拉致被害者帰国かなわず「心が痛い」 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 








帰国10年を前に地村さん夫妻が会見。




草莽崛起:皇国興廃此一戦在各員一層奮励努力。 


拉致被害者の地村保志さん(左)、富貴恵さん夫妻が会=4日午後、福井県小浜市(彦野公太朗撮影)




北朝鮮から帰国して今月15日で10年を迎えるのを前に、拉致被害者の地村保志さん(57)、富(ふ)貴(き)恵(え)さん(57)夫妻が4日、福井県小浜市で記者会見した。周囲からの支援に「心から感謝する10年だった」と振り返ったが、帰国した5人を除く被害者が救出されていないことに「心を痛めている」として、拉致事件の早期解決を訴えた。

 2人は平成14年10月15日に帰国し、3人の子供も16年5月22日に帰国を果たした。保志さんは「色々な不安や課題があった中で、多くの支援者の力を借り、スムーズに社会への順応を果たすことができた」と、感謝の気持ちを述べた。一緒に帰国したほかの被害者とは、今も時々連絡を取り合っているという。

 昭和53年7月に拉致され、北朝鮮で24年を過ごした地村さん夫妻。保志さんは「一番辛かったのは、家族や親族、友達と連絡が取れなかったこと」と話し、富貴恵さんは「(拉致されて)最初は逃げたいという気持ちがあったが、色々(北朝鮮のことを)知ると、『殺されたら終わりだ』と思い、だんだん(逆らうことを)考えなくなった」と、自由のない生活を振り返った。


いまだ帰国を果たせないほかの拉致被害者については、「私の知っている限りのことは警察に伝えてある」(保志さん)。生活していた招待所の職員らから、他の招待所に日本人がいるという噂を聞いたことはあったが、保志さんは「それを指導員に問うのはご法度だった」と説明。それ以上の情報は分からなかったとした。

 会見中、2人は時々笑顔を浮かべたが、拉致事件の進展がないこともあり、厳しい表情が目立った。

 最後は北朝鮮に残る被害者に向け、保志さんが「苦しい、厳しい環境だと思うが、元気に生きてさえいれば、念願の帰国を果たせると考えている。どんな環境にあっても何とか頑張り抜いてほしい」、富貴恵さんは「家族は会える日を待ち望んで活動している。元気で頑張って生き抜いてほしい。負けるな」と呼びかけた。



地村さん夫妻、帰国10年で子供も自立

「ここを離れたくない」



地村さん夫妻は、帰国から10年間、地元の福井県小浜市で暮らしている。帰国後に就いた仕事も順調で、地域にも溶け込んでいる。

 保志さんは小浜市役所で文化会館の使用許可や市内での文化普及活動を担当。富貴恵さんも県嶺南振興局でパスポート発券業務に従事している。休日には地域の清掃活動にも積極的に参加。現在は海の近くに住み、「ここを離れたくない」と話しているという。

 3人の子供も自立の道を歩んでいる。長女の恵未さん(30)は平成17年から小浜市内の金融機関に勤めている。長男の保彦さん(29)は福井大工学部を卒業後、小浜市に拠点を持つメーカーに就職。大阪大外国語学部で朝鮮語を学んだ次男の清志さん(24)は化学会社に就職し、名古屋支店で勤務している。救う会福井の池田欣一会長(89)は「お子さんも日本での生活にも慣れて、みんなと同じように暮らしている」と話した。