靴の傷や変形についての専門家の所見
妹は、阿南署から返却された三笠さんの靴(黒色ハイカットの革靴・米国某社製)を調べた。
それは、つま先とくるぶしのあたりに、摩擦してできたような傷があった。
また、一見しただけではわからなかったが、手で触れると、左の靴底が折れ曲がっているのが分かった。
この靴について、妹は三笠さんがデートに出かけた12月25日の朝にクリームをつけて丁寧に磨いていたが、つま先からくるぶしにかけての摩擦傷といい、左の靴底の折れ曲がりといい、妹が磨いた時には見られなかったものだった。
阿南署はこの靴について、次のような説明をしていた。それは、
「靴は遺体から40cmほど離れた位置に、両方ともかかとが踏まれた状態で発見された。本人は普段からかかとを踏む癖があり、当日も踏んでいた。だから落ちた時に靴が脱げたのだ」
というものだった。
妹は、靴の損傷の原因について、実験を踏まえたうえでの専門家の意見を聞きたい旨、メーカーの東京本社に直談判した。
メーカー側は当初渋ったが、最終的には妹の熱意に負け、実験に応じることを承諾した。
実験は、メーカーの製造責任者立会いのもと、「都立靴実験センター」において行われた。
(実験を行ったのは実験センターの専門家であって、メーカーの製造責任者はそれに立ち会っていた形。以下、手記からそのくだりを引用)
都立靴実験センターは、多くのメーカーが強度などを調べる機関です。
大きな機械や薬品が並ぶ実験室には、白衣を着た初老の男性(以下、D)がいました。
男性は兄の靴を手に取ると、傷の一つ一つにルーペを当てながら観察し始めます。
D「靴底の摩耗状態から、通年で約1年使用していますね。靴のたるみは、革が柔らかいのと、本人の足の大きさより少し大きいサイズだったのが原因のようですね」
妹「警察は革のたるみから、かかとを踏む癖があったことが分かるというんです」
D「それは考えにくいね。素材的にもデザイン的にも踏むような靴じゃない。もし踏む癖があったら、かかとの外側の革に、足を靴に滑り込ませるときの摩擦痕ができるんですよ」
その男性には、兄が発見された時の状況は一切説明していませんでした。
ただ靴を見て、その印象だけを話して欲しかったのです。
(中略)
D「つま先に線状の傷があるでしょ。傷の方向が甲からつま先のほうに流れているよね。この場所自体、傷が付きにくいところなんだけど、付いたとしても、つま先から甲に向かって付くんだよ。これを見ると、普通に履いてたとは考えられないね」
妹「では、どんな場合にその傷は付くんですか?」
D「酔った時に千鳥足になって、両肩を誰かに支えられたりするでしょ。酔っている人は意識がないから、(靴の甲からつま先にかけて)引きずられるような形になるじゃない。そんな時に付くね。それとくるぶしの傷は、男性だとズボンの裾に隠れる場所なんだよね。だから普通だと、何かに当たって傷が付くことはない。女性用の靴だと考えられるけどねぇ。あと気になるのは、靴ひもの下にある傷だよ。この傷はまだ新しいでしょ。傷が付いた後でひもを結び直してるね。あとは実験が終わってから説明するよ」
男性はそう言うと、メーカーが持参した実験用の靴を機械にセットし、準備を始めました。
この実験は、どれぐらいの力が加わると靴底が折れるのかを調べるものです。
何度か実験を繰り返した結果、折れていた兄の靴底には190kg以上の力が瞬間的に加えられたことが分かりました。
計測実験が終わると、男性は実験用の靴の底からなにやら引き剥がし、私の目の前に持ってきました。
それは幅1~2cm、長さ9cmの鉄の板でした。
(この鉄の板は)シャンク(骨)と呼ばれ、革靴の底には必ず入っています。通常に使用していれば、まず折れることがないというものです。
しかし兄の靴は、シャンク自体が曲がっていました。
