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麻生副総理が「ナチスの手口を見習え」と発言したとかで、各紙社説が非難轟々。唯一産経が、「改憲論議への影響を懸念」するぐらい。後は橋下大阪市長が「行き過ぎたブラックジョークではないか」と擁護する程度。この擁護すら「ナチスをジョークにすること自体が悪いから、擁護になっていない」なんてトンデモ論まである始末だ。ま、当人が発言を撤回しているためもあり、野党による「国会証人喚問要求」を自民党が拒否しているのが、救いと言えば、救いか。
私なんざぁ「麻生太郎氏の失言」ってだけで、警戒警報発令だ。「失言癖」なんぞと抜かす輩もいるが、その「失言」の相当部分は「悪意ある宣伝(c)モスクワ放送」だと思っているから。先の政権交代前、「最後の自民党総裁兼首相」だった頃のマスコミの麻生首相(当時)批判と来た日には凄まじいものがあったから。
麻生副総理「ナチス憲法発言」の要旨
2013.8.1 14:03
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130801/stt13080114050008-n1.htm
麻生太郎副総理兼財務相の29日の講演における発言要旨は次の通り。
日本の国際情勢は憲法ができたころとはまったく違う。護憲と叫んで平和がくると思ったら大間違いだ。改憲の目的は国家の安定と安寧だ。改憲は単なる手段だ。騒々しい中で決めてほしくない。落ち着いて、われわれを取り巻く環境は何な
のか、状況をよく見た世論の上に成し遂げられるべきだ。そうしないと間違ったものになりかねない。
ドイツのヒトラーは、ワイマール憲法という当時ヨーロッパで最も進んだ憲法(の下)で出てきた。憲法が良くても、そういったことはありうる。
憲法の話を狂騒の中でやってほしくない。靖国神社の話にしても静かに参拝すべきだ。
「静かにやろうや」ということで、ワイマール憲法はいつの間にか変わっていた。誰も気がつかない間に変わった。あの手口を学んだらどうか。僕は民主主義を否定するつもりもまったくない。しかし、けん騒の中で決めないでほしい。
今回の麻生氏発言は改憲論議の中で出て来たと言う。冷静な議論が必要だとする麻生氏は、ワイマール共和国憲法を「いつの間にか変えていたナチスの手法」を「見習ったらどうか」と発言した、そうだ。
史実は、ナチスはワイマール共和国憲法に代わる「ナチス憲法」を制定した訳ではなく、「ワイマール共和国憲法の形骸化・骨抜き」で権力を奪取し、第2次大戦を引き起こすに至っている。言い換えればナチスドイツは第2次大戦を、「ワイマール憲法下で戦った」事になる。この点、私も今回認識を新たにしたのだが(※1)。
さて、そうなると麻生副首相の「ナチスの手口に学べ」発言は、「史実誤認ないし無知に基づくもの」であり、その点非難されるのはやむを得なかろう。だが、世上かますびしい「麻生ナチス発言批判」は、そんな「些末な」点は非難せず、以下のように非難している。
[1]「ナチスに学べとは何事か」
さあ、条件反射的にこう考えて非難してしまう人は一定数いるのだろう。「ユダヤ人人権団体」なんてのはそのクチだろう。
私もナチスの人種差別主義を嫌う点では人後に落ちない心算だし、ナチス党率いるドイツ第三帝国が「第2次大戦を引き起こした」のも事実だ。だが、だからと言って「ナチスに学ぶものなど何もない」と断じるのは余りにも浅はかだろう。宣伝術の基礎を為したのはドイツ宣伝相ゲッペルスであるし、科学技術上にも「ドイツ第三帝国の遺産」と言うべき部分は確かにある。言い換えれば、ナチスの罪と功とは別であり、功には学ぶべき点があって当たり前だ。事実、多くの事が、「ナチスドイツから学ばれている。」
「罪」の方に当たるだろう「ワイマール共和国乗っ取り法」=麻生氏のいう「手口」にしても、「これを踏襲するとは以ての外」という非難には私も賛成するが、「どんな手口を使ったか」の研究は、民主主義体制下では不可欠とすべきだろう。民主主義が破壊されないようにするために。「研究する」とは、ある意味「学ぶ」事だ。
[2]「国民の知らぬ間に憲法を改正しようとは何事か」
この非難は、当該麻生氏の発言が「ナチス党の手法を踏襲して憲法改正しよう」と言う意図と解釈しての非難だ。また当該麻生氏発言が、左様解釈されかねないものである事も確かだろう。だが、そんな意図をまじめに主張するならば、「手口」なんて犯罪用語を使うだろうか。少なくとも「ナチスの手口」という表現に、ナチスに対する肯定的評価は見いだせない。
テキストベースで報じられる、しかも趣旨でしかない「麻生氏のナチス発言」にはニュアンスまでは再現されないが、状況と前後の文脈からすると、上掲解釈は曲解であり、「ブラックジョーク」と解するのが、至当と言うものだろう。橋下氏擁護の通りに(※2)。
[3]「ナチスをジョークにするのでさえ不謹慎だ」
これは国に依ろう。イスラエルなんかでは不謹慎になりそうだし、ドイツも「ナチスドイツ時代を描いた映画は禁止」されていた頃もあるぐらいだから、不謹慎とされよう。実際にナチスによって惨状を呈した国やその当事者にとっては「洒落にならない」のがナチス、ではあろう。
だが、我が国にとって、ナチスドイツは左様に「洒落にならない」対象か?あるいは、広く世界にとって。
これは私見だが、ジョークの対象は広い方がより民主的であり、より文化的であり、より豊かな社会たりうる。「ジョークにしてはいけない」禁忌対象が多いほど、ろくな事にはならない。故に、少なくとも我が国にとって「ナチス」は「ジョークの対象」たりうる、と考える。アメリカだってチャップリンが主演・監督した「独裁者」なんて映画を作っているいるぐらいだ(※3)から、「ナチスはジョークの対象」たり得よう(※4)。
従って、「ナチスをジョークにするのは不謹慎」と言うのは限定的な範囲でしかなく、日本はその範囲に入っていない。依って当該「麻生ナチス発言」は、不謹慎とは言い難い。
とまあ、「麻生ナチス発言擁護」を展開したところで、どうせ、三赤新聞やら沖縄二紙やら、さらには安部政権ひきづりおろしに鵜の目鷹の目の中国・韓国やら、序でにそんな奴バラとどこまで相関があるのか不明だが民主党はじめとする野党共は、騒ぎ続ける事だろう。
が、誤解は誤解とし、ジョークはジョークとして説明すれば、当該「麻生ナチス発言」は、天地俯仰に恥じるところなぞ、あるものか、と、私(ZERO)は考える。
我々日本人は、逆立ちしたってナチスではないのだ。
<注釈>
(※1) そう言えば、「第三帝国憲法」ってのは、聞いた覚えがないな、と。(※2) 再三、当ブログでも槍玉に挙げている橋下氏だが、肯定できる点は、肯定する。
(※3) 無論、映画「独裁者」の価値は、まさにナチスドイツ華やかなりし頃に制作・公開された点にあるのだが。(※4) 「独裁者」は、かなり古い映画だが。