三笠宮 寛仁親王殿下 薨去 。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 






 三笠宮家の長男で、天皇陛下のいとこにあたる寬仁親王殿下が6日午後3時35分、入院先の東京都千代田区の杏雲堂病院で逝去された。66歳、皇位継承順位は第6位であられた。障害者福祉などに心血を注がれる一方、気さくなお人柄で国民から「ヒゲの殿下」と親しまれた。一般のご葬儀にあたる「斂葬(れんそう)の儀」は、東京都文京区の豊島岡墓地で執り行われるとみられる。

 

 寬仁さまは平成3年以降、がんの治療を受け、今年1月にも下咽頭から口腔のがんを切除する手術を受けられた。3月2日にのどの軟骨を切除する手術を受けたが、今月1日、口内から出血がみられた。5日に腎臓や呼吸器系の機能にともない意識レベルも低下し治療が続けられていた。

 

 寬仁さまは昭和21年1月5日、昭和天皇の末弟、三笠宮崇仁(たかひと)親王殿下の長男としてご誕生。学習院大学法学部を経て、戦後、皇族としては初めての海外留学で英オックスフォード大学に学ばれた。

 

 大変なスキー好きとして知られ、スキーを通じて身障者や青少年の福祉などに取り組まれた。55年11月、故吉田茂元首相の孫にあたる信子さまとご結婚。長女の彬子(あきこ)さまと二女、瑶子(ようこ)さまをもうけられた。麻生太郎元首相は信子さまの実兄。

 

 昭和57年には「社会福祉活動に専念したい」などと皇籍離脱を申し出られたこともあった。平成3年にがんを患った際に病名を公表し、がん告知の議論にも一石を投じられた。





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                    1966年1月、成年式を迎えられ冠、装束姿の寬仁さま




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       1980年11月、「結婚の儀」の正装で記念写真に納まる寬仁さまと信子さま=皇居



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1986年5月、大相撲を観戦されるチャールズ英皇太子ご夫妻と寬仁さま、信子さま=東京・両国国技館



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1994年2月、リレハンメル五輪で金メダルを獲得した荻原健司選手(左端)ら日本チームと笑顔を見せる寬仁さまと信子さま=ノルウェー(共同)



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2010年6月、日本・トルコ協会の年次総会に出席された三笠宮ご夫妻と寬仁さま=東京都港区の明治記念館



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       滞在先のポーランドから帰国された、寛仁親王殿下の長女、彬子さま=6日午前、成田空港







謹んでご冥福をお祈り致します。合掌。