「何もない島」にあった奇跡のような熱気

 

 長崎港を出た高速船が、潮風を切って北西へと向かう。およそ1時間半ののち、世界文化遺産登録の頭ヶ島へと架かる赤い橋をくぐると、ほどなく江戸から明治にかけて鯨漁で栄えた中通島の玄関、有川港だ。

 

 

 

かつては収穫の印の狼煙を見通す小屋を頂いた鯨見山に登れば、北へ続く緑豊かな島の姿がうかがえる。

 

 

 

江戸時代の異教徒迫害から逃れて多くの信者が移り住んだ流れから、100年前後前に建てられた教会が点在する島の町が、人口1万9千人弱の新上五島町。五島列島の北東端に位置し、中通島と南の若松島を主な町域とする。5町合併から20年になる島の町に、元気なママさんバレーボールチームがあると聞いた。

アルファベットのチーム名を持つ「NANAME.C」は有川港から4キロほどにある七目郷という地区に由来する。遠浅の海岸で知られ、夏には島外から多くの家族連れが訪れる蛤浜海水浴場はすぐ近くだ。

 

 

練習場所は港に近い有川小学校の体育館。「25人ほどのメンバーには町議からケアマネジャーまでいろんな職業の人がいますが、学生バレーの経験者は半分くらい。誘い合ってママさんバレーを始めた人が多いんです」と江口逸子さん(68=写真右)。40年前のチーム発足時からのメンバーで、現在の監督であり、選手たちの精神的な支柱でもある。元気そのものの印象だが、がんの検査治療で入院間近だと話してくれた。

20代で乳がんを発症。肺と肝臓に転移し、その度に病にうち克ってきた。その間、ずっと支えになってきたのがママさんバレーであり、その仲間たちだ。30代後半の肺への転移のときは余命3カ月と告げられたが、不思議とダメだとは思わなかったという。「病気では死なない。寿命で人は死んでいくの。ここまで生きてこられたのは仲間たちみんなのおかげ」

昭和の終わりに七目郷にチームができたきっかけは、町の教育委員会主催の婦人バレーボール教室だった。チーム発足から近隣の家庭婦人を指導していたのはバレー協会の男性たちだが、当時の主力メンバーで現新上五島町ママさんバレーボール連盟会長の中野千尋さん(70=同左)が30歳のころ、県のママさんバレー連盟に加盟。夫の転勤で佐世保市に移った中野さんらが審判講習などを通じてノウハウを学び、女性の自主運営に移行していく。

 

(左:中野千尋さん 右:江口逸子さん)

 

島内にはNANAMEの他にも近くの青方地区にあるAOKATAなど長く活動するチームもあるが、10数年前、他クラブのライバル的存在だった50代の選手を江口さんが誘って、50歳以上のいそじ用のチームを編成。8年前に岐阜市であった第28回全国大会に出場した。現在は16人で、50歳以上が出場する県のいそじ大会優勝をめざす。

合併後に町議になって5期目の中野さんが言う。「熱心でバレーをよく知っている江口さんの存在が大きい。私もあと一期、町議をやるつもり。町政は課題ばかりで、若者が島を出ていかないように雇用を作ることが必要ですが、若者向けのゲストハウスが増えてくるなど、新しい動きもあります。少なくともこの体育館だけは元気ですよ」

週に1回の練習は試合系形式がほとんどだが、仲間に手を貸し合い、ミスにも声をかけ合う2時間は、あっという間だ。いそじチームの平均年齢は62歳。50代の選手の多くは「65歳くらいまでプレーしたい」という目標を持ち、60代の選手たちは「体が動くまで」「死ぬまで」「生涯ずっと」と口々に話す。

過疎化が進む町の老年人口(65歳以上)比率は40%を超える。全国8都道県の計71島に住民の運賃補助、観光施設の助成などを行う有人国境離島法の対象の一つだ。「介護難民、医療難民が増えていくのを日々実感します。とにかく人手が足りなくて、どこまで仕事をやるべきかが見えない」。そう口を揃えるのが、同じ社会福祉法人で働くケアマネジャーの原智香子さん(58)と田辺由美さん(66)だ。

 

(左:田辺由美さん 右:原智香子さん)

 

小集落で65歳以上の子どもが親を看る「老々介護」を強いられる家庭も多く、島の現在は20年後の日本の姿だとも言われる。実際に田辺さんは母親の介護をしながらの仕事とバレー生活だ。「雇用がないから人が島を出ていき、介護難民が増える悪循環。諫早などに兆しが出てきているように、政治の力で企業誘致をしてほしい」と原さんは訴える。

それでもバレーを続けるのは、ずっと追いかけてきたバレーボールが仕事の重荷を解いてくれるから。人生と生活の支えだから。全国大会に行きたいという希望を胸に、仕事帰りに体育館に足を向ける。心身ともにクタクタだが、いざコートに入ると背筋が伸びる。

そんな島に帰ってきた選手たちもいる。

現在53歳の小田宏美さんは、島の高校を出て、大阪の旅行会社に就職。歌が好きで「マイクを手にできるから」と始めたバスガイドを関西で16年続けて帰島、現在は島の観光客相手のバスに乗る。

 

 

頭ヶ島の世界文化遺産登録以降、町の観光資源となるのが、教会めぐり。町に30近くある教会の情報が頭にインプットされている。自らもクリスチャンという小田さんは、バスに乗り込むと「こんな遠くの海外までありがとうございます」という前説でツアー客の心をつかむ。「バレーは元気の源だし、仲間との交流は仕事でのおしゃべりにも生かせます」と、照れるように笑った。

 

最年少の名切明日香さん(24)はバレー初心者だ。

 

 

1年前、NANAMEでプレーする勤務先の先輩に誘われてチームに加わった。高校を出てから長崎市内で働いていたが、空を見上げる度に窮屈な思いも感じていた。弟が実家を出ることになったタイミングで、家族の希望もあって島に帰った。道を行きかう車の数がずいぶん減ったなと感じた。

帰島してからは高校の吹奏楽部でやっていたサックスやトランペットを吹いていたが、バレーに誘われて参加してからは、楽器ケースは開けていない。男女混合の6人制バレーチームにも入った。「男性の球を受けて、少しでも力がつけばと思って。バレーボールのアタッカーは点が取れないとけっこう重圧があるのかなと思っていたけど、全然違う。みんな声をかけてくれるし、失敗もふくめて今は楽しくて仕方がないです」

名切さんら10人弱の若手チームはベテランのサポートを受けながら、6チームほどが参加する島内の大会で、上五島一をねらう。澄んだ空気を吸い込んで見上げる故郷の空は広い。

「何もないところがいいところ」

滞在中、決して自虐ではないトーンのこんな言葉を何回か聞いた。そうだろうか。

梅雨の走りの強雨が打ち付ける夜の体育館には、離島の奇跡とも言えるようなエネルギーがあった。島にとって希望の灯は小さいかもしれない。明日も誰かが島を出ていくかもしれない。でも「何もない」ということは決してない。

 

 

 

取材・文

伊東武彦 1961年東京生まれ、サッカーマガジン編集長などを経て朝日新聞社スポーツ事業部でママさんバレーを担当。2013年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞。23年7月より全国ママさんバレーボール連盟広報専任アドバイザーとしてママさんバレーの広報をサポート。