タイトル「サイレント・パートナー」(ショートショート) | Nのショートショートブログ
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タイトル「サイレント・パートナー」



 ソウマ・マサオは、高校卒業で地方公務員一筋に40年が過ぎようとしていた。
 若いときから、会話の中で相手をよく小ばかにするのが悪いクセだったが、誰かに意見されても「ほんとうのことを言ってやっているんだ。悪いことじゃない。反省すべきは、相手にあるのさ。」と意に介さなかった。けれども、人間関係にヒビが入ることも事実で、「ほんとうに気の置けない友人」というのは、「自分がそう思っているだけ」で、みな相手は適当に受け流しているだけだった。
 実は、結婚して35年になる妻も、妻としてやってきたが、もうとうの昔にマサオには愛想を尽かしていた。それでも夫婦としてやってこられたのは、自分が昔気質な教育を受けて、「忍従」ということばに支配されていたからのように感じている。
 マサオは、気に入らないことがあれば、小言叱責をジメジメと続ける。人前だろうが人混みだろうが、忙しかろうが場違いだろうが、始めると抑えることができない気質だった。そういうことを長年許してきた自分がバカだった。夫に見切りを付けるなら、最初の半年で、もう答えは出ていた。妻ユキコはそんな風に思っていた。


 モトヤマは、この十階建て商業ビルで清掃の仕事をするようになって2年になる。ビルは全体が開放的な空間として設計されていて、中央は吹き抜けになっており、一階の真ん中は季節によって噴水だったりクリスマスツリーだったり、イベントステージにも成った。
彼は、年中人がごった返す中、清掃用具を乗せたワゴンと共に縫うように行き来して、「常に汚れに目を光らせて」いるのだった。
 ソウマ・マサオとモトヤマは高校の同級生だった。だが、卒業以来、会ったことはない。連絡を取り合ったことも無い。もっとも、取り立てて仲がよかったわけでも無い。ソウマ・マサオは、鈍くて要領の悪いモトヤマによく「しょうがねえヤツだな」などといい、そばに置いてよく子分のように扱った。鈍いモトヤマは、マサオのそういう態度をずっと快く受け入れてさえいた。だが、高校を卒業して社会に出て、高校生という甘い立場にいたからこそやっていられたのだと思い知らされた。自分では一生懸命やっているつもりでも、ほかの人間と比べて相当に劣る能力しか無いようだと気づかされてしまったのである。会社の仕事のような、利害がある場所ではモトヤマが歓迎されることは無かった。どうも自分は仕事をする能力に乏しいようだと自分で気がついても、だからといって人一倍、ずっと精神を集中して一生懸命やって補おうというのは、無理があった。むしろ彼は精神的にも弱くて、怠けるとかそういう面は「人並み」に身についていた。モトヤマにとって、今やっているこの仕事も、久しぶりに出会った「やっていける。続けられる仕事。」だった。そんな男だから、結婚などとは縁が無く、自分の家族はない。両親も他界して兄弟とも疎遠になったこの年では、いまだにこの故郷に近い場所で生活していることが唯一の心温かい支えのようなものだった。