D「実験では数値のばらつきがあったけど、シャンクが折れるとなると、相当の力が必要なんだよね。他の傷と合わせて考えられるのは、靴底を上にして落ちてたんじゃないのかな」
妹「靴底を上にですか?」
D「シャンクが折れたのは、瞬間的に一点に力がかかったからだよ。通常では付かない傷も多数あることから、靴は底を上に向けて落ち、そこを車が走って靴を踏んだとしか考えられないね」
妹「それは高いところから落ちた場合にも考えられますか?」
D「そういうこともあるかもしれないけど、それだと足はグシャグシャに骨折してるはずでしょ。骨折はあったの?」
妹「いえ・・・」
靴に残された傷は数々の言葉を発していたのです。警察では聞いてもらえず、実験室に来て一気に語りだしたかのようでした。
私は(その場に立ち会っていたメーカーの製造責任者に対して)いま聞いた説明を文書にしてほしいとお願いしました。
しかし会社の方針としてできない、会社が書ける範囲のことであれば報告書という形にできると言われました。
どんな形のものでもいい、とにかく実験したという事実が必要だと思い、承諾しました。
(引用終わり)
遺体の落下地点についての検証
三笠さんが飛び降りた(とされる)橋の長さは約43m、高さ約16m。
阿南署によると、橋のほぼ中央付近の欄干の外側に、左右は不明ながら内向き(道路向き)の足跡が一つ付いており、この左右不明の足跡は三笠さんの靴と一致し、その足跡の向きから、Mさんが後ろ向きで飛び降りたことがわかる、とのことだった。
(欄干の高さは85cm、足跡が一つ付いていたという欄干外側のスペースは、幅9cmのコンクリート部分だった。つまり足跡は完全なものではなく、つま先から9cmの部分が残されていたということ。
また、のちに遺族の要請により徳島県警捜査一課が再捜査を行った時、遺族は「その足跡の写真を遺族に見せる」ことを交換条件として「靴の現物を県警捜査一課に貸し出す」ことを約束したが、遺族宅に靴の現物を借り受けに来た県警捜査一課の警部は「足跡の写真は見せられないが、靴の現物は借りて帰るから」と、約束とは違うことをしようとした。
この時は、同席していた弁護士から「再捜査のためには、靴の現物を貸し出すのは仕方がない」と諭され、遺族は貸し出しを了承した。県警捜査一課の警部は靴の現物を県警に持ち帰ったが、後日に行われた捜査結果の報告の際に「欄干の外側に付いていた足跡は、右側でした」と言って、素人の妹でも一見して右側とわかるその写真を見せてきた。このあたりのくだりは後述。)
阿南署によると、三笠さんの遺体は、頭の部分が橋の直下から4.2m離れた位置にあり、足(先)は橋の直下から約6m離れており、仰向けの姿勢で横たわっていた。
(三笠さんの身長は177~178cm、体重80kg)
頭は中州にあり、体の一部は、水深10cmの水に浸かっていた。
橋の南側のたもとに放置されていた車から、飛び降りた地点とされる橋中央までの間に、三笠さんの足跡はなかった。
三笠さんが自分で飛び降りたのであれば、遺体は手袋などしていなかったのだから、欄干(高さ85cm)には三笠さんの指紋が付きそうなものだったが、欄干から三笠さんの指紋は発見されなかった。
(ちなみに、遺族やデート相手のY子さんですら指紋の提出は求められず)
妹は、阿南署の説明するこれらの状況、特に遺体の落下地点に関するそれが成り立ちうるのか確かめるべく、現場の橋で実験をした。
当初は、三笠さんの下着に砂を詰め、それらを用いて人体の重量比率に応じた人型を作り、落下実験に用いようとしたが、出来上がったものを見るとこれを橋から落とすのは忍びなくなり、この線はボツになった。
また、マネキン人形を用いることも考えたが、1体が約20万円と値が張り、しかも落とすたびに壊れるのでマネキン使用の線も無くなり、結局、重さ20kgの砂袋をいくつか用意して落下実験を行うことにした。
