次第に衰える「反原発」運動。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 





「夕刻の備忘録」 様のブログより。



本格的に蒸し暑くなってきた。2002年のサッカーW杯の時、世界の代表チームが恐れたのは、ライバルの動向ではなく、日本の梅雨であったという。暑さと湿気のダブルパンチは、屈強な男達をも震え上がらせたのである。

高層ビルがその典型であるが、今の住宅はクーラーの存在を前提に設計されている。窓を開けて、打ち水をしてなどという生活は、望んでも出来ないようになっている。航空機の窓が開かないのと同じように、窓のない部屋も多い。そのことによってレイアウトの自由度を増やし、狭い空間を広く使う工夫もされている。

全ては電力の安定供給が前提になっているのである。

電気の供給が絶たれれば、間違いなく病気になる人が居る。
命を落とす人も少なからず居る。

仕事の効率は落ちる。そもそも精密機械は動かない。電源を入れてから半日ほどおかないと安定しない機械はザラにある。機械が動かなければ工場は休業である。工場が休業なら日給は入らない。金が無ければ暑さは凌げない。

まさに生活の命綱である電気が、今最大のピンチを迎えている。

しかし、その電気を「止めろ、止めろ!」と騒ぐ連中が居る。
デモだ陳情だと必死の形相で暴れ回っている。株主総会の会場で苦心のコスプレを披露して、人の恐怖心を煽っている。

原発の一時停止には賛成しようか。
廃止も考慮の中にある。
代替エネルギーの促進、大いに結構であろう。

しかし、それを今直ぐ、全てを同時にやることなど不可能である。

原子力発電所は自然災害には耐えた。しかし、人為的な判断ミスと政治介入の為に、無用の災禍を蒙っている。最大の被害者は地元住民であり、電力の安定供給が不可能になった国民である。

事故の収束、汚染地域のこれ以上の拡散防止、地元住民の健康問題等々、問題は溢れんばかりにある。にも関わらず、デモのみに熱心な連中が居る。明日の原発を止めれば、今日の汚染は無くなるかの如くに騒いでいる。

都市ガスに微量の汚染物質が混入していたからといって、「もうガスはいらない!」運動が、「脱ガス・デモ」が起こるだろうか。そんなことをしたら「ガス欠」になって動けなくなるだけだ。

水道水に微量の汚染物質が混入していたからといって、「もう水は飲まない」運動が、「脱水・デモ」が起こるだろうか。そんなことをしたら「脱水症状」になるだけだ。

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ガスも水も電気も、我々の生活に欠かすことの出来ない最も基本的なものである。問題があれば解決し、二度と同じ過ちを犯さないように改善すればいいだけの話である。改善せよ、の抗議である。安心させろ、の抗議である。「止めてしまえ!」と叫んで、本当に止められたら、死ぬのは我々の方である。

しかし、何故か原発だけは「止めろ、止めろ」のデモになる。それは飛び抜けて危険だから当然のことだ、と言う人も居るだろう。一理はあるが、一理しかない。

共産党によれば、「福島第1原発事故を起こした当事者の財界は無反省のまま原発推進に固執しているし、日本で使われる濃縮ウランの73%は米国からの輸入に依存している」「異常な対米従属と大企業・財界の横暴な支配という日本の政治の2つの異常」だそうである。

ここにデモの秘密がある。
全ては「政治問題」なのである。
出て来る単語はお馴染みのものばかり。
「財界」「対米追従」「大企業の横暴」
何の問題が起きても使う単語は変わらない。

曰く「原子力推進派はバラ色の未来を語った」「安全神話をひろめた」「原子力村の閉鎖体質が問題だ」等々、作家もミュージシャンもスポーツ選手も異口同音に語る、その語り口まで同じである。

しかし、そうした連中が熱心に拡散しているのは、「自然エネルギーによるバラ色の未来」であり、「太陽電池の安全神話」であり、「携帯電話屋の開かれた社風」ではないのか。自堕落が売物の作家が人の道を説き、イベントだナイターだと一般家庭の何千件分もの電力消費の元凶たるミュージシャンやスポーツ選手が、脱原発を節電を語る。

こうした連中は、挙って「自己紹介」が好きだ。
黙っていれば分からないものを、何故か出て来てしゃべり出す。
隠れていれば分からないものを、特定政党の活動に参加する。

全ては明日の地球のため、子供達の未来のため。

その子供達が今、熱中症で倒れようとしているのである。
愛では救えない、サイン会でも握手会でも救えない子供達がいる。

電気の最大の特徴は、発電の形式に因らずに等質の電力を供給出来る点にある。従って、特定の発電方法に拘る必要はない。その場に応じて、その時の技術力に応じて、利害得失を勘案してベストミックスを探るのが、最も基本的な考え方である。

冷静な思考を妨害するデモ活動は、間もなく下火になるだろう。何故なら、誰に取っても電気は必要だからである。ガス会社が事故を起こした、水道管が破裂した、といって「脱ガス」「脱水」デモが起きないのと同じように、「我々の生命維持に必要なものを我々自身が大声で拒否する」という論理矛盾に、気付く人が日増しに増えてくるからである。

折角、丁寧に「自己紹介」してくれた人達である。名前と顔をよく覚えておき、残りの半生を「節電広報大使」として働いて貰おう。ホンの少し前までは「地球温暖化阻止」の広報担当だったと思うが、そんな些細なことは忘れてやろう。他人から善人だと思われたい病気は、生涯治らないのであるから。

子供達の内部被爆が問題になっている今。「今日は一緒にスポーツに興じて笑顔が見れたから、少しは役に立てたかな」と被災地で発言していた著名人達に問いたい。「その時期は最も危険な状態であり、グランドの土埃を立てて、それを吸い込んだことで、さらに内部被爆の危険度は増したと思われますが如何でしょうか?」と。

無知を責める気は無い。誰も気付かないこともある。
だからこそ、他人の無知を責め、組織の怠慢を罵り、長く続いてきたシステムの欠点だけを論って、大衆煽動のお先棒を担ぐのは止めよ、と言いたいのである。