普賢岳20年 | 写真家・ノンフィクション作家「神立尚紀(こうだち・なおき)」のブログ ※禁無断転載

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 今日は私の命日になるかもしれなかった日である。

 ちょうど20年前の今日、雲仙普賢岳の大火砕流に巻き込まれ、私は死んでいるはずだった。
 数時間前に入った、別の事件の動向を知らせる一本の電話が生死を分けた。
 あのとき死んでいたら享年27。ああいう恐怖はあとからじわじわとやってきて、恥かしいことに私は、その後しばらくの間、夜、怖くて電気を消して眠れなかった。

 43人の犠牲者を出したあの大災害で、もし死んでいたら、当たり前だがその後の私の人生はなく、上梓した10数冊の本もこの世に存在していない。

 でも、私がいなくても地球は回る。もしそこで死んでいても、世のなかは何も変わっていないだろうな、とも思う。
 生きていてよかったと思いたいが、その後の20年は、よいこともあればつらいこと、嫌なことも多々あり、必ずしも助かってよかったとは、率直に言って思わない。

 ただ、親に先立つ不孝が避けられたのだけは、よかったと思っている。
 おかげで、長男の責任として父を看取ることができたし、母にはまだ孝行できるかもしれない。

 それに、ここで殉職した、現場で顔見知りだったNHKのテレビカメラマン矢内さんの、当時一歳二ヵ月の赤ちゃんだった娘が、東京工芸大学の写真学科に入学し、立派に成人して、私の授業を、もちろん互いにそうとは知らずに受講するという、奇跡のような縁もあった。
 私は、お父さんの面影の記憶もない彼女・矢内美春さんに、
 「お父さんの生きた足跡を追って、丹念に撮っていけば、きっとよいドキュメンタリー作品になるよ。そして、雲仙の火山灰のなかから、父の思いが20年後の娘に甦る。ドラマチックじゃない? 重いテーマだけど、これもご縁だから、やってみたら?」
 と奨めた。
 彼女にとっては、父親の生死と正面から向き合う作業になるわけで、これは辛いことであるに違いない。でも、それを乗り越えていくことが、必ず彼女の人生にもプラスになり、お父さんの遺志にも適うと思ったのだ。
 伸びてゆく若木を型にはめるのはよくないと思うから、私はただ、大筋のヒントを示して、要所要所で、自発的に求められたときにアドバイスしたり、ハッパをかけたりするだけ。
 しかし彼女は、その作品で、若手写真家の登龍門とも言える超難関のニコンサロンJUNA21の選考を突破、この8月、新宿ニコンサロンで個展を開催する。
 教え子で、なおかつ現場の戦友の娘の晴れの個展デビューだから、手をこまねいているわけにはいかない。
 写真展の前、7月20日発売の「フォトコン」誌8月号、私の連載「一生懸命フォトグラファー列伝」にも出てもらうことにした。
 口絵作品も、3ページとれる。
 再来週の授業後に彼女の取材をする。これが、私なりの応援だ。


 今日、私は、国立公文書館で調べ物をしながら、心静かに20年前のこの日のことに思いを馳せていたが、そこへ、携帯に彼女から電話が入った。彼女は、お母さんや家族、親族揃って、現地で行なわれた今日の追悼式典に列席するため島原に入っていたのだ。

 電話の向こうから、
 「センセ~イ!」
 と、感極まった声。彼女の場合、多くを語らなくても、それだけで思いが伝わってくる。

 これも、生かされた縁と思えば、やっぱりあそこで死ななくてよかったのかな。

 でも、ほんとうは自分はあそこで死んでいて、いま見ている世界は全て幻であるかのような、妙な気持ちはいまでも残っている。


 20年前、雲仙普賢岳で殉職した方々のご冥福を祈りつつ。




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