あの世で孔明先生に拝顔の栄を賜るために生きていると言っても過言ではない、三国志作家の玄子(げんし)です。
玄子さんと同じで孔明先生に会いたいけど、今死んだら周りが悲しむから無理です
っていう方がいましたが、会いたいから会いに逝くって発想とは全く違います
13歳の時、死にたいくらい辛かったけど、今死んだら孔明先生が会ってくれる要素は何もない!
中国語も全然わからないし、中国文化も分からない、それに何より人間力が全然ない!
こんな状況で孔明先生が会ってくれるわけがない!
だったら、孔明先生が会ってくれる人間になるよう生きよう!
っていうのが私のいう「あの世で孔明先生に会う」って意味です。
逝く理由ではなく、生きる原動力になっているので、どんなに辛いことが遭っても頑張って踏み止まれるのです、今でも。
中国語や古代漢語、文化を学ぶのは、大好きな人たちのことを少しでも知りたいと思うし、近づきたい。
ただただ純粋にそれだけです。
中国へ行って大陸の荒波に揉まれると三国志がもっと好きになるかしれないし、憧れだけでやめておけば良かったって後悔するかもしれません。
でも、どんな結果が出ても誰も責任を取りません。
なので私が「あの世で孔明先生に会う!」っていう一部分だけを縮小コピーするのではなく、一度きりの人生、自分だけの三国志道を、心の速度に合わせて歩いて欲しいなと思います。
今日も三国志なご縁をありがとうございました。