【from Editor】
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110812/art11081207320002-n1.htm
7月半ばのその日は風がなく、汗が首にまつわりついた。世田谷区成城の閑静な住宅街を木陰を踏みながら歩いた。手には上梓(じょうし)したばかりの産経新聞出版刊『歴史に消えた参謀 吉田茂の軍事顧問 辰巳栄一』を抱えていた。
1年以上に及んだ連載企画の主人公、辰巳栄一元陸軍中将の長男、敏彦さんの霊前に供えるためである。「本が出版されるのを楽しみにしていたのに残念です」
妻の鞠子さんが本を両手で包み込んだ。この1年、敏彦さんはがんの病魔と闘いながら、数度の手術を繰り返していた。連載開始にあたって、元中将の日記や論文を寄託していた東京大学法政史料センターを紹介してくれた。
毎回、連載記事を切り抜くことが日課だった。亡くなった朝も、自宅の書斎に連載52回「総理大臣の『007』をつくれ」の切り抜きが置かれていた。終了まで3回を残して死去したことは無念でならない。
出版してまもなく、読者からの手紙を受け取って胸を打たれていた。奈良県に住む主婦の東文代さん(85)からで、便箋に繊細な草書文字が刻まれていた。夫の修さんは陸軍士官学校57期の元軍人で、長く病床にあったとある。
文代さんは日曜の本紙に連載した「歴史に消えた参謀」を、修さんのために毎週、病床で読んで聞かせていた。
「最終回55回まで夫に読んであげました。“老将は消え去るのみ”が終わり、4月に見送ることになりました」
連載55回は3月27日付だったから、修さんの死去はそれからまもなくだった。享年87。修さんは連載企画が出版されることを心待ちにしていたという。
文代さんは東京・浅草の生まれで、空襲を避けるために栃木県の那須に疎開し、少壮の航空士官だった修さんと巡り合って、今日に至っていた。
戦前戦後の混乱期に青春を過ごした多くの読者がいて、連載の出版を心待ちにしてくれた。そのうちの幾人かは、病床で時間と戦っていたのである。まもなく8月15日の終戦記念日がやってくる。この書をもって英霊に捧(ささ)げたい。
(特別記者 湯浅博)
