このネタは、先週末、友人から送られてきたメールがきっかけ。
承諾を得ず(笑)転載します
「地下鉄の阿倍野駅と、近鉄の大阪阿部野橋駅は、なんで倍と部の字が違うの?」
確かに(笑)
かなりの鉄道好きを自負する私ですが、正直今まで意識していませんでした。
第一、近鉄の駅は長年「あべの橋」と表示されていましたし、大阪南部民からすれば、あの辺り一帯は「天王寺」ではなく「アベノ」というのがお決まりです。
近鉄百貨店は「アベ近(あべきん)」と略すのが定番ですしね
唯一知っていた豆知識は、この時に少し書きましたが、 「四つ橋線の四ツ橋駅」というネタ。
線名は「上を走る通りの名前」、駅名は「周辺の地名」を付けるという大阪市交通局の方針で、こういう表記になりましたが、なぜ「つ」と「ツ」になったのか、というのはナゾ。
ただ、「駅名=周辺の地名」というのははっきりしていますので、地下鉄の「阿倍野」駅は、地名の「阿倍野区」から取った字、というのはわかります。
じゃあ、なぜ近鉄が大阪阿「部」野橋としたのか、その辺りを少し調べてみました。
(友人のメールには「ブログネタにはええかも?」と書いてたし、ね)
近鉄電車の正式駅名は「大阪阿部野橋」ですが、長年「あべの橋」と表記されていたのは先述の通りです。
阿「部」野橋という表記は、
「中世から使われていた、阿部野村の表記に基づいたもの」
という説が有力みたいですが、いかんせん戦前の話であり、戦後は阿「倍」野の地名表記になったので、正解を出すのは難しそうです。
近鉄もその辺り気を使った?のか、つい最近までは「あべの橋」の表示が主流で、今なお大部分の車両には「あべの橋」表記が残っています。
上の写真、同じ編成内で、表記が異なっていました・・・
ちなみに、一昔前、車両に行先表示がなかった時代の、前面看板。
単純に「あべの」表示!
でも、しゃべり言葉ではみんな「アベノ」で話が通じるので、これでいいのかもしれません。
(※これはミニチュアマグネットですが、デザインは本物と同じです9
河内松原駅の案内表示を並べてみました。
「大阪阿部野橋方面」と書いた看板が整備されていますが、今なお現役の「パタパタ」は「あべの橋」表記が残っています。
「準急」の停車駅、「あべの橋までとまりません」という表現が、大阪チックでいいですね。
昔は南海も、「堺東を出ますと、次は新今宮まで停まりません」なんて放送していましたが、関空開港のころに東京に倣って「堺東の次は新今宮に停まります」という風に、表現が変わりました。
「~までとまりません」という言い方が、なんとなくキツく聞こえるからかな?
さて。
近鉄が「中世から使われていた表記」に倣って阿「部」野橋と付けたらしい、ということだけは分かりましたが、その大阪阿部野橋駅でこんなものを発見!
「近鉄百貨店阿「倍」野店」
うん??近鉄なのに阿「倍」野??
ますます謎が深まったのでした・・・
続きは次回以降に。
友人の気遣い通り、あと2回ほどネタには困らなさそうです。