阿南署の言う、「欄干の外側に立って、顔を道路側に向け、川に向かって後ろ向きに落下した」という状況を想定し、欄干外側から力をかけない自然な落下を試してみると、砂袋は橋の直下から52cmの地点に落ちた。
その他、欄干の上あるいは欄干の外側から、放り投げる、突き落とす、力をかけず自然に落下させる等、様々な状況を試してみたが、放り投げた時以外は、砂袋は橋の直下から4.2m以上の地点には届かなかった。
これは遺族による独自の落下実験の後の話になるが、この事件については、2001年3月18日(事件の約1年3か月後)に、テレビ朝日『スクープ21』という番組で詳細に報じられたという。
(事件はのちに徳島県警捜査一課により再捜査されるが、その再捜査の結果待ちのころに、遺族はテレ朝から取材を受けた。この番組は、県警捜査一課による再捜査が終わるまで放送が控えられた。)
この番組の制作の過程でも、橋の下にあった遺体の位置の妥当性について検証するため、落下実験が行われた。
その内容は、クレーンでスタントマンを橋と同じ高さ(16m)の飛び込み台まで吊り上げ、そこからスタントマンが何通りかの方法で下のエアマットに飛び降り、三笠さんの遺体があった位置まで飛ぶことができるかを検証する、というものだった。
実験には、スタントチームJAC(ジャパンアクションクラブ)所属の、スタント歴20年のベテランが当たった。
スタントマンの話によると、阿南市の現場の橋には欄干(高さ85cm)があり、欄干の外側の狭い範囲(9cm)に足を道路向きに置いた状況からだと、そこから力を入れずにスッと(後ろ向きに)落下するか、そこで足の力だけで踏み込んで(後ろ向きに)飛び降りるかしかない、ということだった。
(助走なし、しかも足場が9cmと狭くおぼつかない中で、後ろ向きに立ち幅跳びをする形)
実験の結果、スタントマンによる個人的見解としては、自力では遺体のあった位置まで飛ぶことはできない、とのことだった。
唯一、スタントマンが遺体のあった位置よりも遠くまで飛んだ状況があったが、それは4人の男性がスタントマンを担いで放り投げた時だった。
妹としては、警察が言うような「自殺」を考える人間が、果たして飛び降りるにあたって「飛距離を出すこと」にこだわり、強く踏み込むようなことをするだろうかということ、
また、三笠さんの靴は遺体から約40cm離れた場所に落ちていた(つまり靴を履いていなかった)以上、警察が言うような「欄干の外側の足跡(左右不明)」が一つあったとしても、そもそもその足跡は「三笠さん本人がそこに足を置いた証明」にはならず、何者かが三笠さんの靴を用いて細工をした可能性もあるのではないか・・・という疑問を抱いていたところに、今回の実験結果を得たことで、「三笠さんは欄干の外側に足を置いて、自分で飛び降りた」という阿南署の見方への疑いを深めたという。
「事故」についての所見
阿南署によると、三笠さんは小勝島の発電所(当時は建設中)方面へと向かう現在の県道288号線上でガードレールへの衝突事故を起こし、そこで自暴自棄となり、エアバッグの開いた事故車で約8.2km走行して阿南市福井の新逆瀬橋にたどり着き、そこで車を乗り捨て、橋の上から飛び降り自殺した、とのことだった。
この事故について、妹によると阿南署は「運転ミスによりガードレールと接触した」と言ってみたり、「40~50km/hの制限速度内で、死のうと思ってガードレールに突っ込んだ」と言ってみたりと、説明に変遷があったとのことで、
「この二つはまったく異なる事故を説明しているようですが、実際、担当した刑事の説明が、これだけ違っていたのです」(手記より、原文ママ)
妹の考えでは、「死のうと思って」ガードレールに突っ込むにしては、時速が40~50km/hの制限速度内というのは不自然に思われたし、
