「西村眞悟の時事通信」 より。
昨日夜、大阪の自動車青年会議所の例会で、「危機管理」について話するように要請され、三宅博さんとともに話をしてきた。
それで、危機管理に関して、その時話した内容を含めて書いておきたい。
まず第一に、我々が日常当たり前として問題にしていない事例を、「危機管理」の観点から見直す必要がある。
1、例えば、北朝鮮に拉致された寺越さんのこと。
日本政府は、未だに寺越さんを拉致被害者だとは認定していない。その理由は、本人が北朝鮮で生活していて、「私は拉致されたのではない」と言っているからである。
扇千景氏が担当大臣の時に衆議院委員会でこの質問をした。「十三歳の寺越さんが、日本海に漁に出て破損した船だけが漂着した。海で死んだと思っていたら北朝鮮にいた。北朝鮮に連れて行かれたとしか考えられないではないか」と。
大臣の答えは、官僚の書いたままの「寺越さん本人が、拉致されたのではない、と言っているので、拉致認定できない」というものだった。
問題点は、明らかであろう。この政府の論理では、仮に北朝鮮当局が、北朝鮮において全拉致被害者に、寺越さんのように、「拉致されたのではありません、首領様を慕って来たのです」と誓約させれば、その瞬間に、我が国の拉致被害者救出問題は「消滅」することになる。
よって、日本政府の用いる論理は、自由のない北朝鮮に抑留されている拉致被害者を見捨てる論理であり、人命に関わる極めて危険な論理である。
2、広島の原爆慰霊地にある「安らかにお眠り下さい、過ちは繰り返しませんから」という碑文。
昨日も書いたが、この碑文の論理は、日本は誤ったから原爆を落とされた、というものである。では、落とす方が、日本は再び誤っていると決めれば、日本に原爆を落とすことは正当化されることになる。
危機管理上、これほど日本人を危険にさらす碑文があろうか。
3、外国人参政権付与、移民受け入れは、危機管理上何の点検もされずに提唱されている。現実には、中国人が参政権を行使し、移民として入国してくる。
中国共産党の支配体制と中国人の本質を知らない政治家、もしくは、中国に買収されてシンパになっている政治家に、任せておれば、惨害が国民に及ぶ。
4、地方分権論
危機管理上、現在流行の地方分権論は極めて危険である。
何故なら、地方分権を推し進めて中央政府の権限を弱めるという論者に、「では、その地方に住む国民と地方の国土を如何にして守るのか」という問題意識がないからである。
この問題意識があれば、地方の軍隊(つまり州兵)の保持と地方分権論は不可分のものとして意識されるはずだ。
この発想のない、地方分権論は危険である。無邪気な論者は意識していないが(だから、やっかい)、国家解体論と紙一重である。
5、TPP
この降って湧いたようなTPPをバスに乗り遅れるなという議論ではなく、又「開国」というプロパガンダではなく、推進するアメリカの国家戦略、突然のように浮上した不自然さ、さらにそれに飛びつく我が国政治家のうさんくささ、等の観点から、同時に、危機管理の観点から、点検する必要がある。
次に、危機管理とは国防である。国防体制のない国に危機管理はない。そして、国家における国防の体制、危機管理の体制は、如何にして成り立つのか。それを、アメリカ合衆国憲法の三つの原則(条文)で説明した。
①第二条第一節(一七八八年)
「行政権は大統領に属する」
②同条第二節
「大統領は合衆国の陸海軍及び現に招集されている合衆国の軍務に属する各州の民兵の最高指揮官(Commander in Chief)である」
③修正第二条(一七九一年)
「規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保蔵しまた携帯する権利は、これを侵してはならない」
アメリカの危機管理・危機克服また軍隊の運用は、以上の三つの原則で行う。即ち、大統領の決断である。これによって、法律が予想していない危機にも対処する。
我が国には、①と②の原則はある(憲法と自衛隊法)。しかし、総理大臣の決断で対処するという原則は封印され、法律に基づいてすることになっている。従って、法律が予想しない危機には対処できない。
危機とはまさに予想外の事態だから危機なのだが・・・。
この責任の所在の欠落が、我が国の戦後体制の欺瞞を生み出している。十六年前の阪神淡路大震災の時の村山総理大臣の弁解を想起されたい。曰く、「なにぶん、初めてのことで、朝も早かったものですから・・・」。これを以て救出の遅れの言い訳としたのである。
しかし、危機とは、「初めてのこと」であり「朝早く起こる」ものである。
次に、③の原則、即ち、「人民の武装権」の自覚であるが、戦後はこれが徹底的に消去された。もはや、十六世紀に「日本人は非常に勇敢で何時も武器を携行し軍事訓練をしているので日本を征服できない」とヨーロッパ人に観察された面影もない。
しかし、国民の軍隊建設の前提には、この人民の武装権がある。
国民は各々が持つ武装して祖国と仲間をを守る権限を軍隊に委譲する。従って軍隊は、「国民の軍隊」となるのだ。
それ故、この「国民の軍隊」の最高指揮官は、国民に対して最終的な政治責任を負う内閣総理大臣(アメリカでは大統領)となる。つまり、これがシビリアンコントロールの原則である。
中国の軍事力増大に伴い、本年ますます風雲急を告げる東アジア情勢に対処するためには、今こそ我が国に、危機管理の3つの原則を具現化する国家体制の確立が必要である。特に、欠落している③の原則の自覚は、死活的に重要である。
一昨年来、日本国民は、民主党のマニフェストの毒に当てられて、「国に何をしてくれるか問うだけの国民」と位置づけられてきた。
しかし、今まさに、「国に対して何ができるかを問う国民」即ち自ら祖国を守る国民に脱皮しなければならない。
そうでなければ、我々自身の将来はもちろん、祖国の存続が危機に瀕する事態を克服することができなくなる。
