、相棒のように行動を共にしていきます。


②語り手「僕」の人物について

物語の舞台となる海辺の町で生まれ育った「僕」はひどく無口な少年期を過ごしていました。心配した両親によって精神科に連れていかれる程でした。毎週診察に通い治療を受ける生活でしたが、一向に喋る気配はありませんでした。
しかし、14歳になった年に、今までの喋らなかった時間を取り戻すかのように、まるで堰を切ったようにお喋りになり、そして高熱を患い、その熱が収まった後に、今度は無口でもお喋りでもない平凡な少年になってしまいました。


③行き付けのバーで出会った女性

行き付けのお店「ジェイズ・バー」を訪れ、いつも
のように鼠と会ってお喋りをしたかったのですが、彼は姿を現しませんでした。
そのかわりに出会った人物が、左手の指が4本しかない若い女性でした。彼女は「ジェイズ・バー」の洗面所の床の上で眠ってしまっていました。そして、彼女は怪我をしているようでした。
「僕」はバーテンダーのジェイと彼女の傷を手当てし、アパートまで送り届けました。
彼女は港にある小さなレコード店で働いていて、「僕」は次第に彼女と交流をもつようになります。

「僕」と彼女はいろいろな話をします。
父親が病気で苦しみ抜いた末に死んだ事。
治療に莫大な費用がかかり家族が離散した事。


③鼠の決心
ある日、いつものように「僕」は鼠を誘って遊びに出ていました。すると突然、鼠は「コカコーラ」を飲みながら、もう大学へ戻らないことを告げました。

鼠の家は、洗剤の販売や虫除け軟膏の事業に成功したお金持ちの家庭なのですが、同時に彼はお金持ちを憎んでいました。
彼にとって、お金持ちである自分の家庭は、かえって負担になっていたようです。父親から離れ、どこか知らない街に行き、小説を書きたい。それが目標だと言います。

「僕」は車で鼠を家まで送り届けると、ひとりでジェイズバーでフライドポテトを食べて過ごします。


④結末、夏の終わりとそれぞれのその後

8月26日、主人公の帰省が終わり、東京に戻る前に「僕」は「ジェイズ・バー」に顔を出します。
ジェイにビールを一杯ご馳走になったあと、夜行バスに乗り込む場面で物語は幕を閉じます。

そして現在。

結婚して東京で暮らしている「僕」は、夏になると物語の舞台になった故郷の街に戻ります。

ジェイズ・バーについては、一時は取り壊しの危機に晒されてしまいますが、リニューアルオープンして今でもひっそりと営業をしています。

鼠は執筆活動に専念していて、毎年クリスマスになると小説のコピーを送ってくれます。交流は現在も続いているようです。

指が4本しかない女の子は働いていたレコード屋を辞めてしまい、アパートも引き払ったため、あの夏以来もう会うことはありませんでした。

  ​感想


この小説を初めて読んだのは、おれがまだ大学生の頃で、今から15年くらい前だったと思います。

たしか、同氏の「ノルウェイの森」を既に読了しており、同じような雰囲気を期待して手に取った一冊でした。

初めて読んだ時は「なんじゃこりゃ」という感想を持ったというのが忌憚のないところでした。

短い章が断続的に続き、散文的というか、とりとめのない印象でした。

しかし、随所に光る文章がカッコよかったり、シーンごとの雰囲気が印象的だったりと妙に魅力的に感じ、当時何度も読み返していた記憶があります。

  首を吊って死んだ女性の話



この物語は、断続的な小さい章の中に、断片的な謎が散りばめられています。
まず気になるのが「僕」が過去に交際していた恋人の謎です。

過去に交際していた恋人が、作中死んでしまっている事がほのめかされています。彼女はテニスコートの脇の雑木林で首を吊って自殺しています。
短いセンテンスで紹介されているこのエピソードですが、物語全体に漂う不思議な孤独感や虚無感は、この女性に起因しているように思います。
余談ですが次作の『1973年のピンボール』で登場する女性が、この首を吊って自殺した女性のことだと考えられます。
そしてその女性の名前は「直子」だとわかるのですが、氏の代表作『ノルウェイの森』に、再び「直子」というヒロインが登場しており、関連性は今も考察されています。

  鼠は何をそんなに気にしていたのか


鼠はお金持ちを憎んでいました。最初に読んだ時は特にこの点については特に気にしていませんでした。しかし何度か読み返すうちに、彼がお金持ちを憎む理由が本編中から読み取れるのではないかと考えました。それについて「もしかしてそうじゃないのか?」と思ったのが本編冒頭の次の記述でした。

 ーーー鼠はそれっきり口をつぐむと、カウンターに載せた手の細い指をたき火にでもあたるような具合にひっくり返しながら何度も丹念に眺めた。僕はあきらめて天井を見上げた。10本の指を順番どおりにきちんと点検してしまわないうちは次の話は始まらない。いつものことだ。

もうひとつのヒントは「ジョン・F・ケネディ」です。 

  ​最後に


色々とお話ししましたが、この作品は断続的なシーンを散文的に、気楽に読んで楽しめる作品だと思います。まだ読んでいない方はワンシーンごとのカッコいい雰囲気を味わってもらいたいと思います。また、いろいろな謎が散りばめられていますので、そういった断片を「詮索」する楽しさもあると思います。

「ノルウェイの森」など代表作しか読んでないよ、という方も、是非手に取ってみてください。