「本当に死のうとするなら直前でアクセルを踏み込むか、もしくは正面から崖などに突っ込むでしょう。衝撃を吸収しやすいガードレールに突っ込んで自殺できるとは思えません」(原文ママ)
次に、運転ミスで突っ込んだという説については、遺族は、三笠さんの車としてトヨタのチェイサーやコロナ、対向車として日産イプサムを用いて、昼と夜に現場で走行実験をしてみた。
そのあたりの詳細は割愛するが、現場には(冬場は)午後7時~午前7時に点灯する外灯が設置されており、対向車のライトは遠くからでも確認でき、暗闇の中の見通しの悪い道路というわけでもなかったため、遺族としては、事故は「運転ミス」というよりは、何かしらの不自然な状態で発生した可能性が高いのではないか、という感触を得た。
(1枚目が西から東を、2枚目が東から西を望んだもの。1枚目がMさんの視点であり、この向きで走行していた時に左側のガードレールに接触したとされている)
事故車そのものから得られる情報はないだろうかと、妹はトヨタの修理担当者に依頼して、所見の報告書を作成してもらった。それによると、
「ガードレールと接触したのは助手席側の左側面で、ライト部分が当たっている。その部分から後部ドアまで擦った跡が付いていた。車がガードレールに接触した時点で、前部のバンパーが左前輪に食い込む形となり、ロックがかかった。しかし、三笠さんの車(チェイサー)は後輪駆動なので、前輪がロックされても走ることはできた。しかしその状態だと、かなり大きな音を出して走行していただろう」
「事故を起こした後、さらに走行している間にタイヤが路面との摩擦によって引きちぎれ、ホイールも切れてしまった。ホイールが切れることによって、摩耗は軸まで進み、軸自体も折れ、8.2km走った地点(つまり新逆瀬橋のところ)で走行不能になったとみられる。車の運転席側の屋根部分にあった棒状のもので叩かれたような数か所の傷は、ガードレールへの接触事故とは反対側にある傷なので、別の作用によってできた可能性がある」
とのことだった。
修理担当者は、事故車両と事故現場を見て、人が亡くなるほどの事故だったとも思えず、この事故でエアバッグが開いたとも思えなかったことから、「(車がこの状態になるような)ほかの事故現場があったのではないか?」との感想を述べた。
(1枚目、阿南市福井の車両放置現場での様子。左フロント部分が損傷を受け、タイヤが破れ異常な角度で折れ曲がっているのがわかる。2枚目、引きちぎれていた左フロントタイヤ。3枚目、事件から約8か月後の様子。助手席側フロントガラスに亀裂が生じている。遺族は、手記を出版した2002年末の時点では、まだ車を事件当時のまま保管していたという。)
さらに妹は、図書館で交通事故について調べているときに「交通事故工学鑑定」のことを知り、兄の「交通事故」について、この分野の専門家からの意見を聞いてみたいと思い、専門家の一人にアポを取り、意見を聞くことができた。
(以下、手記からそのくだりを抜粋)
図書館のパソコンで資料を探していると、「交通事故」というキーワードに、「交通事故工学鑑定」関連の書籍が出てきました。
交通事故工学鑑定とは、交通事故で当事者同士の言い分が違っていたり、一方が亡くなった場合、事故の原因を物理的、工学的に推論し、鑑定書を作成する仕事です。
米国では国家資格として認められており、日本でも法廷などで活用されています。しかし日本には資格制度がないため、“自称”鑑定人も少なくありません。
私は鑑定についての本を読み、一番理論的だったH鑑定人に電話しました。(手記では、H氏については本名で書かれている)
H氏は(財)日本自動車研究所出身で、裁判所や弁護士などの司法機関からの依頼を多数受けている方です。
しかし、個人の依頼はほとんど受けていませんでした。
遺族が依頼する場合、どうしても思い込みや希望が先に出てしまい、自分たちの意見に沿った鑑定書を書いて欲しがることが多いからだそうです。
