道新「ひと」欄に、4月に日本航空社長就任予定の女性が紹介されていた。客室乗務員出身としても初とのことで、先月発表時も写真入りで報じられていたが、なにより旧東亜国内航空(TDA)の客室乗務員がスタートということで、へえー、と思うと同時に、懐かしさも感じた。

 

 

 「TDA」と検索すると、Wikipediaにはこれしか表示されない。しかし、当時利用していた者にとっては、社名変更後の「日本エアシステム(JAS)」より、いつまでも「TDA」として記憶に残っている。トレードマークの赤 ・緑は、確か「レッド&グリーン、情熱と微笑み」とテレビにCMしていた。

 

 当時国内線は、日本航空(JAL)、全日空(ANA)、旧東亜国内航空が大手3社だったが、経営規模には差があった。そして、花形職業だった客室乗務員(CAと言わずスチュワーデス(女性)、スチュワード(男性)の時代)にも、会社ごとに違うイメージがあった(私見w)。

 

 女性では、JALはお姉さんというか洗練された大人の雰囲気、ANAは現代的でちょっとカッコいい雰囲気、TDAは2社より少し庶民的というかアイドル的な雰囲気があった(キャンディーズ的な‥「あくまでも個人の感想です」w)。

 

 勝手にそんなイメージを持っていたから、TDAの客室乗務員からスタートとした女性が日本航空の役員を経て社長に就くというのは、なかなかに大きなニュースに思えた。そして、これまで仕事に大いに情熱を傾けてきながら「女性だから、とは特段思っていない。自分らしくやる」というのはクールで、洗練されていてカッコいい。

 

 拙者が最後にTDAを利用したのは、将来が定まらないバイト暮らしの頃で、千歳-帯広(旧空港-現在の帯広駐屯地)間のYS-11だった。採用の試験面接に向かうため時間に余裕もって出かけたところ、何かの理由で2時間ほど出発が遅れ、それでも何とか飛んでくれた。

 

 今にして思えば、その地を振り出しに各地へ転勤しながら、一つところに約37年間在籍して定年を迎えられたのは、遅延しながらもあの日飛んでくれたTDAのおかげということになる。そう考えると、TDAへの感謝が足りていなかったかもしれない。

 

 TDAよ、あの日は遅刻したけど、なんとかなったサ、ありがとう。それと、OGの新社長就任予定オメデトウ、情熱と微笑みは受け継がれてきた。