 このビルは8階建てだが、一番上の階は今、改装中だった。客はいない。はずなのだが、時折間違って上がってくる人がいる。エレベーターは止まらないようになっているのに、わざわざ階段で上がってくるのだ。しかも、階段にロープが張ってあり、営業していないことが書かれているのに、無視してである。
 モトヤマは、午後になってこの8階にやってきた。店舗の営業が無くても一応、掃除は契約どおりにビルを一巡りするのである。そのモトヤマの目に、ビル吹き抜けのそばにある客向けのソファの前で口論する中年の男女が映った。ソウマ・マサオと妻のユキコである。なんにしろ、「客が8階に進入しているのを見たときは説明の上、階下に誘導するように」と言われているので、モトヤマは二人のほうへ掃除道具を積んだワゴンを押しながら近づいた。二人の口論だと思ったが、男のほうがほとんど一方的に女を叱責しているようだった。この8階に目的の店があり、やってきたのに改装中だったということで、それを憤慨して奥さんをなじっているようだった。近づくにつれ、男のほうの容貌、その声、話しぶりに「覚えがある」と感じた。
「お客様。申し訳ありませんが8階は改装中で……。」
 そういいながら思い出した。ソウマ・マサオだ。
「なんだ、モトヤマか?」
 相手も瞬時にこちらが誰であるかに気づいた。
 高校の同級生で、40年ぶりに会ったのだから、さぞ懐かしいというところだが、二人にそんな気持ちは起きなかった。
「なんだ、なにしてるんだ。ここで仕事してるのか?」
 40年たっても、まだ高校の時と同じ話しぶりである。それがむしろモトヤマの気に障った。
「ああ、久しぶりだな。この階は改装中だから、すぐに降りてくれないか。」
「まったく、改装中だったら、そう書いておけ。」
「書いてあったと思うが、方々に張り紙で。エレベーターも8階には止まらないし。階段で上がってきたんだろ?階段のところにも書いてあったと思うが。」
「階段のところには何も書いてなかったぞ。」
「ロープが張られてなかったか?」
「ロープなんか無い!」
「じゃあ、誰かがイタズラでロープを外したのかも知れないな。どういうわけか、ときどきそういうことをする人がいるんだ。」
「そもそも、お前が先に調べておけばよかったんだ。」
 ソウマ・マサオは、今度は奥さんらしき女のほうを向いて、さっきと同じようになじり始めた。
「あ~。とにかく、ここからは早急に……。」
「うるさいな、お前、俺に指図するのか。」
 高校生の時ならいざ知らず、もう50を当に超えた人間であるから、モトヤマの対応はむかしと違う。
「久しぶりに会ったんだ。その口の利き方は無いだろ。」
「どうも、すみません。」
 奥さんのほうがモトヤマに頭を下げた。
「こんなやつに頭を下げる必要は無い。余計なことだ。」
「奥さんですか。私モトヤマと言います。マサオとは高校で一緒でした。」
 モトヤマは女に会釈した。ユキコもモトヤマに会釈した。
 そこからソウマ・マサオは、昔話を始めた。それらはモトヤマがいかに鈍く要領が悪く、それを自分が補ってやったということだった。もちろん、そういう態度をモトヤマは許せない気持ちだったが、止めても聞かないだろうと、黙って聞き流していた。だが、黙って聞いているから、ソウマ・マサオもつけあがり、なにか自分のストレスを発散するためのように、いつまでもいつまでも、モトヤマとユキコを交互に罵り続けた。
「モトヤマ。お前結婚は?したのか?もしかしたら、してないんじゃないか?」
「ああ。」
「やっぱり、そうだ!俺の見る目は間違いないんだ。」
 彼はそう言って、ユキコのほうを見てニヤリとした。
「お前みたいな、”ドン”な男と結婚する女がいるわけ無い。」
 それは、懐かしい響きだった。高校時代、ソウマはモトヤマを”ドン”と呼んでいた。それは、「どんくさい」のドンだったのだろう。「おいドン」とか「モトヤマドン」と呼んだ。「お前はほんと、ドンのドンだナァ」。40年前の彼の吐き捨てるような声がモトヤマの頭の中で繰り返し再生された。
「やめなさいよ。失礼よ。」
 ユキコが少し強い口調でいうと、マサオは目をつり上げてにらみつけた。
 モトヤマの頭の中で繰り返されていたマサオのことばは、頭蓋骨に反射して跳ね返っては大きくどす黒くなり、頭から漏れるほど膨らんだ。フッとユキコを見ると、彼女もモトヤマの目を見ていた。出会った瞬間にときめくとか、閃くとか、そういうことがあるけれど、いま、モトヤマはユキコの「承諾が得られた」と感じた。スゥッとモトヤマはマサオに近づくと右手で彼の腰のベルトを掴み、左手で右の肩を掴んで力いっぱいに吹き抜けの手すりに向かって走り出した。
「うあぁ、なんだ!」
 ソウマ・マサオは低くうめくような声でそう言いながら止まろうとした。モトヤマは、生涯でこんなに腹から声を出したことは無いというくらいの声で「やめるんだ、ソウマ!」と叫んでマサオの声をかき消した。不意を突かれて止まることはできず、ソウマ・マサオの体はそのまま手すりを超えて落ちていった。一階の広場は、今は春の花々がディスプレイされていて、その色とりどりの輪の中に、ドゥスンとソウマ・マサオが墜ちた。


 警察が来た。ソウマ・マサオは自分で飛んだとモトヤマは言った。自分は止めようとしたと。妻ユキコもそれを認める証言をした。ほかに目撃者はいなかった。ビルの監視カメラも改装中で止まっていた。「声」をきいたひとは、モトヤマの声しか聞いていなかった。ユキコは、「夫は最近、とてもストレスが溜まっていたようで、会う人ごとに当たり散らしたりして、怖かった。」などと警察に証言した。モトヤマとユキコが共謀してマサオを殺害したという考えも警察にはあったが、モトヤマとユキコには、事件前の接点は全く見つからなかった。事件のあともしばらく監視されていたようだが、二人の接触は無かった。そもそも、二人はお互いの連絡先を知らなかった。モトヤマとユキコが共謀してマサオを殺害したという疑いは早々に晴れた。


 二人の心が通じ合ったのは、あの一瞬だけだった。


 1年近くが過ぎて、モトヤマが務めている清掃請負会社の事務所にユキコが訪ねてきた。長年住んだ先祖伝来の土地も家も、その他家財も全て処分して子ども達に分けたという。そしてユキコ自身は、今後は知らない土地に行って暮らすつもりだと言った。
「これは、あのときの迷惑料とでも思ってください。」
 そういってユキコは、少し厚い封筒を差し出した。
「こんなことしなくていいんですよ。」
「これですべての終わりと言うことで。」
「永く健康でありますように。」
「あなたも。」
 二人は互いに気持ちを込めて会釈した。



おわり