海軍兵学校(2)-人気があった兵学校制服 | 太平洋戦争史と心霊世界

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海軍兵学校へ入学した生徒は入校当日、初めて制服を身につけ、着ていた私服はすべて小包で郷里へ送り返してしまいます。学校で私物は認められないので、帰省時もこの制服を着て帰ることになります。



海軍兵学校制服 

海軍兵学校制服


 

濃紺の制服上衣(写真上)は、腰までの丈の短ジャケットで、鉤ホック留めの正面中央と襟、袖に黒い縁取りがめぐらされていました。基本的には丈の長さ以外、海軍の第一種軍装そっくりです。

 また真鍮を錨の形に打ち出した徽章と、ローマ数字の学年章(Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ)を左右の襟に付けます。

 


錨の徽章と学年章 

映画「ハワイ・マレー沖海戦」より。錨の徽章と学年章(Ⅲ)

 

   6月から9月までは白の制服を着用します。(写真下)制帽は正面に錨の徽章が付いています。


夏季用制服 

夏季用制服

海軍兵学校の帽章 

海軍兵学校の帽章

 

 

  当時の兵学校生徒の外見は颯爽としており、女子学生に好評だったため、これを着たくて海軍兵学校に入校したと言う学生もいたくらいでした。このころは陸軍も将校以下の格好は、あまりぱっとしなかったので、海軍軍服のスマートさが余計際立ちました。

 

中には兵学校を退学したのに、学校から譲り受けた制服を郷里で着て出歩く者もでてきました。つまり兵学校の制服を着ていると、格好良くて女の子にモテるからです。

 

後にそれを見つけた同郷の兵学校の生徒が「あいつは軍人らしからぬ足取りで、兵学校の制服を着て街の中を歩いていた」と笑い話の種にされることもありました。

 

写真を見てもなかなか様になる制服ではないかと思いますが、外国人の印象はまた違うらしく、兵学校のイギリス人英語教師、セシル・ブロックは「ボタンもなく地味な制服」と感想を述べています。


セシル・ブロック 
セシル・ブロック

 

坊主頭は「監獄にいる囚人のようで不格好」と、外国人には違和感を与えるようです。確かに派手な欧米の軍服に比べれば、地味で見劣りのするものだったかもしれません。

 

簡素な軍服は、第一種軍装(冬服)を例にとっても、ボタンの節約のために前開きフック止めになったという、日本の経済事情を反映していました。要するに当時の日本は貧しく、華美な制服を制定するだけの余裕がなかったということです。



第一種軍装 

映画「連合艦隊」より。第一種軍装はボタンがなくフック止めになっている。


 

『江田島』-イギリス人教師が見た海軍兵学校、セシル・ブロック、銀河出版、1996

『江田島海軍兵学校 究極の人間教育』、徳川 宗英、講談社、2006

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