私の自主制作書籍で挙げた、参考文献の紹介をします。

第二回は、西部邁の『虚無の構造』です。



わが国で書かれたニヒリズム論として、第一に想起されるものは、西部邁の『虚無の構造』である。


論理そのものは、西部の独特な見方で、バブル崩壊前後のわが国の不安を描写している。東大の教授としての経験もあった西部は、社会学や哲学、文化論など、彼の博学さを、その社会的不安を説明し、対処法を探る、という目的のために総動員している。


しかし、たとえば、西部による永遠回帰についての捉え方には、ニーチェの読者である私は、疑問に思う。ある部分で、西部は『「自分探し」は、自分こそが実在のはずなのだという迷妄に発している。(……)私のいいたいのは、自分が何者であるかは、「実在探し」への決意のなかにしか開示されないであろうということである』という。この文章の直前くらいに、ニーチェの永遠回帰について『実在は、そのにあると指示されているにもかかわらず、人間に認識されるのを拒絶しているということである。それを「無」とよべば、人間は実在を求めて、自分が無に回帰するほかないと知る』と説明している。

しかし、私が知るかぎりでは、ニーチェはそのような用法で『永遠回帰』というアイデアを説明していない。

もっとも、このような哲学用語にたいする疑問は、ささいなことといえる。


『自分探し』という言葉は、当時の若者の不安な自我を象徴するような語として、世間に伝播していた。『自分探し』のムダさ加減にいち早く注目したことは、卓見である。

(つづく)