「鑑定人として物証や現場からはじき出された真実しか語ることはできない」
と、H氏はハッキリおっしゃいました。
私は「どんな結果が出ようとも納得します。私は自殺を信じたくないわけではないんです。ただ兄の最期の瞬間を知りたいだけなんです」と、自分の気持ちを伝えました。
それを聞いたH氏は、取り合えず資料を見て鑑定が可能かどうかを判断するとおっしゃってくださいました。
私は彼から言われた資料を集めるために走り回りました。
その資料とは、自分で作成した事故現場の図表、現場写真、道路測量地図、死体検案書、解剖医の説明テープ、阿南署の説明テープ、事故車の破損状態の写真、修理見積書、車検証、砂袋による落下実験結果、トヨタ修理担当者からの報告書、本人の着衣写真です。
資料が出そろったところで、もう一度H氏に連絡を入れます。
しかしまた、鑑定を引き受けられるか分からないといわれます。
私は全ての資料をカバンに詰め込むと、直接お願いしに東京にあるH氏の事務所に母と向かいました。
この時私には、何故か絶対に断られない、という自信がありました。
彼は資料に目を通し、事件の概要を私たちから聞くと、紙に計算式を書き始めました。
「お受けしましょう。どう考えても不自然な事故です」
約1か月後、H氏による鑑定が終わりました。
結果は次の通りでした。
・ガードレールへの接触は、その角度から急ハンドルを切った形跡はない。
・ガードレール接触時の速度は50km/h前後であり、破壊行動を伴う速度とは思えない。
・車はオフセット衝突であり、速度変化が10km/h以内であることから、事故現場でエアバッグが開いたとは思えない。また開いたとしても、その衝撃で運転者が致命的な損傷を負ったとは思えない。
・放物線の法則から、遺体があった4.2mの位置まで人が飛ぶには11km/hの助走が必要である。これは自転車を立ち漕ぎした状態のものと等しいが、現場が助走をつけられないところであることから、自力での落下とは思えない。
・阿南署が説明する、後ろ向きで飛び降り、仰向けで遺体が横たわるという方法は、物理的、人間工学的に見て不可能である。
(「オフセット衝突」とは車体前面の一部(角の部分など)が他の車両や障害物に当たる衝突形式のこと。これに対して、車体前面のすべてが他の車両や障害物に当たる衝突形式のことを「フルラップ衝突」というらしい。)
以上の結果から、H氏は次のような仮説を導き出しました。
「三笠氏は何者かに胸部を強打され、胸部大動脈の切断により殺害された。犯人はM氏が交通事故で死亡したという偽装工作をするため、故意に三笠氏の車をガードレールに衝突させた。
その後、三笠氏の死体を乗せたまま、ガードレール衝突で回転不能になった左前輪を引きずり摩耗させる、という無理な走行を続け、橋付近で停車する。そして橋の欄干を超え、谷底に向かって三笠氏の死体を放り投げた。
三笠氏の死体の転倒位置から、犯人は一人ではなく複数であると判断される。犯人像としては偽装工作の幼稚さ、行動の一貫性のなさ、思い付きの積み重ねから見て、冷徹な犯行のプロではなく、強いリーダーシップを持つリーダーがいない、軽薄な人間の小集団である。また三笠氏の死体が橋から5mの地点に転倒していることから、犯人は複数である。事故車の移動経路からして、この土地の地理に詳しい人物がいる」(鑑定書から一部抜粋) ← このカッコ部分も原文ママ
そしてこの仮説から、H氏は、
「“落下以前にはまったく身体損傷を負っておらず、欄干を乗り越え自ら飛び降りて自殺した”という警察の推定は100%間違っている。三笠氏は自殺したのではなく、車がガードレールに衝突する『故意につくられた交通事故』の発生より以前に、複数の犯人によって殺害されている」
という結論に至っています。










