齋藤生は齋藤栄蔵、村塾門下生で後の島根県令。

今回の齋藤生の文は、「加藤清正論」と「天下非一人天下説」で定本全集第4巻「詩文評」中にあり、先生はこれらに評を加えています。

今日はまず、「加藤清正論」について。この彼の論の内容は

「加藤清正が征韓論で秀吉に諫言しなかった、諫言すれば秀吉に殺される。やむを得ない事で、また長い目で見てその方がよかった。また、殷末の微子、箕子の事例も孔子の言うがごとく同じ事、天下の心を感じて(国を憂い民を愛す)の行動である。」と。


「齋藤生の文を評す」                 安政3年5月23日


豊太閤無名の師を挙げ、無罪の国を伐つと。

=豊臣秀吉が戦争の名分なく、無罪の朝鮮を討つと。


評、

豊太閤は、天性の才能があるが、文字が読めない。そして彼のする事は社会の慣わしの表舞台に出で、神聖の道に偶然にも一致している。


さて、我が神州の国体を立てるとは、いわゆる祈年祭の祝詞 にあるごとく「遠き者は八十綱を懸けて之を引く」ものであり、この事は常識である。

この様な訳で、仲哀天皇は天子として、神功は皇后として、倭武は皇子として、皆征伐のつとめを自らなされた。これは、万里の遠き海外においても、おそれはばかる所がない。

しかし、時代が下って雄略天皇の時、国境守備の統治に失敗し、朝鮮の三韓が勢力を拡大した。これより、日本の国体は日にすたれ日に落ちた。

古代史に通じた者は、この事を悲しみ憤るのである。


そして、豊公は古代史の事をよく知っていず、知っているのは、足利時代の事だけである。足利氏は異国の臣と称した。これは国辱ものであるが、豊公もこの事に対しとやかく言わずただ、「かつては明人は我が国と通商を営んでいたが、今は絶えている。この事は明人が我が国の事を軽んじているからである。」と言って、韓国に、明人が従来と同じように通商をするように命じた。

だが、韓国はこの事を聞かなかった。これは、韓国の罪である。これが戦いの名分である。

そして、明国は韓国を助けにきたのでこの軍を討つ、これは応兵だけ。そして、明国が韓国と同盟を汲んでいるのを憎むのである。


近世の頼山陽は卓越した識者である。その彼がその反対の事を言っている、「征韓は理由のない戦いで武徳をけがしている」と。私は彼の言う事が理解できない。

今、あなたも同じように言う。ひょっとして別の説があるのか、どうして山陽の味方をするのか。


そもそも今日の天下の情勢は、どのような時であろうか。今はヨーロッパの言う所のアジアは、半ばヨーロッパアメリカに荒らされているのだ。だが、それを憂うるに価しないとして、宴をし安心し、太閤秀吉の行動を間違っていると言う。

さらに、太閤の行いが神聖の道に合致している事を知らない。本だけを読んでいる者は、こういう判断をするのであろう。


太閤の臣下は皆小才で浅識であるから、太閤の美を受け取り実行できない。例えば宇喜田秀家のへつらいとか黒田長政の直言など、皆同じで言うに足りず、ただ加藤清正だけが少しましなのだ。

そして私はただ、太閤の時代に生まれなかったのが悲しい。




殷の亡ぶや、微子之を去り、箕子之が奴となる

=微子は逃げ去り、箕子は狂人のまねをして奴隷となり、(比干は諌めて殺された。孔子は言われた「殷には三人の仁者がいた、行なった事は皆違うが、国を憂い民を愛する至誠の人である」孔子・微子篇)


評,
微子は国を去って後、周の封土を受け、箕子は周のために国の大法である書経の洪範を述べたのである。これらは皆、臣下としては義に叶っていないし、国王の親戚であるのにこのような義にもとりそむく事をするのは、言うまでも無いことである。

この二人を、比干の諫死の類とし、そして三仁とするというのは、いかがなものだろうか。

孔子はかつて管仲をあげて、召忽(しょうこつ)をおさえ、気軽にそれで良いとした。

(桓公が自分の兄の糾を殺した、糾の付き人であった召忽は殉死しましたが同じ付き人である管仲は死なずに桓公に仕えた。これは仁ではないでしょうね。と子路の質問に孔子は「桓公が諸候を集め武力なしで秩序が守れたのは、管仲のおかげである、殉死をしなかったのは小さい事だ」と。孔子・憲問篇)

私が思うに、中国の聖人君臣の義は良くわからないものが多い。一方神州の君臣の義は万国のそれに比して卓越したものである。


外国の書物を読む者は、まず神州の事を良く学び、その後読めばいい。


清正が豊公の臣下であっても、時勢に迫られて忠義の道を尽くせなかった事があった。しかし、石田三成・大野治長らに脅かされ、それで豊公に忠節を誓った者と比べれば、万万優れているのである。

高くそびえているので、評議の必要のないのはただ片桐且元だけか。


以上のように評する2事は、僕の平生からの持論であって、私の書いたものに散見するのでそれも見て欲しい。

だから、今言いたい事は充分ではなかったけれど、大意は以上のようなものである。


願わくば、この事に対し弁じ反論を頂き、教えを賜れば、それに勝るものはない。


(残りの評は次回に)